性犯罪被害者の方にエロ創作物の規制をどう思うか聞いてみろ>エセ人権屋ども

『「死」の扱い方として、難病エクスプロイテーションという手法は最悪だ。ヴァーホーヴェンは言わずもがな、「ブラッド・ピーセズ」のほうがまだ「死」と「セックス」に対して誠実な態度をとっている。人間は苦痛に絶叫してのたうち回って死ぬのが当たり前で、スラッシャー映画に登場する人物はいかに薄っぺらいキャラクター造形だろうと、全員が迫り来る死と格闘しているからだ。自分たちから切り離された「他人事としての死」しか描かない難病エクスプロイテーションは、その点で明らかに最低のホラー映画にも劣る。恥を知れと言いたい。
 しかるに「セックス」と「死」がなぜ人類普遍のテーマかといえば、それが誰にとっても切迫した喫緊の最重要事だからだ(セックスも死も自分には大して関係ないや、とか思ってる「草食系」とやらは今すぐ死んでしまえばいいと思う)。が、難病エクスプロイテーションにおいて、「死」は「誰かの死」という形でまったく外在化されてしまう。いったいこれより不誠実な態度があるだろうか!
 逆に、優れた映画(だけにとどまらないが)は苦痛に満ちた映画「死」を引き延ばして突きつけてくる。(中略)
「(自分にとって)不快だから」という理由で汚穢や残酷から目を背け、清く正しく美しい、まったく架空の世界に遊ぶことを普通は現実逃避という
 逆に映画は「現実逃避のメディアだ」と不当に非難されることがあるが、そう言う人たちはフィクションに対してどこか屈折した憎悪を抱いているように思えてならない。(中略)「不快感を与える」という物言いはよく耳にするところだが、単に自分が気に入らないものを「公衆に(あるいは「子供に」)悪影響がある」などと言い換えるのは実にずるいやり方である。
 ロックやヒップホップの輸入盤CDに「PARENTAL ADVISORY」というシールが貼ってあるのを目にした人は多いと思う。「成人指定」の意味で、歌詞がバイオレントであったり、ファックやビッチといった単語が頻出するものの貼られるレッテルだ。基準はMPAAの場合と同じく多岐にわたる。よくあるジョークで恐縮だが、こういう「成人指定」の基準を聖書にあてはめると、たちまち聖書は発禁対象となり得る。聖書(特に旧約)は大虐殺と乱交と残酷描写のオンパレードで、近親相姦(娘が父親とセックスする)や性奴隷(父親が暴漢の集団に、息子をホモセックスのターゲットにする代わりに娘をやるといって差し出す)まで登場する一大残酷淫乱絵巻だからだ。聖書は歴史的な書物だから云々という異論があるのは承知しているが、セックスや死は歴史的な遺物ではない。連綿と続く人類の本質なわけで、「不快だから」とセックスや暴力、残酷について表現することを禁じたが最後、人類の全歴史は「許されざるもの」と化すのだ。もちろん、「適度にぼかして」「配慮した」表現では何もかも損なわれてしまう。当然である。毎回例に持ち出すのも気が引けるが、「プライベート・ライアン」から残酷描写を取り去ったら何が残るのか?何も残らない。ちょうど「マニアック」や「13日の金曜日」から残酷描写を取り除いたら何も残らないのと同じようにだ。「不快な表現」には正当な存在理由があり得る。前回も書いたとおり、「ショック描写」は「人にショックを与える」ということが存在意義であり目的でもある。これは個人の好悪などとはまったく別の問題だし、社会規範やモラルを持ち出して難詰するのもお門違いだ。受け手にショックを与える作品を生み出すという営為は、流動的に変化する「モラル」などとは無関係に価値があるからだ。むしろ、積極的にその時代・場所における「モラル」の風潮に逆らってこそ、ショック価値が増すというものである。
残酷描写の本質は「それがあまりにも根源的であるが故に、自己目的化する」ところにある。西洋美術を例にとって考えてみるといいかもしれない。ヨーロッパの教会で聖人像を目にすることはありふれた経験だが、その多くは処刑の様子だったりもする。射抜かれ、X字架にかけられ、火あぶりにされ、首をはねられ、トゲトゲ突きの巨大な車輪に挽かれる聖人たちは、一様に恍惚の表情を浮かべている。とんでもない変態としか思えないが、「いかにひどい拷問を耐え、神に殉じたか」という聖人の聖人たるゆえんを表現しようとした際に、血なまぐささを払拭することなどできなかったのだ。逆に、もっとリアルに、さらなる残酷さを強調した像や絵画が求められた。もとのバックグラウンド・ストーリーよりも、即物的な切株描写が自己目的化して、エスカレートしていったのだ。
キリスト像も同様だ、有名なグリューネヴァルトによるイーゼンハイム祭壇画のキリストなど、死斑が浮き出した緑色のガリガリ亡者で、まるでゾンビ映画のポスターそのものである。じゃあ、ゾンビ映画のポスターはダメで、キリストの死体ならよし(キリストはその後蘇ったので実際ゾンビでもある)とする根拠は一体なんだ?カラヴァッジオが描いた首チョンパが、トム・サヴィーニの作り出した生首切断イリュージョンより容認されるべき理由があるというのか?
そんなものはない。どちらも苦痛に満ちた悲惨な死を表現したものである、という一点で、ぼくは聖人画もスラッシャー映画も切株表現として同等だと信じる。(中略)残酷な表現を「不快感を与える」などと禁じたが最後、「はだしのゲン」も丸木位里の「原爆の図」も見られなくなってしまう。どちらも優れた作品であると同時に、きわめて残酷かつ切株的な表現でもある。すべての切株的な表現はおしなべてショックを与えることを主眼としているので(そうでないなら切株表現ではない)、意図においても形式においても残酷描写は普遍的なものだ、とすら言える。』(p.20-25)

『「首だけ女」というタイトルは誤り。正確には「首と内臓だけ女」です。「あっ、首が飛ぶ!」と思った瞬間に内臓もオマケについて来たシーンの所見の衝撃は筆舌に尽くしがたい。夜人知れず飛来してくる首と内臓だけ女、内臓がバンバン、ドアや竹やぶに引っかかっている。内臓損傷が気になって仕方がない。「よしわかった!」と地元のエクソシストの退治法が、首(と内臓)が飛んでいっている時のお留守の胴体を発見して首の断面に竹串刺して戻れなくするという実にホノボノした対処法(でも効果絶大)。ババァの魔力は強大で、その辺の魔術師では太刀打ち出来ない。
 ところがラストいきなり「ワシにまかせんしゃーい」と今までまったく出てこなかった仙人が座禅組みつつ空中浮遊で登場、ビーム飛び交う大バトルになるあたりは「ああ、まだそういったファンタジーが残っているんだなぁ」とトトルに会ったような気持ちになりました。実際まだ魔術などの文化が残っている地域のようで、スタッフが「みんな近所の奴らは魔女とか信じてるから撮影大変だったよアッハッハ」って言ってましたが、首と内臓女が飛んで来て臨月の妊婦の胎児啜り出して食べちゃう映画なんかどこで撮っても大変だと思いますよ!主役のねーちゃんはドイツ人のまったくの素人。バリ旅行中に無理矢理スカウトされて首と内臓だけ女やらされたのだから海外旅行の恐怖は「ホステル」だけじゃないってことですね。』(p.75)

『白人に支配されたインドネシア。強制労働や搾取に苦しむ民の元に、現れた義賊ジャカが圧政に立ち向かっていく。業を煮やした白人軍団は、かつて地元で恐怖の大王として恐れられ、首をはねられ殺された大黒魔術師を復活させるのでありました。
 口に竹槍が串刺し、牛の首をねじ切り、蘇った首無し死体が首を求めてうろうろ、牢獄に手足をクギで打ち付けられ、その上両目を潰される妖術で豚に変形させて犬に喰わせる、白魔術師の超ローテク眼球移植手術(テレキネシスで目玉が宙を舞う!)、超高速で飛ばした葉っぱが百姓ののど笛をかっ切る!とファンタジーを求めてやって来た子供がヒキツケを起こしそうな描写ばかりです。
 切れた足を妖術で飛ばして攻撃する黒魔術師に至ってはダルシムを超えています。西洋人に協力した奴らはラストに皆ハラワタぶち撒いて死ぬ因果応報ぶり。
 このシリーズは大好評で、インドネシア座頭市「ブラインドマン」との共演作「The Warrior vs The Blind swordman」も作られました。』(p.77)

NASAのロケットが金星での探索を終え、地球への帰還中に突如墜落。その残骸をガキんちょが発見し、中に入ってたドロドロスライムをイタチの巣の穴に流し込みます。すると突然、ドロドロスライムをぶっかけられたイタチさんは、ブクブクブーと凶暴な巨大イタチに変身。しかし、その姿はどう見てもイタチに見えず、どちらかと言うと、ガチガチのウンコのようです。早速、ガチグソイタチは、ガキんちょをバラバラにしたり、おっさんを引っ掻いたり大暴れ。地元の敏腕刑事も動き出すのですが、何やら世界征服を企むキチガイ科学者なんかが出てきちゃったりで、予算はないのにスケールはでかくなる一方です。最後は、何だかよくわかんない怪物に変身した刑事の相棒がイタチと格闘し、科学者はサメに喰われました…… ビデオマーケット店員ミヤヂ

『「さでど、仕事にいぐが!」っとホワイトトラッシュ丸出しのビリーとジェイコブの二人は、今日もヤッピーの家に行っては、芝を刈り。ついでにヤッピーの面の皮をへっぺがしたり、身体をノコギリでギコギコしたり、ダイナマイトを口に突っ込んで爆破したりと、お客さまの信用と信頼を第一に考えています。しかし、ある日、ビリーに怒られたジェイコブは、「もうこんなことしたくないずら!」と監禁してた女を逃がしてしまいます。女はビリーと裏庭でド突きあって、あともう少しというところまで追いつめますが、あっさり悪の道に戻ってきたジェイコブに首を刎ね飛ばされます。そして、ビリーとジェイコブは床屋で身なりを整え、スーツを着て、ヤッピーになりましたとさ。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

『「おっぱいのデカいヨメはんが欲しいヅラ!!」という元リアルホームレスで現在、勤め先の運送会社の事務所で寝泊まりしているフランクじいさんの夢を叶えるため、同僚が新聞に彼女募集の広告を載せてあげたりします。しかし、やれイケメンだ、やれ金持ちだと書いてしまったもんで、いかんせん、実際に会うとなると、フランクじいさんは見たまんまホームレスだし、歯がないのでウィットに富んだ会話もできず、女性は「死ね!! クソじじぃ!!」とかヒドいことを言ってきます。フランクじいさんはそんな奴らの目ん玉を引っこ抜いて、そこにチンポを突っ込んで殺したりしますが、最後は爽やかな感動があなたを包むでしょう。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

『とある野外パーティーで妹が犯されているのをいるのを目撃したお兄さんは怒り狂って、犯した男をブチ殺し、妹を車で連れて帰ろうとしますが、運転がヘタクソだったので車は横転!爆発!炎上!っと、まさに重度の妹燃えと診断されたお兄さんは、精神病院に入れられてしまいます。しかし、数年後、別の病院へと車で輸送されているときに事故に遭い、逃走。そして、近所でたまたまやってたパーティーに潜り込み、「できるかな」のゴン太くんと気の抜けたロブ・ゾンビを足して数日間、ゴミ捨て場に放置したようなルックスで、次々とハシャいでいる若者を杭で串刺しにしていきます。でも、最後は車に跳ね飛ばされたお兄さんが気に激突し、串刺しになりました。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

『昼間のパパはぁ〜男だぜぇ〜っと、島を訪れる人を芝刈り機でミンチにしたりするのが、パパの本職なのですが、なにせゴーヤみたいなウリ頭でかなり目立つもんで、そういうことは息子たちに任せ、昼間は幼い娘の面倒をみたり、主夫業に専念しています。しかし、そんな幸せな生活も長くは続かず、とある敏腕刑事が捜査に乗り出してきます。そいつは「Weaseks Rip My Flesh」に出てきた刑事なのですが、映画の終盤に差し掛かると、今までの流れを覆す衝撃の秘密が明らかとなり、息子は息子でなぜだか知りませんが、改心して「人殺しはよくないよ、お父さん!」なんて言い出しやがります。そんな息子をゴーヤパパはチェーンソーでバラバラにして娘の夕飯のおかずにしました。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

『天才的なお医者さんだったお父さんは、「ニルヴァーナ」という全世界の音楽ファンを敵に回すようなネーミングのドラッグを開発したのですが、自ら手を出してしまったため、「もう、タマらん!むはぁっ!」となると溶解人間ベムみたいな姿に変身し、口からチンポコみたいな触手をだしては、街で拾った女の子の脳みそをズビズバァ〜と吸いまくるようになってしまいました。そんなお父さんの新たな性癖を知って、娘は「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで欲しい」と母親に訴えますが、どうにもならないのでお父さんと闘う決意をするのでした。この映画は、皆さんが思っている以上に退屈で、ビデオ撮りだし、ストリップバーでもポールダンサーは水着着用という生温さです。クスリでもキメてないとちゃんと見られませんよ。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

『奥さんが留守の間に人体の70%がザーメンでできてるような友達と一緒にストリッパーを呼んでウヒャウヒャ騒いでたら、奥さんはぶち切れないで、隣に住むブードゥー教の司祭のおばちゃんがぶち切れちゃって、アババーっと呪文を唱え、ダッチワイフに命を吹き込みます。そして、そのダッチワイフが次々ザーメンズのチンコを喰いちぎってブッ殺して行くという、日本でも良くあるご近所トラブル物です。編集してみたら尺が足りなかったのか、途中、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」や「ホワイト・ゾンビ」のフッテージが無意味に挿入され、何だか、中学の頃、ほのかに恋心をいだいていた成績優秀で学級委員もやっていた女の子に西川口のソープでばったり会っちゃったみたいな気まずさです。 ビデオマーケット店員ミヤヂ

上記『』内はインドネシアの魔術師映画までがヒーホ別冊の切株本続編から、 あとのはTRASH-UP初号からの各抜粋です。もう疲れたんで寝たいですがまあ書きます。残虐描写とかコドモエロ漫画とかにいちいち目くじらたてて、そういう創作物をこの世から消し去ることが正義などと思い込んでる人権団体とか日本ユニセフとかに聞きたいんですけど、この世で実際に起きていることを創作物で描いたらいけないのはどうしてなんですかね。こういう団体が犯罪に対処する方法として「根絶の手始めに」という名目でなぜか根絶したいものを描写したつくりものをつくったりみられないようにすることから始める場合が多いようですが、現実を描いた創作物を無くすと、ただでさえ隠されがちな現実を多くの人が直視しづらくなってよりよく考えることができなくなってしまう=解決からさらに遠ざかってしまうように思うんですが。だいたい創作物の表現方法を権力者が左右するなんてどこの社会主義国家だよ。そういう状態が物事の解決からいちばん遠いというのに、それにより近い方法を選択するなんて頭がおかしいよ。というか、日本以外の海外の国はエロ創作物の表現方法に関する規制がものすごく厳しくて性犯罪がすごく多いですが、それはオナニー道具を規制してるんだからあたりまえで、規制から生み出された性犯罪者たちのえじきになっている被害者はいわばその規制を取り決めた国家が生み出してることになりますけど、被害者の方たちはオナニー道具を禁じたりしたバカな政府を訴えて慰謝料ふんだくってやればいいと思う。
  アメリカ女性の方、出番ですよ!
ちなみにタマヒメさんとこでエロ漫画をやりとりしただけで懲役数十年課された件だのつかまったショックで自殺者がでた件だの、2NNでは趣味の集まりが摘発された件等意味わからないすぎることが起こってるもようですし、ここポンニでもポリが「根絶」だの「排除」だのいう言葉を使ってイキまいてますけど、まー実際に生身の子供を無理矢理使ったりしたら厳罰でちょうどいいと思いますが、これから生まれる子供たち自身が児童ポルノ嗜好を生まれながらに持っていたら、その子たちは「根絶」や「排除」の対象になるってことで、要するに死ねってことなのかな?小児嗜好という性癖者は死んで当たり前だと思ってるのか?非道ですね。何も端から虐殺なんてひどいことせずとも、そういう性癖を満たす創作物で生涯おとなしく抜いててくれれば生きてていいじゃんか。その性癖を満たすための創作物をつくれなくさせるっていったいどんなバカなんだよ。これは弾圧だしユダヤ人だからといって大量虐殺したのと同じファシズムだよ。そんな人はいつ現実の子供に手を出すかわからないから規制しろっていうのって、それは残虐映像や残虐漫画を読んでる人がいつ生身の人間に残虐行為するかわからないとか言うのと同じでバカげてる。創作物で満足してる人がわざわざ社会的に自分の立場があやうくなる危険を犯してまでコトに及ぶ確率ってすげえ低いんじゃねえの?実際にエロ創作物が自由な日本がいま世界のなかでもいちばんくらいに性犯罪が少ないんだし。白人の人権団体とか日本ユニセフは日本が平穏な状態がよっぽど気に入らないんですかね。てめえらの母国じゃ規制きつくて性犯罪被害者がどんどん増えてるっつーのに。やっぱり締め付けでは物事はよくならなくて、何事も解決は「愛」がいちばんよね。人権団体や日本ユニセフにはへんな性癖を持って生まれた人は生み出されたその日に死ねばいいと思ってて、許しはおろか愛なんぞ与えてやる気はみじんもないですもんね。このエセ人権団体や腐った日本ユニセフの連中に「小児嗜好の人が平穏に生きていくにはどうしたらいいのでしょうか」ってたずねてやればいいよ。たぶん「普通の性癖に戻ってよ云々」とか知識が皆無なバカ&差別丸出しの言説しかひねり出せないだろうからきっとおもしろいよ。この人たちは悪者をつくって正義の味方として金集めをして権力を握りたいんでしょうけど、そういうやりかたってアパルトヘイトや奴隷扱いと同じで差別そのものですよね。そんな狭隘な見識しかなくてよく人権を守るだなんだと語れますねえ。

追記(6/21)。よくよく考えるとPG-13みたいな映像の年齢制限て、子供の意志を無視した人権侵害じゃね?「13歳以下」みたいに年齢で一網打尽にするところなんか個人の考えは尊重しないって宣言してるようなものだし。そう考えるとエコなんかも突き詰めれば人間イラネってことになって人権侵害ですし、こうなったらエコ大好きな団体と人権大好きな団体で殺し合っていなくなってくれればちょうどいいのになあとしみじみします。
結局なにかひとつを過剰に守り立てる主張をくりひろげる人たちがその対極となるものを弾圧している、という真実があぶりだされました。寝ます。