罰とか因果応報とかみんなけっこう真面目だなあ

『決して口にしなかった夫に対する女の本音。人前では立派でも、犬にさえ見透かされているミハエルの本質的弱さ。戦死した息子は、生きていた。それで充分だったのに、即時帰還を要求した夫のエゴ。その結果、何が起きたか?そんな男とは、もう一緒にいられない。

 [子どもが生まれる喜びは、やがて薄れてしまうけれど、失った悲しみは、永久に消えないわ]。

 夫は言う。[戦争が終わって帰還の途中、後ろの車に先を譲った。何故だったか分からない。その車は爆破された]。』(「運命は踊る」パンフレットp.4より抜粋)

『彼は、自分の行動がもたらす結果にまったく気づいていないのです。それどころか、彼は正しく、また当然と思える行動をとる。単なる偶然と、運命の仕業に見える偶然との違いがそこにあります。一見混沌に見えるものは、すべて定められたものなのです。罰は極めて正確に罪に見合っている。因果応報、なるべくしてなる。そして、そこには運命につきものの皮肉も感じられます。ミハエルは、息子を救えるという思い上がりゆえに、罰せられるのです。』(「運命は踊る」パンフレットp.8より抜粋)

『検問する側のちょっとした不安や心の変化によって、ルーティーンのような時間の流れは凄惨な瞬間へと暗転する。だが検問される側はあくまで受け身であり、検問する側の変化に抗うことはできない。検問所という場所を共有しながらも、検問する側とされる側はまったく異質の世界に属している。』(「運命は踊る」パンフレットp.11より抜粋)

クワイエット・プレイス(バルト9)→チューリップ・フィーバー(バルト9)→運命は踊る(ヒューマントラストシネマ有楽町)とみまして、運命は踊るは徴兵されてる息子の訃報を告げられて遺族たちが右往左往しているうちに、日頃は隠してる本当の性質がだんだんあぶり出てきたところで訃報が間違ってた(死んだのは息子と同姓同名の別人だった)ことを告げられ、それまでの右往左往がなんだったのかとばかりに父親が怒りを爆発させて、通達にきた軍人らにいますぐ息子を帰還させろと怒鳴りつけて実行させたところ、それが原因で息子が本当に死んでしまうという話。この父親というのが素直に悲しみを表現せず、落ち着かせようとする周囲を振り払って怒鳴り散らしたり、飼い犬が寄り添ってきても蹴りつけて遠ざからせたりとやたら怒りっぽい言動をとって自分は弱くないことをアピールしまくるんですが、ひとりになるとトイレで熱湯を手の甲に浴び続けて火傷を負ったりと自傷行為に走ったりする。当の息子はというと、だだっぴろい砂漠じみた荒野のなかにある検問所で同い年くらいの青年たち3人と共に警備にあたってるんですけども、たまに通るのはラクダだし、車がきてもあきらかに無害な地元民だし、寝るとこはコンテナ(ちょっとずつ沈みかかってる)のなかだし、いろいろグダグダな暮らしを送っている。ところがある夜にきた男女の乗る車から落ちたモノが原因でビビッて機銃掃射してしまい・・という展開。ここらへんはアルマジロやウィンドリバーと同じく「モノもヒトもなにもない砂漠の退屈のなかでそれ(暴力)が待ち望まれてしまう」系譜ですな。弱さが原因でやったことが最悪の結果に、というあたり、強がって無理に息子を引き戻そうとして最悪の結果をもたらしてしまう父親と似ているかんじ。しかも息子のほうは上官の命令とはいえ失敗を隠蔽してしまう。そしてその直後に息子は死んでしまうんですが、パンフみたら監督さんは因果応報モノとしてこれを描いてるそうで。ユダヤ教にも因果応報思想があるのかな。「踊る」というよりもよく言えば「行きて帰りし物語」つーか。もとのところにもどってくる。最終的には息子の両親が別居してしまって(離婚した?)、弱さを隠して強い男ぶってきた夫を妻がなじるものの、妻もまた手の指に自傷行為じみた傷を負っていて、お互い寄り添い合う。最後のほう、息子が死ぬところがあとまわしに配置されてるから夫妻のやりとりがなんなのか最初ちょっとわからなかったりした。あと息子が描いてるイラストでちんこ握ってるシーンがあるんですけど、ボカシなくちゃんと映ってたのでよかった。ちんこの先っぽをボカす思想ってなんなんでしょうね。単なる棒と穴なのに。それと冒頭でたずねてくる軍人が、息子の訃報きいて倒れた奥さんを落ち着かせる?ために注射打つんですけど、手際がよすぎて管理社会SFじみててこわい。夫に水のむことを知らせる時報とかも。

チューリップ・フィーバーは1600年頃のオランダの孤児院兼修道院で育った女子が、金持ちの商人のおっさんとこに嫁いだものの子供がいっこうにできなくて悩んでたところ、気分転換に頼んだ肖像画描きの青年と恋してしまってさあ大変、つーアレ。なんかパンフの中野さん文にでてたんですけど、当時のオランダでは画家がたくさんいて(一般市民が発注してたらしい)、薄利多売してたんで兼業しないと食えないくらい貧しかったらしいすね。主人公の女子が恋する青年も貧しかったんで、彼女といっしょになるために当時流行してたチューリップの売買に手をだすものの・・という筋。なんで画家青年が本格的に主人公女子といっしょになろうと思ったかというと女子の家に勤める女中さんが妊娠したものの相手の魚売りの男が失踪してしまった(彼もまた貧しいためにチューリップ売買に手をだして高値で売れたものの、女中さんが浮気したと勘違いしてフラフラしてたら全財産盗られてしまい、失意のなか外国へ強引に行かされてしまう)ため、じゃあ残された女中さんのおなかの子を自分の子として夫に告げて自分は死んだことにすれば画家青年と暮らせるじゃない!と思いつき、それを聞いた画家青年が一念発起してチューリップ売買で一攫千金を得ることに邁進してくという。ところがこの画家青年があちこちに借金してたらしくて、いざ球根を取りに行こうとすると金貸した人たちが押し掛けて青年を逃さんように押し止めるもんで、なぜか元アル中のオヤジが代わりに球根をもらってくることになって、飲むなよ!ぜったいに飲むなよ!と念押しされたにも関わらず帰途酒の誘惑に負けてしまって球根を紛失(食べたんだっけ)してしまう。 ガッカリして帰ってく金貸し人と青年。おまけに恋する主人公女子の服が川に浮いていて、女子が死んだものと勘違いしてしまう。女子はというと棺桶に入っているうちになぜか改心してしまって金持ち夫のもとにもどるものの、赤ん坊をあやす夫をみてもう戻れないかんじになっていたため、とぼとぼと贖罪の途につく。そのとき女中さんとこには元魚屋の元カレがもどってきて復縁し、その会話(浮気したのは自分の服を借りた主人公女子だったこと)を聞いた金持ち商人夫がなんかもういろいろあきらめ、住んでる家を女中さんにあげて東インド会社に行ってしまう。数年後、画家仕事をするため招かれた修道院で青年が女子と出会い・・ていうのが大筋。この修道院は話のなかで何度もでてくるんですが、孤児院もやればチューリップ栽培もするし、なんか物語の狂言まわし的な重要ポイント。あといちばんかわいそうな金持ち夫が、過去にしでかした件でずっと後悔してるあたりが運命は踊るの夫とちょっと似てるかなあと思ったり。

クワイエットプレイスは聴覚だけが異常に発達した化け物によって大半の人が殺されてしまった世界で、なるたけ音たてないように暮らしてる家族が、音がどうしてもでてしまう状況(怪我したり出産したり)をどうにかやりすごしながら化け物と対峙することになる話。目がよすぎる天津飯に悟空が太陽拳かますエピソードを思い出した。