歯をくいしばってでも正規入国したほうがいいよという話なんだろな

王子「ところで君の家のトイレは水洗かい?」
 「お、王子、そ、それは無理です、無理!! わたくし、十年前にネパールで食わせる体験はしております。やつらは本当によろこんで喰います。気が変になるくらい喜びます。しかし今回は、肉を人に食べていただくのです。どん引きされますってば!! 出来上がった肉は、王子の宮殿にもお送りするのですよ!!」』

上記『』内は内澤おねえさんの肥育日記からです。あれだ、うんこくったのとそうじゃないのとで味にちがいがあるのかどうかとか確かめればいいのでは。スカトロ嗜好者の脳髄を刺激すること必死。なんか掘骨砕三的世界だなあ。掘骨さんといえばゾフブさんに教えてもらってわかったんですけど、ついこの前まで掘骨さんと氏賀Y太は同一人物だとばかり思っていました。なんか突き抜けっぷりが同レベルなんで勝手に思い込んでた。やりすぎ上等といえばイエスが買い物するか!の人は昨日町山さんテレビで後半だけみましたけど、そういえばちょっと前のモーニングに載ってた聖☆おにいさんのネタがキリストが100円ショップの安さに大はしゃぎする話で、ビリーさんがあの漫画みたら真っ赤になるだろーなーと思いました。安ジーンズとかふつうにアジアの貧民を踏みつけにする形(低賃金奴隷労働)でつくられてるものですけど、中村光世界でのかみさまはビタ1文気づかないもよう。まー聖☆おにいさんの作品性質(神の休暇)上そうゆう過酷な現実には触れられないんでしょうけど。いちいちそこらへんやってたら毛色のちがう作品なっちゃうしな。町山さん番組のビリーさんの件にもどしますが、ローン組んでまでクリスマスプレゼントかうところが浪費迷惑家族まんまで万国共通にひどいのでどんどんバカにしてゆくといいなとは思うものの、こういうのもビリーさん的には許されないんですかね。いろいろカキましたがビリーさんのありさまを見るにつけひとりプライベートライアンと同じロックさがあってけっこうすきだったりもします。次週の買え買え界の悪の根源デズニーランド突撃編がけっこうたのしみ。

昨日はそれでも恋するバルセロナ(丸ピカ3)→ウィッチマウンテン(みゆき座)→扉をたたく人(恵比寿ガーデンシネマ)→エバンゲリオン破(ヒューマントラストシネマ渋谷)(へんな名前)とみまして、各所で話題のエバンゲリオンはアメリカ人の女の子が食いちぎられてバラバラになるところがよかった。そういう残虐シーンに義務教育で習う童謡流すのも凶悪でイカしてたし(あそこだけ現代美術作品っぽい冷酷さがあったな)。テレビでこの前やってたのを後半みただけの前知識がないに等しい状態なので細かいことはにんともかんともですが、人づてに小耳にはさんだ情報としては主人公の母親がロボットに溶け込んでて、青髪の子はそのロボットにのるためにつくられた主人公の母親のクローン人間で(こういう設定を一般の人に聞かせるとすごいびっくりする)…とかいう内容と思ってましたが深町さんとこに出てた情報ではちがうっぽい。なんか宇宙人が惑星占有争いしてる、みたいのが基本線なんですかね?ヤフーのお客さん説明からするとエバ世界での人類はリリスという大型宇宙人から生まれてきた生き物ということですが、そうなると進化論にはふつうに反してる設定つーことになるのかな。進化論否定といえば福音派の十八番ネタですが、進化論や科学を否定する姿勢が真剣であればあるほどアニオタが同人誌で熱心になってんのと変わらないもののような気もしてくる。イーストプレスさんのダーウィン本でも「理由に神もちだすのはロマンチックが止まらなすぎるんだよ!」て思考停止する民衆をハクスレーが怒鳴りつけてたし。エバにもどしますが、あの世界では天使(使徒?)が凶暴なけだものじみた生き物のように描かれてますけど、すると霊とかあの世とかはどういう扱いなんすかね。現実のしくみとして地上は基本的に霊の鍛錬の場らしいんで、それがなくなる危機がくるっつーのは神のほうで人間を見捨ててるということになる(及び無償の愛を注ぎ続ける存在[空気・水・太陽光etc]が一切なくなる)んですけど、そこらへんからすると人外の者の干渉で瞬時に数百万の人間が死んじゃったら人間という種が地上で努力したり生きて魂を鍛える意味がなくなる(=ヒトが地上に存在する意味がない)気もするんですけど。イチまんがにそうゆうマジなお話をしてもしかたないか。再度エバにもどしますけど、ヤフー説明では「ひとつの星に存在する種はひとつ」という法則のもと主人公一味の地下に封じられてる使徒を駆逐しようとして別の使徒が襲ってくるということですが、その「使徒」がひとつの星にたくさんいるとどうしてまずいんですかね。この「使徒」の本能をそのように設定した存在は何をおそれて「1惑星に複数種」をタブーとしたのか。なかよくできんのかあのデカブツたちは。進化論的にはいろんな生き物がいたほうがどんどん生まれてはイイかんじになるんでいいでしょうにね。きのうみた作品についてはラストでジャンプの熱血路線的とゆうかスーパーサイヤ人的な超越人間への進化っぽい展開になってました。なにしろ少女をバラバラにするとか、宮崎駿監督にはぜんぜんできないようなことを盛り込んであるところがひとあじちがうし、現ポンニ映画界では最高のエンターテインメント度を誇ってるつくりなのはたしかです。おいらがみた際はレイトショーでしたけど、けっこう入ってましたよ。場所柄かラッパー風のにーちゃんたちが多かったです。
ウィッチマウンテンは例によってふるさとに帰りたい宇宙人モノbyデズニーですが、とりあえずフェイクシティやったとこと同じ館なせいか題が気になってしかたなかったんですけどもう「ザ・ロックの宇宙人」でいいんじゃねーの。フェイクシティ同様「ウィッチマウンテン」てちょっとなんだかわかりにくすぎるよ。「魔女の山」じゃ宇宙人でるかどうかはおろかザ・ロック様が出るのかどうかすらわかんねーじゃん。やはり「キアヌリーブスのダーティコップ」のように『「主演俳優名」「ブツそのもの」を「の」でつなぐ』が鉄板ルールにしたほうがいいよ!!ぜったいに>みゆき座さん江!!客はいるかどうかはまったくしりませんが。とりあえずおいらはかならずいくけど。
雲ッ泥アレソ映画は単にバルデム目当て。「お嬢さんがた…ちょっとヤらね?」みたいな前戯なしの突然挿入的なナンパ文句と元妻のペネロペクルスとのゲージツ家夫婦ゲンカ(画風盗んだ盗まん)がちょっとおもしろかった。ヨハンソンがふたりの間にいることで丸くおさまるんですけど、芸術家間の安定装置と化してるのがバカらしくなったヨハンソンも親友のほうも関わりを絶つ方向におちつく話。
扉をたたく人は空虚な教授生活をおくってる中年の男が所用で寄った別宅にいつのまにか住んでたカッポーとなりゆきで交流するうち徐々にイキイキしてくる話。日常生活の平凡さや退屈さがおそろしいほどリアルでしたけど、それに付随して他者が浸食してくる演出もおなじくらい自然でリアルなんで「つくられた」感じがしないところが監督さんすんげーうまいと思いました。ただ予想以上にしずかな作品なんで「映画といえば娯楽」と考える人にはたいくつすぎてつまんないかもしれん。