周囲があきらめないことも大事よな

『「わたし」が創り出した、アルド。    

 おおきなうさぎのかたちをしたアルドは、    

 わたしを決して放り出したりしない、いつもやさしい存在。    

 心の支え、アルドがいればなにがあってもこわくない。      

 わたしは、アルドに支えられているから、

 毎日を過ごしてゆけるのだと思いました

 もう少し、大人になって、生きているアルドに巡り合えたらいいな。

 と、思います。』(「ALDO・わたしだけのひみつのともだち」 ラムネ色さんの声より抜粋)

『「目に見えない」といっても、それは周りの人にとって見えない、という意味であって、子ども自身は、まるで現実に存在するかのようにイマジナリーフレンドの姿を生き生きとイメージしています。』(イマジナリーフレンドは目に見えないより抜粋)

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スピリチュアルかあさん 見えない何かと仲良しな日々より抜粋)

500頁の夢の束(新宿ピカデリー)→タリーと私の秘密の時間(シネマカリテ)→ブレス しあわせの呼吸(角川シネマ有楽町)→ウインド・リバー角川シネマ有楽町)とみまして、タリーと私の秘密の時間は子供3人の世話に疲弊しきったシャーリーズ・セロンのもとに夜だけ子供の世話しにくる女子がやってきてセロンが癒されて元気になってく話。中盤までこの女子はマジに雇われてて実在してるのかと思ったんですけど、後半の展開(特に飲酒運転で事故ったときとセロンが入院してるとき)の様子をみるにつけ、どうもこの女子はセロンが生み出した空想の友達っぽい。ということは夜に赤ん坊の世話をしてるのは結局考え方を変えたセロンだった、てことになるのかな。事故で入院した際に病院の先生が「(セロンが)極度に疲弊しています」て夫に告げてるとこをみるとよけいにそう思ってしまう。しかしセロンは人生にくたびれきった役やることが多いような気がするけど、そういう役が好きなのかしら。産後のストレスから腹がでて太ってしまったありさまがリアル。終盤でそれまで育児に加わらずにいた夫が、なにもいわずにセロンを手伝いにくるところからして、夜だけくる女子とのやりとりは夫との関係をやりなおすために必要な時間だったんだなーと思った。

500頁の夢の束は生活上の決まり事をいちいちメモ帳に書き付けて厳密に実行しないとうまく生きてゆけない自閉症のダコタファニング(21歳)が、大好きなスタートレックの脚本コンテストに自分の書いた作品を提出するためにロサンゼルスまで数百キロの旅をする話。最初はロス行きのバスにうまく乗り込むんですけど、ついてきた犬が放尿したせいでバスから下ろされて以降、泥棒夫婦に金とられたり、コンビニで出会った婆さんに気に入られて老人ホーム行きのバスに乗ってたら居眠り運転で事故られて入院したものの、うまいこと脱出してロス行きを再決行しはじめたりといろいろあります。ダコタファニングは似たような症状の人たちが暮らしてる館で生活してるんですけど、そこでみんなの世話をしてる寮母さん的存在の女性がダコタファニングがいないことに気づいて警察に連絡したうえ、ダコタファニングのお姉さんと共に車で追いかけてくる。その途中、ダコタファニング失踪情報から警戒してた警官にみつかってしまい、絶体絶命なとこで警官のひとりがクリンゴン語(スタトレ中にでてくるキャラのしゃべる言語)でダコタファニングに話しかけてきたもんだからおとなしくつかまってしまう。その途中だか前なんだかちょっと忘れたんですけど、ダコタファニングが書いた投稿用のスタトレ脚本を落として地面にぶちまけてしまい、そのままダコタファニングが逃げてしまうんですが、ダコタファニング捜索のために寮母さんと同行してきた寮母さん息子がスタトレのことをよく知ってて、地面にぶちまけてあったダコタファニングの原稿を読んだら絶賛してくれたりして、思わぬところでスタトレファンに出会えたのは幸福なことだったんじゃないのかなあと思った。スタトレ友達ができればいろんな話していろいろ書き広げることもできそうだし。んでいろいろあって投稿受付所までたどりつくんだが・・て筋。ダコタファニングはロスまでの道のりで日頃寮母さんから禁じられてたこと(渡っちゃいけない場所を渡る等)を破って前に進んでくんですけど、そのたびに新しいことを覚えていったりしてて、成長するためには禁止事項を乗り越えて克服していくことが必須なのだなあと思った。ここにおける禁止事項つーのは自閉症者当人のためでもあるんだけど、実は世話する人の手間を省くためのものでもあるんですな。いちいちひとりずつ構ってたらやってられないから、効率よく暮らしをまわすための「決まり事」をガッチリ自閉症者当人に覚えさすとゆう。

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ブレス しあわせの呼吸は実在したロビン・カヴェンディッシュさんという方についての映画。このロビンさんは1950年頃に茶葉の買い付けでケニヤにいた際にポリオウイルスにかかって脊髄の細胞がやられてしまって、首から下が麻痺して人工呼吸器がないと生きていられない状態になってしまうんですけど、最初こそ自暴自棄になって死にたい死にたい言うものの、気の強い奥さんや発明家?の友達に支えられて生きることに積極的になってく話。体が動かせない状態の患者がたくさんいる病院では人工呼吸器を移動さす自体できっこないと思われていたんですけど、奥さんはそれをよしとせず、人工呼吸器と共に夫であるロビンさんを自宅に連れ帰る。一応それはうまくいくんですが、人工呼吸器を動かすコンセントが外れてしまったりして冷や冷やする展開も。そんなこともありながらもどうにか動かせる首から上を使っての呼び鈴を友達がつけてくれたり、人工呼吸器を搭載した車椅子を開発してくれたおかげで、家族で外出したり海外旅行したりするようになる。医療の専門家が無理だということには新しい発明をするための種が潜んでいるんですな。というか、500頁の夢の束のダコタファニングが暮らす家の寮母さんじゃないけど、世話する側が自らの手間を省くために面倒な事(=やったことがないこと)を忌避する方向になりがちなのかもしらん。んでロビンさんは発明家の友人と共にいろいろ新しい発明したり従来のもんを更新したりして快適に暮らすようになって、呼吸器付き車椅子の普及に尽力していく。その途上で招かれた(んだっけ?)ドイツで、全身麻痺の患者たちが無菌室のような真っ白な病棟でまるで植木のように並べられて首だけだした状態で「世話」されてるありさまを目にする。ここのシーンがまるで管理社会SFみたいでゾッとした。そのあとの演説で自分を引き合いに出しながら全身麻痺でも動いて生きられることを主張したら全面的に受け入れられてたからよかったけども。パンフによるとロビンさんはこういう活動が評価されて国から勲章もらったりしてたんですな。んでロビンさんは60代になるまで生きるんですけど、人工呼吸器を長年つけていると陥りがちな状態(肺の細胞?がちょっとした振動でも摩耗して出血してしまう)になってしまって、しょっちゅう出血するんで、結局はあれは安楽死したということなのかな。この映画のプロデューサーさんがロビンさんの実の息子だから間違ってはいないんだろうけど。なにしろどんな状態に陥っても工夫しだいで人間どうにでもなるんだよ的な作品でした。ちなみにこの映画の宣伝ポスター(映画館のロビーに貼ってあった)にアグネスチャンのコメントがあって、ポリオ根絶まであと1歩!的なことが書いてあって、いろいろ便乗するんだなあと思ってたらオープニングクレジットかなんかで日本ユニセフって出てたのでなんかもやもやしました。ポリオ根絶はいいけどエロ漫画根絶掲げる(まだやってんのかな)のはいいかげんにやめような。上記画像はここから抜粋したブツ。

ウインド・リバーはジェレミーレナー(アベンジャーズホークアイ)がかっこいい映画。話としてはインディアン居留地で起きた殺人事件にFBIの女性捜査官がハンター稼業のレナーと協力して真犯人に迫るというモノなんですが、アルマジロつー映画と同じで「モノもヒトもなにもない砂漠(今作は雪)の退屈のなかでそれ(暴力)が待ち望まれてしまう」状態を描いたモノだった。しかもコレも実話に基づいてるとゆうことでシャレにならん。スノーモービルをかっ飛ばさないと凍ってしまうほどの酷寒のなか、裸足で雪の中数km歩いて死んだと思しき女性の遺体が発見されて捜査がはじまるものの、死因が凍死だと立件できないとかなんとかで難航する。そんな中、死んだ女性の彼氏の名が判明し・・ていう筋。この映画の前にやってたブレスでも肺が傷ついて出血するってやってたけど、ウインドリバーも酷寒の空気を吸い込んでると肺が傷つくかなんかで出血して窒息するシチュエーションがでてくるよ。なにしろ弱い者(真犯人含む)から真っ白な雪に翻弄されて死んでいく(=強い者しか生き残れない)壮絶な環境を描いた作品。ハンター稼業のレナーの雪原を熟知したありさまと、銃を放てば百発百中なのがかっこよかった。