人の名を騙ってる時点で地獄要員決定済な気もしますが>自称ブッダの人


上記画像はここのものです。昨日は愛を読む人(新宿武蔵野館)→セントアンナの奇跡(テアトルタイムズスクエア)→サンシャインクリーニング(シネクイント)→ノウイング(渋東シネタワー)と観ましたが、なんかどれも期待したほどじゃなかった。ノウイングはニコラスケイジだしやばいことは承知でしたけど、フォーガットンほどの置き去り感もなくほどほどのファンタジー進行だったし。しかしオチがファンタジーで片付けちゃってるんで、それまでの予言解読サスペンス部分がないがしろで作劇としてはひどい気もする(サスペンスで盛り上げといて「宇宙人が」みたいなオチにすんのはサスペンス的着地を放棄したも同然)。つーかさ、そもそも人の手で変えようのない予言は知らせる意味がないし、結果的にエセ予言者やエセ占い師が商売するための宣伝とかわらんものになってしまうよなあ。ぜんたいあのオチってキリスト教カルト教団の掲げる信仰(選ばれた人だけが神の国へ入れる)を助長するようなアレでどうなんすかねえ…。宇宙人の人はあんなすごい宇宙船つくれる技術があんだったらフレアよけのものとかつくったり、地球の位置ちょっとズラすとかできそうな気もするけどな。あくまで「聞こえた人」だけを生かしたいのか。なんだかなー。しかしこうやって画ヅラにしてみせられるとカルト教団がいかにノーテンキな発想してるかっつーのがよくよくわかりますな。
セントアンナの奇跡はナチ時にイタリアあたりに駆り出された黒人米軍兵士がなりゆきで少年を助けて小さい村でパルチザンと絡みつつ攻防する話。オチがファイナルカウントダウンぽかった。ところでこの映画のテレビとか映画前とかの映像宣伝で、初老の黒人さんが尋問部屋で記者に対して「I Know…」みたいに言ってるとこの字幕が「約束した」とかなってて、なんか…作品的にも全然意味ちがいますよね。べつに約束とかしてないですよね?「I Know…」も"眠る男"がだれなのかを知ってる、て言うアレだし。さも「約束する物語」ふうなもののように売っちゃっていいのかね。ねーよ約束なんか。スジとしては最初に説明したとうりのごくシンプルなもので、黒人兵士が村の奥さんとえっちなことしたりなごんだりする映像のあいまに4人の漢っぷり(アメリカ本国での差別を突っぱねる風景)とか、少年の悲惨な過去とかパルチザン内のいがみあいとかが差し挟まれる構成。ナチの将校が無抵抗な村人たちをマシンガンで虐殺する鬼畜シーンとかけっこうありますが、どっちの側にもひどい奴といい奴がいる、というのをちゃんと描いてるとこが誠実だなーと思いました。ひどい奴のやることもいい奴のやることもおなじくらいちゃんと描き出してて。ポンニではこと映像モノとなるとひどい奴(のやること)は描かせずひたすら「善」「友情」「愛」だけを全面に出すつくりかたを推奨していて、どういうことがひどいことなのかを国民や子供たちに理解させる気がまるでないようなので、映像関連のお偉方や政治の人は中身のないカルト教団の見目いい言葉を並べただけ論理に踊らされる国民を続出させたいと思っているのやもしれません。戦争はどっちも鬼畜、ていうのをちゃんと描けないといい戦争映画にはなりっこないしね。ひどいことを描けるからこそ「愛」とか「友情」とかが光るんだし。愛や友情や善といった明るい方面のものは物語中では頻度が少ないほうが輝きも増すよなあ。ただ愛だの友情だのばっかり並べたって食傷するだけで面白くなるわけねーだろ。回転寿司じゃあるまいし。TBSは客バカにしすぎ(…でも最近の深夜番組はわりと豊作な気もしています)。
愛をよむ人はなんか年上のおねえさん(ケイトウィンスレット)に童貞捨てさせてもらって以来ハマリこんでった数ヶ月後に、おねえさんが突然いなくなって、数年後に法廷でナチの看守として裁かれてることを知るスジ。なんでユダヤ人収容所の看守になったかというとウィンスレットは文盲で読み書きができない状態なので、職場で昇進てなると大抵事務仕事になるわけですが、文盲なので事務できない→その職場辞める、のくりかえしで来てて、これはまともに考えれば自分が読み書きができないことをその職場で告白して、できるポジションの仕事をずっとやらせてもらえば済むことだと思うんですけど、ウィンスレットは文盲なのを知られることが耐えられないみたいで、文字と関わりそうになると夜逃げ同然にその土地から逃げ出して新たに職探しするというものすごいめんどくさい生き様を選択し続けてるわけです。当初は文盲が生来の病気かなにかでしかたないものなのかと思ってたんですけど、でも最後のほうで刑務所に収監されてるウィンスレットに主人公が朗読テープを送るようになると、老いたウィンスレットががぜんヤル気だして字の勉強しはじめて読み書きができるようになってるんで、べつに不具とかじゃなく単に一時の恥ずかしさによって努力を怠ってただけなんですよ。でナチ裁判時にも「ウィンスレットが看守時にサイン(して許可)した書類」て称するものが出てきて、ウィンスレットは文盲なんで読むこともサインもできないはずなので濡れ衣なんですが、文盲なことを告白できずに無期懲役の判決をくらってしまうんですよ。文盲が知られるより「数十年ム所にブチこまれる」ほうがいいってことなのか?おまけに文盲告白しなかったせいでウィンスレットに想いをよせる主人公も苦しみつづけるしさ。他人はおろか自分にまで迷惑かけまくってまで後生大事にしなきゃならないプライドってどんだけご大層なものなのかねえ。まー主人公は主人公でマジでウィンスレットのことを愛してたら裁判時に自分の身を挺してウィンスレットが文盲なことを裁判長とかに伝えればいいのに、我が身かわいさ(戦犯と付き合ってたなんて知られたら一生白い目でみられる)に口を閉ざす程度の思いしかないみたいで(宮沢りえがマジで好きなら親に反対されようが結婚すりゃいいのに、親の命令に素直に従った貴乃花みたい。まーこんなのといっしょにならんくて正解ですよ>宮沢さん)、ウィンスレット収監中も結婚して子供もつくってるし、老いたウィンスレットが送ってよこしてきた手紙も足下の粗末なひきだしに足で乱暴にいれてる始末だし(まーあのシーンは老いたウィンスレットの有様をみてうっとうしく思う気持ちと捨てきれない気持ちとかないまぜになったフクザツな心境なんだろうけど)、結局どっちともが突き詰めると「自分」を捨てられないふうで、お互い人生かけて関わろうとはしてないってことなんだろうな。そこでさらけだせば解決するのに…ていうポイントをぜんぶスルーしてるみたいな人生風景を描いた映画でした。立ち向かうべき場面で逃げてばっかりいるとああいうトハンパな生き様になっちゃうんだな。あとウィンスレットに無期懲役が下される濡れ衣裁判は当時ユダヤ人収容施設の看守だった女性たちが裁かれるものなんですけど、雇われである木っ端を叩いたってどうにもならんと思うけどな…。なんであなたがたはあんなひどいことに加担してたんですかッ!とか言われても「仕事だったから」としかいいようがねえよ。食い扶持に困ってる時に仕事しませんかーて言われて一般の人はふつうに断らないよな。しかも当時はナチがらみの仕事イコール公務員てことで手堅い仕事だったろうし。この女性たちを糾弾してる裁判長とかはじゃあナチズム全盛の真っ最中にユダヤ人を虐殺するなー!収容施設撤廃せよー!てひとりで言えるかよ。結局こうやってナチがらみの職員を鬼畜生呼ばわりして上から目線で叩き潰す連中もナチスに心酔してた連中も同じくヒステリーに支配されてるんですよねえ。「あいつは死んであたりまえだ」「とにかく殺しちまえ」ってあんたが憎んでる相手と同じ鬼畜の思考だよ。
サンシャインクリーニングはポジティブ思考と努力がカラまわりしすぎなおねえさんとグータラなゴス風味のニート妹が、おねえさんの不倫相手の刑事からひっぱってもらった殺人現場掃除を儲け目当てにやってみる話。おねえさんは高校時代は花形チアリーダーだったそうなんですが、高校時代のチアリーディング部では木っ端だった人は今や玉の輿にのったりして生活グレードが順調にザマス化してってるというのに、おねえさんは不倫相手の刑事も高校時代の元カレで、結婚相手にもなれずにズルズルと過去の栄光にすがったまま努力だけがむなしく浪費されていってるというやりきれない有様+実家で子持ち生活を送ってる身の上で、そういう生活をしつつも元チアリーディング部だった知り合いから顔射なんたらみたいなパーティーに呼ばれて、上流主婦たちのポワ〜ンとした雰囲気(あのカンジは女にしか描けないマジ秀逸すぎるリアリティ描写。そういえば友人の結婚式でああいうフリフリでホワ〜ンとした服装と会話内容な連中をまのあたりにして「ああー今後の人生でこいつらとは同じ空間にいるこた2度ないな」と思いました。)のザマス感覚にドン引いたりするアレ。この姉妹は老いたお父さんと暮らしてるんですが、がんこさとボケぐあい(あと金儲けが頭から離れないことがスゲーリアル。マジ男の老人てああいうのですよ)が絶妙でよかった。おねえさんの息子とこのじいちゃんのコンビも微笑ましいくて。ちなみにあのじいちゃんはリトルミスサンシャインで小さい子にストリッパーダンスをおしえこんでたイカス役の人らしい。やっぱな。


ちょい加筆しました(7/28)。あーそうそう、誠実度といえばセントアンナはドイツ人はちゃんとドイツ語・イタリア人はちゃんとイタリア語をしゃべっていましたが、愛よむはドイツ舞台なはずなのに全員ふつうに英語オンリーでどうなの感がありました。やっぱ思ったこととかまとめてメモっとくとかしないと後からポロポロでてきて難儀だな。