「自己正当化のための責任転嫁」つーとミもフタもないな

甘い罠(28日。イメージフォーラム)→森と芸術(29日。庭園美術館)→アジャストメント(シネマサンシャイン)→ソーシャルネットワーク(真文芸坐)→佐藤晃一ポスター(30日。ギンザグラフィックギャラリー)とみてきまして、佐藤晃一ポスターは画面の中央にどん、とひとつだけモノを据えて、その置かれたモノが逆光みたいな効果でにぶく光りを発してるふうな骨太スタイルのデザイナーさんがつくったポスター展ですが、パッと見でインパクトはあるんですけどいったいなんの宣伝なのかがぜんぜんわからないんですよね。宣伝文句も画面のはしっこのほうに申し訳程度にしか記載されてないもんだから、まぢかまで来てなめつくすようにみつめてようやくなにを宣伝してんのかわかってくるっつう。ここまで個性のキツい広告がよく採用されたよなあと思う。デザイナーさんてふつう黒子のようなもんだと思うんですけど、佐藤晃一のポスターに関してはかぎりなく芸術家作品にちかいノリに思える。売る商品の文句そっちのけでデザインをどぎついほど全面に出してんだもん。いまの不景気世界では成立しえない牧歌的な豊かさを感じずにいれなかった。20年くらい前のポスターはエアブラシでつくってたらしいけど、今展の告知チラシやなんかで「はじめて使った」ていう空の写真の青色がすごくきれい。エアブラシなんかより写真の色を駆使するほうが佐藤さんの個性のいいところがクッキリ出ると思う。あと「日本」であることにこだわっているのもわかりやすくていいですね。シンプルすぎて1歩まちがうと宗教の宣伝ぽくなりかねないですけど「美しくあること」を絶対基軸としているのでそうはならない。頑固なほど単純で骨太なのにやさしくて繊細なんだよな。楕円の石の上にボワンと煙がでてるやつと「大根の 双叉となる 太さかな」がツボった。

アジャストメントは恋人との仲を邪魔するスーツ軍団の秘密を知ってしまったマットデイモンがスーツ軍団に抗う話。マットデイモンとエミリーブラントはお互いに求めあってるんですけど「ふたりがいっしょにならずに欠落感を抱えて生きるとその空虚を埋めようとしてそれぞれの才能がめちゃくちゃ開花して人類のためになるから」て理由からスーツ軍団がふたりの仲を引き裂こうとアレコレ画策してきてデイモンが翻弄される。あのスーツ軍団てさーすでに結婚を考えてる人がいるというのに「好条件だから」て理由で年収がむちゃくちゃ高くて生まれも育ちもいい男との見合いを押し付けてくる母親みたいだなーと思った。なんでだれかの命令に従って「義務」で生きなきゃならない奴隷の立場確定人生を強制してくんのか。つーか「大きな目的のためには当人の納得をないがしろにして当たり前」て考えてさ、たとえそれがどんなに善き目的であろうと「10人生きるために1人殺して当たり前」と同じだし。「真に愛し合う2人ならば、そこに苦労はあっても不幸はないはずです」てこの前テレ東の鈴木先生が言ってたよ。たとえ不幸になったとしてもそれは当人たちの勝手なんだよ。先にだした「いい条件の男」とか「いい学校や会社に入らそうとする」たぐいの親ってさ、要するに自分の子を不幸にさせたくないとか「人生を失敗させたくない」て思いからやってんだろうけど、端からみた「失敗」や「不幸」が負った当人にとっては必ずしも字面のままではない場合(それを経験したからこそもっと良いモノを手にすることができたとか)がけっこうあって、避けるばかりだとかえって幸せから遠ざかってしまいかねないんだよねえ。なにがその人にとって幸いかはだれにも把握することはできないのに、先に書いたような親は把握しきってると傲慢にも思い込んでるんだよな。それって子供の意志や考えを潰してあたりまえ、子供の人生なんぞなにひとつ信じられないということだぜ。四六時中疑いの目を向けてくる家族って北朝鮮政府みたいで気色悪いね。そういえば毎週くるたんびに元からいる客を指して「あれは俺をつけまわす探偵だ」てヒソヒソ話してくる常連の方がいるんですけど(仮に周囲がぜんぶ探偵だとしても「探偵に毎日四六時中監視させ続ける」という莫大なコストをかけてまで寂しい壮年男性をつけまわして誰にどういう得があるのかと思わずにいれませんけどな…)、アジャストメントはそういう精神病者の世界観が基底になってるふうなかんじもした。そのテのヒトをみてるとどうも孤独な生活の悲しみと他者への不信感(特に酷い目に遭わされた経験がある場合が多そう)が根にあるっぽく、その人自身が原因になって精神病が発生してる可能性が高いので、克服するには自分と向き合うことが必要なんですけど、そのテの人はおおかたプライドが高くて自省なんてするわけなくて、じゃあどうするかとゆうとわかりやすい「敵」を設定することに落ち着くのかなとちょっと思う。「こんなにひどいことが起きるからには誰かが仕組んでるに違いない(=自分のせいではない)」てゆうふうに。そうやって目にみえる「敵」を認知することで彼なりに恐怖に向き合おうとはしてるんだろうけど、孤独を癒すだれかがいないかぎりはこの症状は深くなるばかりな気がする。
アジャストメントにもどしますけど、そんなに人類のためになる犠牲人生をおくらせたいなら面と向かってみんなに言えばよくね。上から目線で「導いてやってる」とか思ってるわりにスーツ軍団はやることなすことわりとヘマばっかこいてるし。超常現象的な能力を使えるふうなわりにやたら限定的な部分でだけしか使えなくていつもあたふたしてんのな。そもそも2人を同じ時代同じ地域に生まれさせたうえ出会っちゃったあとにいくら画策してもどうにもならんと思うよ。そんなに別れさせたいなら彼女さんのほうなりデイモンのほうなり、記憶消去する「調整」ての施せば話が早いだろうになぜかさっぱりやらねーし。別れさしたいんじゃなく実は2人を燃え上がらせるためにやってねーか。つーわけでこの映画は独身者がひとりで観に行くとたいへん居心地の悪い思いを植え付けられるカッポー向けのアレです。

甘い罠は夫人のお供でシャブロル映画でしたが、スジは火曜サスペンス劇場フランス版といった趣なものの、たとえ犯罪が明るみになっても(ここでアメリカ映画なら銃の奪い合いしたりして必ずジタバタするのに対し)けだるくピアノを弾きだしたり、おばさん役がかならず妙にきれいでかっこよかったりします。きれいでかっこいいおばさん要員のひとりとして会社経営してる人が出てくるんですけど、会社では頂点に立つ者としてふてぶてしくふるまってんのに、ピアニストの夫とその息子のいる家に帰るとまるで彼らの部下にでもなったかのようにソフトな人当たりになってかいがいしく世話をしてまわってる豹変かげんがなんかブキミ。それがよろこんでやってるならいいんですけど、会社での立ち居振る舞い(文句言う役員に対して陰でかなりな毒舌吐く)からしてどうみても気位が高くてキツい性質持ちにしかみえなくて、そうゆう「収入もプライドも高くて克つかなり美人」な女性が家んなかでやさし〜く振る舞ったうえ、雇ってる女中さんをわざわざ帰らせてまで食器洗いをはじめるとことか不穏以外の何ものでもない。あれで家んなかでも会社でふるまってるのと同じようにキツい当たりしてんなら本音さらけだしてるってことですから安心なんですけど、そういう性質はおくびにもださない。実際に怖いことをたくらんではいて、だれにでも好かれるソフトなふるまいしながらもその本性が少しずつ垣間見えてきはじめるあたりがなかなかおそろしい。この経営者女性はなんか「努力」によって物事を自分の望むように変化させたいほうの支配的な性質らしくて、それは経営みたいなものであればうまく機能するんでしょうけど、それをそのまま家庭内にも当てはめたら地獄になってあたりまえでしょうな。家族は仕事でやってんじゃねーんだし。なにしろそうゆう性格なのをひた隠しながらうとましく思っている存在に悟られないよう嫌がらせみたいなことをしはじめたりして、どうにも努力のベクトルが「自分にとっての心地いい世界をつくるため」に働いてしまってる。このヒトはつまるところ自分しか愛せないのかなと思った。でまあそういう女性はもちろん嫉妬心もかなり強くて「女はだれであろうと夫に近寄ることを許さない」みたいな、伴侶を持ったおんな特有の縄張り感覚に根ざした感情に駆られるふうな光景も描かれています。スジとして赤ん坊とりちがえの件で訪ねてきた若い女(ピアニスト修行中)がピアニストの夫に稽古つけてもらう展開になるんですけど、その若い女は彼氏がいることもあってピアニストの夫に特別な感情は抱いてないし、ピアニストの夫のほうもそんな気は(おそらく)ないんですけど、それでもこの2人が親しく語らったりしてるのをみて妻である経営者女性は憎悪をたぎらせてる。なんか…嫉妬心や支配欲求がかなり強いっぽいことがニオわされながらも、それを一気にぶちまけずにちびちび小出しにみせてくるあたりとか不穏でしょうがないすね。心の中で憎悪が煮えたぎってるはずの人の「本音をいっさい表に出さない」でいる有様のスリリングさをさらりと描いてるふうな。夫はまあへんな気持ちは抱きはしないものの、若くてきれいな女と接するのに気分が悪いわけはないし、若い女のほうだって深入りする気なんてなんにもないんだろうけど、奥さんからしたらその邪心のない純粋さがまた輪をかけて憎いんでしょうな…。奥さんは勝手に敗北心にがんじがらめになってるふうな。この作品の主人公はピアニスト夫に稽古つけてもらいにくる若い女のように描かれてはいるけど、実は嫉妬に狂う支配的な経営者女性が主人公みたいなもんなんじゃなかろうか。なんつーか…美人で頭のいい中年女性をわざと嫉妬に駆られるような状況に放り込んで、まんまと憎悪をたぎらせてる中年女性を鑑賞してよろこんでる人(監督であるシャブロル)がいるような…。もしかして嫉妬に狂う知的な年増女タマンネェー!!とかウッハウハだったんじゃねーかな。なんかシャブロルって実生活でも妻をとっかえひっかえした挙げ句、別れた元カノを嫉妬シチュの作品に起用しつづけてたりしてたんでしょ。このオヤジはちょっと殺されていいかんじがする。そのうえ若くてキレーなねーちゃんを物語と関係のないスコート姿で突然登場させたりもするし、スケベオヤジやりたい放題といったニオイをそこはかとなく感じずにいられない。コスプレに熟女からの嫉妬プレイか。俺はエロならなんでも食うよ?みたいなところとかだれも聞いてないし死んでいい。
あと「逃れ得ない出生の業(血のつながりのあるなし含む)」を必ず盛り込むかんじがしますねーと映画後に夫人と歓談しました。

ソーシャルネットワークは実名だしてブツブツひとりごとを書いたり知らねー人と知り合ってやりとりしたりするインターネッツ上の「場」であるフェイスブックをつくったヒトのゴタゴタと成り行きを追ったふうな話。ザッカーバーグさんつうオタク…つーよりは腕や頭はプロ以上の能力をもった天才パソコンいじり学生さんがいて、得意な分野では天才なんですけど、それ以外―特に情に根ざすモノへの対処が異常にへたくそで、付き合ってる彼女にも上から目線で嘲笑するようなことを平然とぶつけるような会話(「相手の手痛い事実を指摘して議論を交わす」的なスタイルで、どう考えても友人や恋人のちょっとした会話向きの態度ではない)をして即フラれるものの、全面的に自分が悪いにも関わらずネッツ上の日記に元彼女のパイオツが上げ底だの家族の人種がどーだの悪口書き連ねてさらに顰蹙を重ねたり暇人たちを喜ばせたりしてるうちに「女子全員の写真並べてどっちがドブスか比べるサイトとかどうよ?」て軽いノリで不謹慎サイトをつくって大学内から投票募ってるうちにアクセス数がうなぎのぼりになって…とゆーのがフェイスブックのはじまりだそうです。んでその顔くらべサイトがザッカーバーグさんひとりのアイデアならばなんの問題もなかったんでしょうけど、ちょっと前にガタイのでかい名家のボンボン双子からハーバード大学ブランドのいやらしい出会い系サイトの立ち上げをたのまれていたにも関わらず、出会い系サイトの件はうやむやにしてまんまフェイスブックに流用してしまった。名家双子の持ってた構想がフェイスブックの雛形としてちょうどよかったんですな。この名家双子はザッカーバーグに会う以前から何人かにその出会い系サイトづくりをたのんでたんですけど、全員からなんか理由つけてことごとく断られていて、それは鼻持ちならない金持ちのガキの得になることなんかだれも手を貸したくないからで、それがこの名家双子はわからないっぽいんですね。ザッカーバーグさんとて手を貸すなぞするわけもなくまんまとアイデアだけ頂いちまうわけですが、当然怒った名家双子が弁護士たてて法外な慰謝料ふんだくろうとしてくる。名家双子はおハイソな自分たちがオタクに出し抜かれたことに我慢がならないらしくて、弁護士たてる前にハーバード大の学長んとこまで直訴にいったり(元財務長官の学長のドライさワロタ。双子みて「スーツの営業マンみたいのがきた」「君たちは家柄を利用して圧力をかける気か?最低だな。」とかさんざんぶつけた挙げ句「学生間のすったもんだとかマジ知らね。自分で解決すれば?」とか追い返しちゃうし)、示談交渉でも億の提示額ふんだくるまですっげえ粘着してくるんだよな。こいつらまた誰かにうまいことやりこめられてそう。そもそもサイトをかるくつくれるほどの頭もった人に良アイデア提示して盗まれないと思い込んでる双子もノーテンキすぎるよなあ。まあ学生さんだからそんなもんなんだろうけど。んで双子との裁判になる前までにフェイスブックのアクセスが超巨大になってって、ザッカーバーグさんとしては自分のつくったサイトが成長することにウハウハで、その成長をさらに手助けしてくれる人の口車にコロリと乗せられてしまう。フェイスブック立ち上げのころからザッカーバーグさんと組んでマネージャー役やってる友達がいるんですけど、この人が堅実な性格なもんでフェイスブックを拡張するための資金集めに難航していて、そんなときに口八丁みたいなかるいノリの輩と近しくなって、そいつはクチがうまいもんだから投資会社をすぐにひっぱってくるし、すべらかな語りからくりだされる夢物語じみたもんに浮かされたザッカーバーグさんがついていってしまう。こいつがまたチョーシこいてることもあって即ご破算展開にはなるんですけど、この人たちはある一部分がマジに天才なんだけどそれ以外は驚くほどなにもないんだよなーとしみじみ思いました。マジに頭がいいヒト(←ザ・ホークスのとこ参照)て意味なく相手を怒らせたりしないんだよな。世渡りも人当たりもうまくやったうえで自分のいいように仕組んでしまう。それって「おとなの交渉」ができるってことだろ。そこらへんからすると元レイヴ&ドアの人とかザッカーバーグさんとかは「子供」てことなんだろうな。ハワードヒューズみたいなヒトからするとマジに頭がキレるわけじゃないってかんじがする。ザッカーバーグさんは交渉術をすっとばして先回りすることを「うまくやる」ことだと思い込んでるようだけど、それは先回りされた人全員を敵に回すだけなんだよね。「人を動かす」授業0点のオタクが1人でひたすら他人を出し抜いてまわってるだけ。ただ「サイトのあるべき姿」に一貫してこだわりぬいてるところからしザッカーバーグさんは芸術家タイプ(作品の質死守)なのかな。インターネッツのもんて宣伝がつくのとつかないのとでは見た目が段違いだからなー。シンプルでかっこいいことを続けるのっていちばんたいへんだよね。企業の人は特におかねの心配でついゴテゴテつけたくなっちゃうだろうし。金儲けにはさして興味がなさげなわりに先回りされることに我慢がならないみたいで、結局儲けや権利に固執しつづける形になってしまうあたりはなんだかかっこ悪いなあと思いました。「うまく言い返そうとムキになる人」てケツの穴がちいさいんすよね。よくわかるよ。