「ありがち展開をあえて配してあっさり否定」もありがちだけど大事な件

『隠されていた事実の種明かしをこれみよがしに披露するミステリは少なくない。本作が一般のミステリ映画と比べすぐれているのは、前述したようにいくつもの謎が少しずつ解かれていく過程が意外性をはらみながらも、説得力に富んでいるためいわゆる騙し討ちにならないからだろう。説得力の源泉は、観客にそれとなく真相がわかるよう、多くの伏線をはりめぐらせていることによる。
(中略)伏線がいくつも散りばめられているため、トリックにひっかかってしまうのは、観客の鈍感さゆえとなり、騙された側は「なるほど」と納得してしまう。それどころか、騙されたことに心地よさを感じてしまうかもしれない。これこそがミステリ映画の醍醐味で、最近の同ジャンル作品に一番欠けている部分である。凡作ミステリはその欠点を補うため、やたらとはでなアクションやカーチェイスを登場させることになるが、本物のサスペンスは周到に準備された伏線やすぐれた論理的構造の中から生み出されるものなのだ。』

ジャッカス3D(15日。新宿ミラノ)→アンノウン(16日。丸ピカ)→共喰山(20日シアターN)→ファースター 怒りの銃弾(22日。シネマスクエアとうきゅう)→アウェイク(武蔵野館)→ゲンスブールと女たち(バルト9)とみまして、上記『』内はアウェイクのパンフの瀬戸川さん文より抜粋したモノ。前宣伝みたかんじで医療ドラマ的なもんなのかと思ってたら犯罪映画だった。鑑賞者をびっくりさすためにブツを見せたり見せなかったり、といった構成上の罠づくりって要するにうまい手品みたいなもんなんですかね。いまみせてるもんをタネかどうかわからせない、みたいなふうで。とりあえずアウェイクはだまされ映画の佳作でした。ネタバレするとたのしみが半減するのでアウェイクに関する情報はさっぱり仕入れないでポカーンとみにいくが吉。客をうならせるどんでんがえしはやっぱり地道な積み重ねが大事なんだなーと思った。伏線を積み重ねたうえでのどんでんがえしだとそれまであたりまえだと思ってた事実がひとつのきっかけですべて真逆の意味(白だったオセロ全部にいつのまにか糸が縫いわたっていて、ある一瞬で黒にひっくりかえってしまうようなイメージ)に変わってしまって、その鮮やかな転換っぷりにおおーと感心するけど、積み重ねた伏線とあまり関係のない1発ギャグ的な突飛なネタをやたらに突きつけてひっくりかえそうとするのをみると「そりゃねーだろ(笑」て失笑感をもってしまうんですよね。なんか映画つくってる人だけが興奮してるのが透けてみえるかんじがしてさ。同じ「どんでんがえし」映画でもアウェイクとソウシリーズでは雲泥の差だよ。どんでんがえしをどうやるかによって完全犯罪をもくろむキャラのリアリティにも関わってくるし。伏線と関係ない1発ギャグ的などんでんがえしばっか配してると「もくろんでる側」がだんだんバカっぽくみえてくるってゆうかちいさい子つーの?どんでんがえし構成をやるからにはサスペンス的なもんを目指してるはずなのに、1発ギャグ的転換を連発されるとどうもナンセンス感とかでたらめ度が強くなっちゃって、ドタバタ劇とかスラップスティックコメディに近づいちゃうからなんだろうな。そのでたらめ色の強いどんでんがえしなつくりのパーフェクトホストは感心もしないし好きでもないけど、観終えてみるとどういうわけかみょうな味わいがあったな…。不可解ななにかをみた的な。なにしろアウェイクは世間しらずの御曹司がハゲタカどもに喰らい尽くされる映画です。年端もいかない子供だろうと世間の荒波は容赦しないという真実。そしてもうひとつ重要なのが冒頭でジェシカアルバの乳首がなんとなく透けてみえる件。主人公が風呂桶のなかで息とめてるシーン直後ですのでよくよく凝視してください。なんか乳輪がデカくて黒いみたい。お高くとまって見せないんじゃなく、皆様にお見せできぬと踏んでのことなのかもしれなかった。ちいさいジェシカが黒デメキンとかいじめられてるイメージ画像がよぎった。気にしないのに。
ファースター怒りの銃弾は銀行強盗時に何者かに襲われて自分以外のメンバー全員が殺された件の怨みをはらすべく、10年の刑期を勤め上げて出所してきたザ・ロックが当時の殺しに関わった連中をしらみつぶしに探しだしてブッ殺してまわる話。その仇討ちの作法が「だれがやったかバレないようにアレしてコレして」的な小細工はいっさいなしで、ム所から出るなり超いかした車をブッ飛ばして一直線に標的のとこまで大股でズカズカ歩いてって太くて短い拳銃でズドンズドンとタマをとるっつー豪快すぎる復讐のしかたがいさぎよすぎます。顔も隠さずに巨大な図体であちこちに出没するんでソッコーお縄になってもふしぎじゃないのに、なぜかさっぱりつかまらない絶妙なファンタジー具合で構成されていますけども、ザ・ロックなので有無を言わさず納得させられてしまう存在自体の説得力がすごい。なんか足の生えた粗彫りのぶっとい男根があちこちで射精してまわってるみたいな画ヅラですよ。怨みの矛先である仇たちはザ・ロックがやってきたのをひと目みると、ある程度の覚悟は決めてるふうな態度をとるあたりが悪者としてのベテラン感があってよいですね。殺されてもしかたのないことをしたと自覚してる。その仇のひとりが福音派ぽい教会の神父やってて、もちろんザ・ロックはブチ殺そうとするんですけどその神父が命乞いをはじめてすがりついてきたり「君が怒りをはらしたところで君の苦しみが増すだけだ」とザ・ロックを諭したり、神にむけて「彼(ザ・ロック)を許してください」と懇願しはじめたりする。べつにザ・ロックは悪者だからこの仇討ち行脚をしているわけじゃなく、殺された兄への弔いとしてやってるのでふつうに心が痛む。そんなザ・ロックを付け狙う殺し屋がいて、ある人間から依頼を受けてるんですけど、この殺し屋はもともとの稼業じゃなく、大抵のスポーツは極め尽くした金持ちの暇人が「殺し屋」とゆうエクストリームスポーツを極めるためにやってみてる的なエリート君で、ちょこちょこザ・ロックに絡んでくるんですけど、即席男根が生まれついての極太男根にかなうはずもありません。つーか…映画中でこの殺し屋キャラだけなんか浮いてね?すごくヘン。ビリーボブソーントンも汚れデカ役が板についてますし、ひとりひとりのキャラはちゃんと立ってるし、ビリーボブの伴侶役であるひと皮むくと爛れてる奥さんとの場面とか要所要所でよいシーンはあるんですけど、ぜんぶがブツ切りのまま放置されててつながってないような雰囲気を受けるんだよな。全体を貫く流れがなくて場面とキャラ逸話ごとが独立して置かれてるみたいな。なんなんだろうな。ソウの製作者みたいな1発アイデア勝負で場当たり的につくってったふうなやりかたしたのかな?
共喰山は人生をナメくさった若者たちがケダモノ化ウィルスが蔓延する森に軽々しく踏み込んでケダモノと化す話。ケダモノ化するの6人中2人ぽっちなんすけどね。なんか沼で泳いだら熱が出てキバが生えてキシャーッて肉を喰いたがって仲間や野生動物に襲いかかってくんですけど、エモノにとびつくありさまが画面よこからバッて飛びついたまま重みで画面外に消える江頭さん的な画ヅラなんで面白いです。最初にケダモノ化するのがセックスしか考えてない系の元々もっともケダモノにちかいギャルでしぜんなんですけど、もう顔面血まみれにして人肉をむさぼり食ってるとゆうのに「彼女の心はまだもとのままで純粋なんだ!傷ついてるだけなんだぁー!」とかいいながら人間だったころのギャルがもってたぬいぐるみをおそるおそる差し出したりして仲間をいちいち危険にさらすギャルの彼氏がたいへんイライラさせる。このギャルのほかに体育会系の男もケダモノ化しかかるんですけど、こいつが完全ケダモノになったらもう手がつけられなから、てんでクジ引きでだれが彼を殺すか決めようよーとかギャルの彼氏が言い出して女性キャラが殺しクジ引くんですけど、そのコがどうしても殺せなくて号泣してるとゆうのにギャル彼氏が「お前クジ引いた人なんだからさっさと殺せよ!」とか押しつけ続けるあたりとか本年度の最悪キャラっぷりだった。あのシーンではおいら以外の観客も「おまえらが全員で殺れ」て思っていたにちがいないよ。そんでまあいろいろあってさいごに生き残ったひとりが通過儀礼的に難関にたちむかうクライマックスなんですが、ちょっとバーホーベンのスターシップトゥルーパーズにでるヌラヌラ触手生物じみたのがラスボスでおおーと思いましたよ。この最後のとこだけじゃなく、全編にわたってみてるやつをとことん楽しませてやんぜ!みたいな気迫が画面からヒシヒシと伝わってくるもんで一瞬ダークキャッスル映画なのかと思ったくらいですよ。よい監督さん。冒頭の壁画時代の安っぺらすらさもゆるせるホドに。まあでもあの展開がリアルにあったらケダモノ化したふたりは放置してどんどん逃げますけどね。木々に火でも放ちながら(ケダモノ人間は火が弱点だし)。生き残ったメンツはなぜかケダモノ化した2人を殺すことに固執しつづけるんだよな。そうじゃないとスラッシャー展開になりませんよ。
ダークキャッスル映画といえばアンノウンは毎年恒例の闇城印映画です。ダークキャッスル映画の内容がドロドロホラーなときはオープニングの闇城マークがピシャーンてなるけど、内容がサスペンス的なときは城マークがしずかなんだよね。ああゆうちょっとした仕掛けが好きです。マスターズオブホラーのオープニング映像もツボる。内容としては学会にむかう途中のリーアムニーソンが事故って数日後もどってきたら知人全員からシカトされつづけて自暴自棄になりかかる話。学者さんらしくアレコレ調べてるとなんとなくちょっとずつおかしいことがわかってくるんだけど、協力してくれそうな人が殺されだしてさあたいへん、てときにある縁から旧独の元秘密警察出身の爺さんが助けてくれることに。シュタージに関するパンフの説明よんだけど、戦後すぐのできたて東独とか混乱してそうで面白そうね。小説とか映画とかの題材になってないのかしら。アンノウンにもどしますが、知人全員がシカトきめこむ理由を調べあげるうちになんだか追っ手がかかったりしてリーアムニーソンが逃げるんですけど、植物学者さん設定のはずなのにプロドライバー並の車運転を華麗にこなします。植物学者さんてすげえな。なにしろ「いかな腕を磨いても記憶喪失の度合いまでは操れない」とゆうお話でした。つーかあれは記憶喪失なんじゃなくて、稼業に嫌気がさしたあまりに心が無意識に安定状態に向かってしまったってことなんですかね?
ジャッカス3Dはスレスレに死なないところまでバカをやって大喜びしたりマジギレしたり気分を害したりしてる中の人を眺める映画。痛い目やキモい目に全力で突っこんでいくんだからそれなりに精神面も強靭なのであろう、と思ってると次々もらいゲロしはじめたりしてわりと打たれ弱いジャッカスメンツもわりとデリケートなんですけど、それに輪をかけてカメラ担当さんがメンタルが弱くて、汗ドリンク一気飲みとか目の当たりにしてソッコーえづきだします。映画とかではじめて殺しをしたショックで吐いてしまう場面がありますけど、現実のそうゆう場面を観察できます。そういえば開映待ちで並んでるときにうしろにいたギャル2人が「ジャッカスみたいなことって女がやって痛い目にあってるとかわいそうって思っちゃうけど、男がやるとカワイイよねー」などとうなづきあってましたが、うんこでタプタプにした仮設便所ごと逆バンジーでシェイクされるのが今いちばんカワイイというのですか。最近の女子の基準はわからぬなあ。あとはカメラ搭載したちんこで放尿を浴びせてまわった人々のいやがる顔を逐一撮ってまわるのもなかなかですし、上を向けた尻穴から直腸におさまった形のまま1本糞がブリャッて飛び出ていくスローモー画ヅラが芸術的だった。とりあえずいちばん笑ったのがやはりうんこネタでしたけど、ほかにも椅子に座ってる人が戦闘機のジェットエンジンを至近距離で浴びてどこまで飛ばされないかとか、あんまり踏ん張ってがんばってるとジェットエンジンが発生してるたもとからラグビーボールやゴミクズを放られ(一瞬で消える)て熱風と共にまともに浴びせられてころがってゆきますし、ヨボヨボのおじいちゃんが小学校高学年くらいのお孫さんと路上でディープキッスをかまして通行人に倫理を問われたり、酒場に小人カッポーが入店してきたかと思うと、あとからきた小人の元カレにからまれて小人乱闘がはじまって負傷者が発生して小人警察や小人医療班が駆けつけて小人解決していったりします。
尚、じゆうに屁をあやつれるヒトはわりといるっぽいので、世界一決定戦のような会を開催してMXテレビが中継してください。吹き矢競技は全員義務でやる。