やつはシャーリーテンプルなど観ない

Q:写真、絵画、映画など、ビジュアル面で参考にしたものはありますか?
 いくつかの場面では、エドワード・ホッパーの絵を参考にした。彼が絵を真ん中で分割し、その左右で違うものを描く、そのやり方などだ。ホッパーにオマージュを捧げたといえば聞こえがいいが、真似したというほうが正直だね(笑)。偶然にもシカゴでホッパー展が開催されていたので、僕らは何時間もそこで彼の絵を鑑賞した。ギャング映画にはもともと興味がないし、そこから得るものはないと思ったから、何も観ていない。』

世界各地にいる自称キリストを1箇所に集めて殴り合いさせて勝ち残った人を真のキリストとかするキリスト天下一武道会を開催すればいいと思う>昨日の町山さん番組のビルマー編。いいかげん自分の頭で考えるのを放棄するために宗教にはいるやつ多すぎ。

上記『』内はパブリックエネミーズのパンフp.25のマイケルマン監督インタビューから抜粋したブツ。昨日は誰がため(シネマライズ)→倫敦から来た男(イメージフォーラム)→パブリックエネミーズ(渋東シネタワー)とみまして、さして観てない身でいうのもなんですけど、マイケルマンの映画って特にヒート観たとき、他の男汁炸裂監督(リドリースコットとかペキンパーとか)の映画にあるような異常に感情移入させられたりグッと昂る場面がなんかなくて、この人は題材や画ヅラだけは男くさいのにどこに力点を置いてなにを伝えようとしてるのかがよくわからないひと(ひたすら裏稼業の仕事風景を漫然と映すのみ)だなあ…と判然としない思いを抱いてたんですが、上記部分で微妙に納得いったのと、今作に関してはハートをわしづかみにされてしまって泣いた。このラストはカリオストロのとっつぁん名台詞シーンとかぶる。ルパンを捕まえられるのは銭形のとっつぁんしかいないように、図抜けた犯罪者にとどめをさすのはそいつに見合った者、遂行すべき任務として心得ていながらもそいつのすべてを知り尽くし、克つ敬意をもった人間。銃撃の腕を見込まれてFBIに雇われたクリスチャンベールはかれを検挙の対象物としかみていないがゆえに、立ち寄りそうな映画館すら選びだすことができない。デリンジャーという男はなにを好み、どう立ち振る舞い、どんな生き様か?ひとつひとつを知ってゆくほどに単なる「犯罪者」とはみなせなくなっていく。仲間や女を大事にし、だれかひとりが捕まればかならず助けにゆく。無益な殺しは好まない。自信たっぷりにマスコミに受け答え。そして、観る映画といえば男くさい犯罪映画。稼業がたまたま法に反することだが、魂は汚れちゃいない。彼なりの生き様を貫いている。そんなかれを仕留められるのはその生き様を理解し、尊敬しつつ、上からでも下からでもなく同等の目線でものを考えられる男だけ。スティーブンラング扮するウィンステッド捜査官はラストのほんの数十分前に突然でてきてそれまでのクリスチャンベールの苦労の積み重ねをぜんぶかっさらうようにいいとこどりする役柄なんですが、ちょっとかっこよすぎた。クリスチャンベール扮するパーヴィスに「若造、おまえさんにはヤツの始末はまだ早い」って無言で諭すようなラスト…!スティーブンラングのベテラン刑事っぷりしびれるぅ!!!クリスチャンベールが任務遂行のための執念を燃やすあまりに冷静さを失ってデリンジャーをひとりの人間としてみていないようなふしがあるのに対して、色めき立つ捜査陣中でひとりどっしりかまえたスティーブンラングはデリンジャーを仕留めるだけじゃなく、そのときすべきことまで考えて、克つ冷静に実行することでデリンジャーという希有な男に最上の敬意を払ってみせた。強盗でも殺人犯でもなく、ひとりのみごとな生き様を貫いた男への賛辞として、その命を奪う責任を負った。デリンジャーは良き時代の強盗としての幕切れにふさわしい介錯人を得たという意味ではこの上なく幸福な死を得ることができた。映画中ではあらゆる業種の人々(物資系をはじめとして定宿とか病院とか警察官とか)を買収してるがゆえに強盗稼業を続けることができたふうに描かれてましたが、強盗件数や額が増えるにしたがって警察もだまってるわけにはいかず、あちこちの州を点々と逃げ回るデリンジャーをお縄にするために越州犯罪者引き渡し法みたいのがつくられることになって、それが成立するとデリンジャーの背後にある国際シンジケートの闇商売も立ち行かなくなるゆえに、シンジケートと関わってる人たちがいっせいにデリンジャーとの関わりを断ち切ってしまうあたりから雲行きがあやしくなっていったかんじらしい。世間に大々的に騒がれるようなド派手な稼業よりも、ギリギリ合法くらいの目立たずガッポリ稼げる稼業のほうが利口なやりかたになってゆくあたりもデリンジャーの強盗稼業が通用しなくなる原因だったとかなんとか。なんか1930年代のアメリカって西部開拓時代の野蛮なやりくちと現代の合理的手法のちょうど中間くらいで混沌としてますね。映画中のジョニデ扮するデリンジャーは一般人の買収する際もなんかビジネス上の駆け引きをするみたいな、スリリングだけれどごくふつうな仕事をしてる雰囲気で、あんまり悪事働いてるみたいにはみえなかった。強盗も柔らかい応対するところと乱暴なところと賢く使い分けてて名うての狩人みたいなカンジだったし。いわゆる「犯罪者」にはみえない。愛し合う女性も犯罪者フリークみたいな脳軽ギャルとかじゃなくて、常識わきまえてるふつうに頭のいいひとだったんですね。ああいう男とそういう仲になったらもう地獄までつきあうしかねーもんな。
誰がためはデンマークのナチ抵抗地下組織に所属する2人(イケメン&メガネ男子[クレイグボンドの金玉責めしてた人])が組織上部からの命を受けるままナチ幹部を殺しまくっていたある日、標的からこの殺しがナチに利用されてることを知らされて疑心暗鬼になっていって…みたいな話。なんか独裁下の精神状態(自分らの考えに反する者は殺していい)で事を進めてるとしぜんと内部抗争になっちゃうものなんですかね。学生運動とか赤軍とか。今作の主役ふたりが壮絶な最後をむかえるというあたり、どんな理由であろうと殺しは殺し以上のなにものでもない系の展開。主人公のイケメンが年上のおんなにどうしようもなく惹かれてしまうあたりが破滅のはじまり、というあたり、作り話ならありがちですけど実話ってとこがゾックゾクします。しかもそのおんなが大逆転のジェイミーリーカーチスばりの金髪ヅラなものでよけいにノワール臭ふんぷんだし。黒髪のおんなはどんなに病弱だったとしても最終的には男に破滅をもたらすが定石のキャラだけに。「ファムファタルの金髪ヅラ出る=主人公死亡フラグ」はかなりの率とみなして間違いないと思う(そんなにみてないですけどなんとなしに。
倫敦からきた男は船着き場と列車の駅が隣接した場所で働く主人公が、船の男から投げてよこされた鞄をめぐってもみあったすえ、ひとりが海に落ちたところを目撃し、あとになって海に浮かんでた鞄を引き上げたら札束がはいっていて…な筋。札束を手に入れながらもいつもの生活を崩さずに過ごすのかと思いきや、その札束の鞄があることで生活がすこしずつ変わっていってしまってついにその鞄の主と関係のある男がやってきて、という話。話がどうというよりも白と黒の画面のきれいさをたのしむ映画なんだと思う。なんかひとりの人物をセリフ言い終えたあとも1分くらいずーっと写し続けて、その間俳優も微動だにしない画ヅラでなんなのか。とりあえず夜の船のシーンがいちばんきれいだった。世界は闇で、何者かが息づく場所にだけ光があてられてるみたいな風情で。

おいら自身はそんなふうに思ってないのに、脳の人が「こんなツマンネー映画みんなよ。時間のムダだ!」とか言ってるみたいにものすごい頭痛がし続けて克つたびたび眠ってしまう映画があって、この日も途中まではその状態だったんですけど、パブリックエネミーズみにきたら頭痛もねむけもきれいさっぱりなくなりやんの。たしかにおもしろかったですけど。