善を行うにも悪を行うにもそれぞれに違った欲求を得ることを目指してるんだよな

ひとむかし前は食うにこまるほどカネがない青年とか、転売(=カネ目当て)目的でやる輩が多かったらしいけど、おいらがみた万引きする人は金持ちの坊ちゃんタイプの中年男ばかりだった。みるからに高そうな服や鞄を持った「いい身なり」をして他者からの評判の良さを保とうとしている。もうひとつは、身なりはまったくふつうで、犯罪行為と対極のもの—俗に「聖職」と呼ばれる職業に就いている。双方とも犯したことが公になれば保持していた体面や地位も失うだろう。そういった輩が万引きをするのは金やモノが目当てじゃない。推測でしかないんですが、真逆のモノに淫することで発生するスリルを求めてのことなのだろうと思うけど、なぜすべてを失いかねない危険を犯してまでやるのかというと「善人であること」を義務で続けねばならない心理的な負担を発散するためなんじゃないかと思う。もともと生まれ持った素質がその時代の社会が定める「善人」像と合致しているならばそんな心理的負担や鬱屈は派生しないはずなのだけれど(*)、性質と職業が判を押したように同じ、なんてヒトはめったにいない。人間は「善」だけでも「悪」だけでもなく、まざりあっている存在であって、だからこそ人間のつくりだすもの—経済から文学までが多彩な発展をみせる。で、生まれ持っている素質が就いた職業の体面とはそぐわないヒトはくる日もくる日も本質からかけ離れて違和感のある「人間」を演じていて、いいかげん本当の自分自身を出してしまいたいけれど、人の目があるところ—飲み屋なり風俗なりでは間接的であれ自分の社会的地位の失墜につながりかねない。そこで万引きという窃盗行為がある。万引きは「盗る瞬間と盗んだ物」さえ見つからなければ、だれにも知られることなく完遂することができる。反社会的行為で派生するスリルによって鬱屈を発散することができる。形こそちがうものの、根は遊園地の乗り物で愉しむのと同じだ。犯罪行為と対極を成す「位置」にいなきゃならない人に告ぐけど、もしも対極行為で鬱屈発散をしだすようになったらその仕事が向いてないってことなのかもしれないよ。マジに心の底から望んで就いた仕事なのか?ハンパに頭が良くて「こなせてしまうから」なんとなく従事してるだけなんじゃないのか?

意識的であれ「対極」の片一方だけをよしとする者は、もう片方の対極もしらず内包してしまっているかもよ、というおはなしにしたかったんだが。嗜好ならばそれはふつうのことだよ。


 
*…そもそも性質に関係なく人間はすべて片側だけに居すぎると対極側を求める気持ちがふくらんでしまいがちなのかもしらん。特に行動の上で縛りの多いほうの役回りを義務で選択している場合に。縛りの少ない側にはストレスがそもそも発生しづらいから発散する必要がない。