子供のいたずらはいつも無償の行為であり、「なぜ」に理由がある筈はない


 
プティ:僕は今までの人生で許可なしに行動したことはなかった。でも、決して挑戦を許してくれない相手に対して許可を求めるという無駄な努力に時間を割くべきではないと思ったんだ。芸術家は許可を求めるべきではないと思う。ただ、挑戦するべきなんだ。そう、時には権力者といざこざを起こすこともあるけれど、僕は決して許可をとらないね。』
 
山下 (中略)たった10年で、もう日本で一番の現代美術コレクションになってしまったことに対して、なんかかえって情けないと思いません?
 高橋 僕はそんなおこがましいことは言えないけれど、村上、奈良を除いて世界に発信することをやれた美術関係者がいないということは本当に情けない。
 山下 いや、僕は世界に発信する必要なんかないと思いますよ。見たければ見に来いよ、でいいと思うんですが。
 高橋 僕は、この連休、北京に行ってきたけど、やっぱり西洋人の鼻づらを振り回すには、ヨーロッパ資本とくっついて、空間も用意して、北京の土地だけれど、キュレーターは例えば半分ヨーロッパ人にして、世界のアートシーンのトップに出るというようなことをしないと、結局また、日本人っておバカだから、学習しないままになる。やはりコンテンポラリーというのは、西洋の文脈の、半分は社交なんですよね。
 山下 そう、「現代美術=社交」の一言でほとんど片付きますね。
 高橋 その社交が世界を支配するところで、日本の発言力はほとんど無に等しい。
 山下 だから、黙ってしまえばいいんですよ。黙って作り続けていれば、見せてくれと言ってくる。鎖国していた江戸時代、一番すばらしいものができているわけですよ。平安時代もほとんど海外との通商は無かったから、やはり一番良いものができている。
 高橋 うーん。
 山下 もっと遡れば、縄文時代、最高のものができている。西尾君をもっとすごくしたような土器や土偶が、いっぱいあるわけですよ。
 高橋 なるほど。
 山下 西尾君はすごいと思いますよ。どこかバカでかい会場で、やってほしいですね。ヴェネツィアビエンナーレなんてセコい会場じゃなくてね。
 高橋 山下先生の言うとおりで、美術史的に言うと、再発見される作家だけが本物だということがあるけれども、同時代に自分たちの才能を開花させて、しかも大きな顔をしているところに、何となく日本人面して、すこし気持ちよくなりたいという気持ちは、はっきり言って僕の中にもありますよ。それから、僕は精神科医だから。やはり日本の若者たちが、ここまで自信をなくし、働き場所は無い、でも小銭はあるから、ゲームや漫画や劇画を通して、知的な富、あるいは美的な富を作った。もう巨大な実験場みたいなものですよ。そのことの意味を、若い世代が少し誇らしげに語れるようなことは、山下先生も含めて僕らの世代がやってあげてもいいと思うんです。
 山下 優しいですね。このコレクションをそのまま外国に持って行って見せることに、僕は賛成ですよ。すごく意味がある。ただ、上っ面のグローバリゼーションみたいなかけ声で、現代美術が薄皮饅頭の皮みたいになっていることに対しては、僕は否定的ですね。高橋コレクションの面々は、基本的に自分の足下を掘ってるやつらでしょう。地球は丸いんだからまっすぐ自分の足下を掘っていれば、核心に突き当たる。遠くから掘り進んでいったって、地球の真ん中で他のやつと突き当たるわけですよ。それが表現ということでしょう。何かちょっと興奮してきましたけど。すみません。
 高橋 いい話ですねー。
 山下 でもね、何か網目が覆うみたいに、妙にラッピングされているのが、今のアートマーケットだと思いますね。で、本当にまっすぐ掘っているやつかどうかというのは、一応、かなり時間が経たないと、歴史の判定はくだらないと思うんですよ。』
 
『私はイギリスで展覧会の企画をした際、加藤美佳近藤聡乃青島千穂束芋ら、数人の若い日本人女性作家を取り上げ、「女性の身体論におけるキュート・カルチャー」を研究テーマにした。しかし、美術館のキュレーターはこのようにコメントした。「"可愛い"という言葉は、あまり知的に聞こえないね」と。たしかに、西洋のアートの文脈には、「可愛い」という概念は薄く、芸術作品において"可愛い"表現は稀なのだろう。"cuteness"は、知的でアカデミックな研究テーマにはとてもなり得ないのだ。そのうえ、西洋人の視線からして見ると、男女問わず、アジアの女性の身体を描いた表現は、脆くて可愛く、しかも幼く見えるせいか、"美しい大人の女性"よりも"ロリコン"に近い美しさがあるように思われている。西洋のフェミニストや批評家にとって、彼女達のアート表現は、男性の視線を気にし、女性の身体を軽んじているようにすら考えられているのだ。政治的に正しい(ポリティカリー・コレクト)ということよりも、女性が描いた"可愛い体"をテーマにした作品が、変質者の視線を引き寄せる恐れがあり、道徳違反だ、というわけだ。』(藩廣宜「狂気の魔女、儚い僕」より抜粋)
 
上記『』内は最初のがマンオンワイヤーのパンフ(本日題はパンフ内の川本さん文より)からで、次の2つが高コレ目録からの抜粋です。そういえばゼロさん新刊のいちばん最後に載ってる話みてあらためて思ったんですけど、日本のエロ漫画のコドモエロものってさ、たとえ最初は大人の男や女に子供のほうが凌辱されるシチュエーションの話でも、最終的には子供のほうが主導権を握ってるふうな展開の話がけっこう多いんですよね。佐々原憂樹なんかそんな話ばっかだし。子供の性という禁断の果実にトチ狂う大人を冷めた目で観察して手玉にとる的な、中身だけが大人よりも大人になってしまった「おそるべき子供」的な描写が中心つーか。ポンニ人の男はどうも萌え対象のちびっ子に心身ともに操られてしまいたい願望が強いんですかねえ。そういえば幼形のもつ可愛らしさって生物が生き延びるための防衛機能のようなもの(相手を萌えさせて守ってもらう)で、そこからすると幼い者だけが持つ愛らしさは発芽が防衛機能として持ってる毒と同じだと思うんですが、その毒に痺れてしまいがちなのは生きるのに疲れたおとなの若々しい生命力に触れたいという願望が根っこにあるせいなんですかね。なにしろ日本のコドモエロ漫画では子供が人形みたいに扱われるのよりも、性に触れた子供がどうなっていくか、心の移り変わりをつぶさに描いてるものがかなり多いんですよね(ありえないファンタジー展開もあるけどそれはオナニー目的だけにご愛嬌)。たしか西安さんのどの単行本か忘れたけど、冷たい両親から離れたいがゆえに自分から売春をして稼いでひとり暮らしの夢を叶えようとしてる少女の話なんてのもあったし。頭ごなしに描くのや創作物の売買を禁じようとする連中って、まともに中身読まずに「ヒドイもの」っていう偏った認識しかない無知状態でイメージだけ勝手に思い描いて真っ赤になってるだけなんだろうね。あと人権団体や白人さんたちが大嫌いなレイプ描写のものでは、多人数の場合だとなぜかみんな幸せ〜♪みたいなほのぼのした展開のもんがけっこうあるし。性で「心身共に堕ちる」描写は安易に描き飛ばしてる作家のではいくらでもあるけど、優れた描き手の作品ではめったに見かけないです。それはたぶんすごくむずかしいからだと思う。麻薬打たれて狂っちゃうみたいのはできても、しらふで精神が隷属するのを真摯に描写すんのは相当骨が折れるだろうな。名前忘れたけどさっぱりエロくなくて絵もさしてうまくないエロ漫画家で、かなり暗黒な強制隷属作品があったな。あれは小学生の女子だけを狙って洗脳しまくってるレズビアン教師の話だったかな。話がすごかったけど全然エロくないやつ。ぜんたい児童ポルノやレイプが題材とみるや絵だろうとなんだろうと頭の血管が切れてまともな思考ができなくなる原始人的な外人さんには何を言っても通じないとは思いますけど。つーかロリロリが「知的でアカデミックな研究テーマにはとてもなり得ない」とか(爆)未知のものを知的世界の俎上に取り上げるのくりかえしで知的世界って成り立ってんじゃねーのかね。ありえないとか言ってたら常に巷の現象をすくいとる社会学なんか「知的でアカデミックな」世界とやらでは存在しないことになっちゃうんじゃ。あと上記『』内にある『女性が描いた"可愛い体"をテーマにした作品が、変質者の視線を引き寄せる恐れがあり、道徳違反だ』の部分も笑ったし。現ポンニ現代美術界はどう考えても自分の変態っぷりをこれみよがしにさらしてナンボな人ばっかしですけどねえ。ポンニ現代美術界自体が道徳違反てことなんすかね(赤)
ここ数日の鑑賞順としてはネオテニージャパン高橋コレクション(金曜。上野)→マンオンワイヤー(日曜。テアトルタイムズスクエア)→アルマズプロジェクト(えぬ)→会田誠 vs. Chim↑Pom(cafe PIKEY)とみてきまして、会田さんとちんぽさんの話し合いの前にえぬ下のアニメイト寄ったらこれが置いてあって、帯の惹句があんまりすばらしすぎるのでこれはー!!とばかりに即買いして道すがらそうだこの表紙にサインもらえばいいんだ!と目論んでまんまと書いてもらったんですけど、常備してる水性ペンしかなかったために持ち帰ったらグジャグジャになっちまいましたよ…。ちんぽさんの小学生のラクガキレベルの書込みと会田さんの陰毛描きこみが(ツルマン拒否ってことなんですかね。意外に常識人[失笑)…。サインとかもらったことがないんで案配がわからんかった…。こんどはコンビニでマッキー買ってから望まなきゃな。そういえばさー、ちんぽさんたちにサインもらった時に、メンバーの人にこれからも日本国民の怒りに火を注いでいってください、て言ったらそんなことしませんよ!とか鳩が豆鉄砲くったような目をしてこれまでの作品の方向性を完全否定する内容の返答を返してきましたし、会田さんもトークの最中にべつに世間を怒らせたくてやってるんじゃないんですけど…みたいに言ってまして、たしかにゲージツ家はすべて世の中をみたまま表現してる鏡のような無害なものだという事実は重々わかってますけど、つーかマジでそう思ってる人は悪意こもりまくりの作品を堂々と発表したりしねーし。怒りとかをまんま言葉に出してたら無用の勘違いをされて芸術家として生きる上での生命線に関わるからってわからなくはないんですけど、それでもああいう「ぼくは悪いことは考えてません」系の方便てわざわざ言ってかなきゃいけないものなんですかね。優れたゲージツ家のあのテの発言聞くとクソむかつくんだが。悪いこと考えてないわけねーだろ。べつに声張り上げてなんか言えってことじゃなしに、あの地位安泰にすがりつく的な姿勢丸出しかげんがなんかなあ…。トーク聞いてた客もリアクションの薄い草食動物ばかりなようでしたのでなんにも思わないし感じないんでしょうけど。ドブネズミに喰われるなり伝染病で死ぬなりすればいいのに。トークの場所も代官山のおサレ飲み屋だったんですけど、なんか店の人がトークショー慣れてないらしくて客が満杯だっつーのに椅子とかまったく用意してなくてほぼ立ち見だし、店内のつくり上で奥のほうの客がトークショーの人をまったく見ることが出来ない配置でやってるしさー(店内がコの字になってて会田さんとちんぽさんはいちばん端っこの奥でやってる)。あとここのオムライスなんですけど、卵やソースはふつうにおいしい(ちょっとしょっぱかった)んですが、ご飯がなんか五穀米?とかいうアレらしくて、ちいさくて固い豆みたいのがいっぱい混ざってるやつでさ。クチのなかでゴソゴソかさばって食べにくいし、消化が悪いみたいで下痢になっちまったよ。なんか店の人は客の気持ちを考えなさすぎです。店員のおねえさんも働きだして日が浅いみたいで酒の値段がまったくわからなくて、注文受けたらいちいちメニュー見直して金もらってる始末だし(ワイン注文されてもどこにあるかわからないみたいで大わらわ中の店長にいちいち頼んでる始末で使えない人まるだしだったし)。まあこのおねえさんはその内慣れるとしても、この店やってる人が客のきもちをまったく考えない人にしか思えない最悪なとこだった。あの五穀米オムライスは店の人は自分で食って最高にうまいとか思ってんのかなあ。健康のためとかいってあんな食べにくくてマズイもんなんか食うんだったらバター大量に使ったパンを食べて短い生涯をまっとうするほうを選びます。快楽に疎い人がやってる飲み屋ってマジ最悪ですな。あのへんうろついてる目がオサレで曇りきった脳のカスカスな草食動物はああいうのでも大満足なんでしょうけど。おいらは2度といやです。いろいろそれましたが、肝心のトークショーでは話してる人が全員ネオテニージャパン展などまったくみてないということでしたが、舞台裏の話とかちょこちょことしてた。上野の森美術館の控え室にはなんか皇室人の○○宮様がどーたら書いてあるとかで兎に角お国の威光がかってるとこらしくて、当初出品予定だった会田さんの切腹女子高生が官庁のお役人の逆鱗にふれて出品とりやめになった件とか舟越桂が大嫌いだとか話してました。ちんぽさんたちは小沢が大嫌いって言ってた。あとちんぽさんたちが海外の記者からことあるごとに村上隆をどう思うか聞かれまくってるそうです。いかにも穏便に済ませたいふうにべつにどうも思いませんよーハハハ〜とか軽薄にヘラヘラ笑ってました。ちんぽさんたちって自堕落で無責任な半ニート大学生みたいな風体&態度なところがなんか歩く作品じみててすごくいいですね。ゲージツ家然としてふんぞりかえっている自称芸術家さんとそういう人こそが芸術家だと思い込んでちんぽさんたちを火あぶりにしようとする人たちには死んでも理解できないんでしょうけど。あとひろしまでピカの発表前に外人さんにパクられそうになったとか、会田さんは酒の席でちんぽさんたちにアレやれコレやれ言うけれど、ちんぽさんたちはさっぱり聞かないとか会田さんは年内はほぼ北京常駐だとか。あそうそう、肝心のネオテニージャパンは幼形成熟がお題ということでいろいろ出てましたけど、変態永世チャンピオンの会田さんは置いとくとして、やっぱMr.が変態度では突出してました(ハウス名作劇場や宮崎アニメ影響下の暗黒面がよく表れてる作風ということを外人さんたちは知ってるだろうか)。あれを部屋に飾ってれば現代アートの理解者という免罪符をもつことになって児童ポルノでお縄になることもないんですかね。あとは見た目がすごくきれいな加藤美佳さんのとか、池田学さんの細密密集地帯系のとか青山悟さんの超リアル刺繍の骸骨とか、小谷元彦さんのシュルレアル寄りな美的感覚から作り出された空想道具とかいろいろ。町田久美さんのサド挿絵のは幼形の狂気というか、発芽がもってる毒みたいなものがいつまでも無くならずに脳にまわって狂気になってしまった子供たちが、いつまでも狂った遊びに興じてるような雰囲気がよくでてEですね。あとちんぽさんが大絶賛してる西尾康之さん作品はなんか遺跡から発掘されたちっくな造形の現代人像でしたが、今展にはでてないリアル腐乱女体像とか巨大女とかってさ、着想としては会田さんの巨大フジ隊員とキングギドラを発展させたもんに過ぎない気がするんですけど。まあ会田さんはアレ系の立体はやらないだけに西尾さんが作り続けてくれるのはうれCものですけどさ。ネオジャパ展のおみやげコーナーで会田さんのTシャツとネクタイ売ってましたけど2万ちかくして高っけ!!フリーターには買えねぇ!!基本的にゲージツ家やブランドの人は貧乏人は嫌いですよねーとしみじみ思わされました。ネオジャパ目録は高橋さんのコレクションだけに、作品ごとに高橋さんのひとことコメントがいちいちついてるとこがなんかよかったです。しかも小難しい評系のじゃなくて、その作品と出会った際に受けた感動や恍惚を素直にわかりやすく書いてて、やっぱ感受性の豊かな重度の変態なのだなあとしみじみしました。医者とか弁護士はなまじ頭がいいだけに変態度は救いようがないほど根深いと思いますよ。なにしろいかれた連中から巻き上げた数百万をドブにつっこんで涼しい顔してられる変態なんてちょっとやそっとのことじゃありません(赤)

マンオンワイヤーは法律とか言ってたら真におもしろいことなんかできません、という芸術の基本そのものな映画でした。冒頭が銀行強盗を企んでる泥棒たちみたいなカンジでいかしてた。でもいちばんの功労者でもある綱渡り協力者の人たちがWTC綱渡り成功後に犯罪者としてないがしろにされるのはひどいよなあ。つうかあの綱渡るプティの人が守ってあげるべきなのにさー、チヤホヤされたらとたんに協力してくれた仲間ほったらかしでそのまま捨てる形になっちゃってさ。あれはないわ。綱渡りをするためだけの蛮勇は讃えるけど、最後のあのプティの人の協力者に対して感謝も守りもせずバッサリ切り捨てて何も思わないっぽい天真爛漫すぎなところがちょっと気色悪かった。プティの人は子供のままで成長も老いもしない上学んだりもしないからああいうことができたんだな。ほんとの天使はかなり気色悪いものかもなあ。

アルマズプロジェクトは宇宙から実は謎の電波が送られてきてると同時に謎のウィルスも同時に送られてきてました、というブレアウィッチっぽいこんな映像みつかりました系の実録風映画の宇宙ステーション版。わりにちゃんとした構図で映されてるときにつくったんだなーと思います。パンフはそういう専門家の人のまじめな文がのってて、宇宙なんてフクザツなとこは死んでも行かねーと思いました。