カッセルもミラクニスもポートマンを成長さす為に接してるふうにしかみえんのですけど

  

ブラックスワン(5日。ヒューマントラストシネマ渋谷)→最後の賭け(イメージフォーラム)→ドリームホーム(シアターN)→ソリタリーマン(えぬ)→アイスピットオンユアグレイブ(えぬ)で、ブラックスワンは母親に溺愛されて育ったバレエダンサーの箱入り娘(ナタリーポートマン)が自らのダークサイドにたどりつくまでを描いた作品ですけど、ポートマンの母親は若いころに赤ん坊を妊娠したことで自分の夢を諦めざるをえなかった埋め合わせを、諦めさせられた原因である赤ん坊=ポートマンにさせようとしてる。お前のせいで人生が台無しになったのだから、お前がかわりに私の夢を実現させろと。間接的に自分の夢を実現させるためには、ポートマンには自分の二の舞をさせるわけにはいかない。そうして無菌状態で育てられたポートマンは男とろくに会話すらできないお姫様体質になってしまっている。母親にはポートマンに対する愛情はほとんどなく(子供の意志を尊重せず、自分の野望を実現するための道具として扱ってるので)かなり虐待に近いものなんですけど、外ヅラでは始終からだを気づかったりしてるので周囲からはそんなふうには思われない。野望実現のための肉体が大事だから気づかってるのか相手を思いやって体を気づかってるのか、端からしたら明確な区別なんかつくわけもないし。冒頭でお祝いのケーキをもってきたときも、ポートマンが「緊張していて食べられない」と言って拒否してるのに、自分の行為が無下にされたことに腹を立てて「じゃあこのケーキは捨てましょう!」とか逆ギレする始末(それみたポートマンが「じゃ、じゃあ食べるから!」て慌ててなだめるとことか親子の立場が逆みたいね)なので、相手がどうしたいかよりも自分が優先されないと我慢ならない大きな子供感覚な性質であることが提示されるし。ポートマンはそうゆうちいさい子供のような母親のわがままを全部うのみにして育って母親のいうがままにバレエを続けている。いつか女王の座に就きたいと思っているようだけど、それすらもポートマン自身の意志ではなく実は母親の欲望でしかないのかもしれない。拒食症(本当の自分を抑圧し続けて溜まる鬱屈を「痩せる[=自分の価値基準ではなく社会の定める価値観に沿った基準、つまりこれも誰かに認められたくて真の自分を否定する行い]」を成果と定めて発散していると自己抑圧と痩身の悪循環になって歯止めがかからなくなる)になってもおかしくないほど母親の手足的な生き方なんだよな…。ポートマンは自分がどうしたいのか、自分の心がどんなものなのかを劇中の年齢になるまで1回も考えたことがないみたいで、オナニーですら監督から言われてようやくやるありさま(あのオナニー、はじめてにしちゃオーバーアクションじゃございませんこと?)。そうして彼女はなんどきも母親の期待にすべて応えつづける操り人形のような人生をおくってきたので、自分の内側にダークサイドがあることなど考えも及ばない。基本的にポートマンはココロもカラダも純であると思いこんでるふうで、セックスや夜遊びといった「快楽に淫する事柄」に対しては悪魔の行いかのようなイメージを抱いてたりするんですけど、そのわりに劇中では枕営業じみた行動で主人公の座をもぎとるし、野心から前女王の持ち物は盗むし、潔白でもなんでもないんすよね。にも関わらず母親から言われるまま「エッチなんて不潔」とか思って身ギレイぶってる状態なもんで、アバズレキャラである黒鳥を演じられるわけもなく半枕営業でようやく主人公の座をつかんでも監督から失望され続けるわ、ライバルに座を奪われそうだわと無理めな事実をほのめかすふうな展開が次々とポートマンに襲いくる。踊り監督のバンサンカッセルが、ポートマンの踊りの相手役の男に「彼女とヤリたいと思うか?思わないだろう?」て投げかけてポートマンにエロさが欠けてるのだと訴えるけど「ヤリマンそうだからソソられる」みたいな観念はちょっと大ざっぱすぎじゃねーかと思った。「色っぽい」のと「アバズレ」て似て非なるもんじゃん。色気があるってのは「喰いつくor喰いつかない」じゃねーし、ブラックスワン中ではナタリーポートマンでもミラクニスでもないんだよねえ(早い話モニカベルッチです)。キャラ的にはミラクニスが「すぐヤらしてくれそうな尻軽女」で、ポートマンは電車で痴漢される子だよね。痴漢の標的にされる女子は「おとなしくて抵抗しなさそうな子」で、半裸レベルの露出して練り歩いてる肉食感むきだしの女子はみるからに噛み付かれそうなので痴漢の対象にはならないらしい。なのでポートマンは男からするとべつにソソられはするんですよ。手頃な獲物として。なのでポートマンの相手役に対するバンサンカッセルの「ポートマンとヤリたいかどうか」の問いはなんかちょっとそぐわない気がする。白鳥を文句なく演じられるポートマンは「喰われる側」の被虐キャラであるのに対して、カッセルが求めてるのは「喰う側」の加虐キャラ=男に欲望むきだしで喰いついてゆくメスのケダモノ感なので、なんつーかマゾ男の琴線に触れられるかどうかっつーあたりで指導進めたほうが早かったのでは。ちなみに萩尾望都のバレエ漫画をよむかぎりでは特定団体のバレエの世界では限られた人間関係のなかで付き合ったの別れたのを繰り返してるのがあたりまえだそうで、だからブラックスワンのポートマンのような猥談すらできぬウルトラ箱入り娘な状態でいるのは現実のバレエの世界からするとかなりファンタジー色の強いキャラクタなんでしょうなー。まあ監督さんとしてはなにも現実のバレエ業界をリアルに描くことが目的なんじゃなく、あくまで「無垢な状態のおんながダークサイドにどう向き合うか」なのでいいんですけどさ。で、結局ポートマンは母親の言いなりになって命令をこなすだけしかやってこなかったこともあって本当は女王に君臨する器ではないのに、受けてしまった重圧で精神の均衡を崩してしまうものの、その狂気に陥ったことが功を奏してものすごい黒鳥をものすことができてしまう。踊り監督であるカッセルは魔性役柄を演じるにあたって踊り手に備わる「男を誘惑する小悪魔的な面」をだすことこそが必要だと考えているんですけど、ナタリーポートマンのダークサイドはそんな甘っちょろいもんでは終わらなくて、邪魔者をブチ殺してのしあがりたいというどす黒い欲望が心の底にひそかに渦巻いている(対してミラクニスは嫌がらせで満足する程度のダークサイドしか持っていない)。それすらも元は母親の期待に応えたいという一心だったんだろうけど、一線を超えて禁忌の場所に足を踏み入れてしまったことで限界をこえてありえないモノを手にすることができてしまった。クライマックスらへんの開演前夜から上演までの駆け足展開がいちばん素晴らしかったな。精神を病んでしまった前女王のウィノナライダーが爪ヤスリで自分をグサグサ刺すとことか、ポートマンが逃げ込んだ部屋から母親を閉め出すために母親の手をドアでガンガンやるとことか展開ごとに異なった暴力が積み重ねられて、狂気に陥ってありえないちからを手にする直前のドライヴ感がほとばしっていた。人間がだんだんと人外(体から毛が徐々に生えてくる演出イイすね)になってゆくふうな。ちなみに爪の件に関しては憎悪にかられた女の霊に取り憑かれた可憐の爪が切っても切っても伸びる話を思い出した。日本で「女の爪」というと鬼と化す途中の変化ネタで扱われることが多いっぽいような。そういえば学芸会とかで子供を主役にさせたいあまりに怪物親が抗議してどーのこーのいう件とかあるけど、物語の主人公て目立つから得だっつーよりはなんとなく生贄にも思えるよ。苦難が多すぎて長生きできないとことかさ。神への人身御供のような。あんまり「主人公」にばっかしこだわってるとブラックスワンでのポートマンの母親みたいなことになりかねないかもよ。つーかさ、てめえのガキを主人公に仕立て上げたい親てのは「主人公として課される苦難をぜんぶ受けてぜんぶクリアする」ことを強制してるも同然なんだよねえ。主人公でないその他大勢のほうがよっぽど幸せかもしらんよ。そもそも主人公になりたきゃてめえで勝手にやりゃいいだろ。ガキにぜんぶ肩代わりさしてるくせしてさもうまくやってるみたいに勘違いしてんなよ。売春宿の主人と大差ねえぞ。

ソリタリーマンはウォールストリート2の後日譚です。あらすじとかにそうは書いてないけど、監督さんはあきらかにウォールストリート2の内容に不満を持って「じゃあ俺が撮る」とばかりに撮ったとしか思えないホドにウォールストリートの正統な続編すぎます。ウォールストリート2ではめちゃくちゃ強欲なはずのゲッコーが孫会いたさにかなりな額の金を手放すんですけど、それまでの展開でも家族や友情なんて屁とも思ってないし、金を手放すときも変わらずその精神状態のままなんで、なんか突然「孫」だけの理由でカネを手放すくだりがあきらかに説得力不足なんですよ。あの展開下でキャラの性質に忠実に話を進めたら「なにがあってもカネは手放さない」のがしぜんなのに、監督さんがアメリカン予定調和なつくりを優先したせいであるべきゲッコー像が奇妙にねじまげられちゃった感があって、作品としても肩すかしだったんですよね。ゲッコーをよく知る観客としては「莫大な額のカネを放り出してまでなにかにすがるようになったゲッコー」を観たかったんではないんだろうか。すくなくともおいらはみたかった。銭ゲバ冷血漢が孫を優先するまでに劇的な変化をとげる姿を。まあ「マジに頭が切れる輩は死ぬ間際までうまくやる」が現実なんで、オリバーストーンとしてはその現実に沿ったもんを淡々と撮っただけなんだろうけどな…。ソリタリーマンではマイケルダグラスが芸能人レベルに有名な車のベテランディーラーなんですけど、でかい失態やらかして業界から追放されてしまって(時間勘違いしてて前半15分ほどみれなかったんでそこんとこはよくわからん)、再起をかけて知人と新たな自動車販売会社の設立をしようとしたり、富豪の中年女性とうまいこと結婚前提の付き合いにこぎつけたりすんですが、そこでおとなしくしてりゃうまくいったろうに、それまでのウハウハ人生でやってきたお盛んっぷりを発揮して婚約中の富豪女性の娘(18歳)と一晩中ヤリまくったり、前妻の娘の友達をハメてみたりと好き勝手ヤってしまう。マイケルダグラスはおんなと話すたんびに「旦那とのセックスで満足してる?」みたいなセクハラ発言を必ずかます色ボケキチガイジジイでしかないんですけど、それまで歩んできたウハウハ人生ではそんな痴漢言動でも地位によって許されてしまってたので、それが「最上の手法」なのだと勘違いしつづけてるんですね。それがバレなきゃいいんだろうけどそんなわけもなく、娘とヤったことを知った富豪女性からは縁切られた上に執拗に脅迫や暴行をされたり、娘からは家族の縁を切られて孫との面会も断たれてしまう。女関係を手当たり次第に荒らすのが間接的に発端となって仕事相手からも見放されてしまって、カネはないわ人間関係もいっさいないわと老いた男が孤独になってしまったありさまの侘しさ満点さがこれでもかと描かれていきます。トシくった人間が欠点に気づけないまま落ちるとこまでいく光景てのは惨めでやりきれない。老いて頑固になってるからヒトの話もまともに聞き入れねえしな。ツキに見放されはじめたときにもウハウハ状態でヒトの心を踏みにじり続けてるとマジ取り返しのつかないことになるよーとゆう人生の真実を描いているので、それをふまえた上での八方塞がりの状況ならば「孫との面会だけをよすがにする」展開に十二分に説得力がつくわけです。「社会的成功」とゆうモノは神懸かり的な要素で成り立っているのではなくて実は「日常のささいなことを大事にするかどうかにかなり比重がある」てことを描いてるのかなーと思いました。ゲッコーはカネのために家族や友情を軽視して踏みにじるけど、マジに踏みにじってたらぜんぶ壊れてるよねーとゆうことを暗に語ってるのかな…?ゲッコーは頭がいいから間接的にも仕事に影響がでる関係でバカはやらないだろうけど、なにがどう影響するかなんてほんとは人間ひとりには把握しきれないはずなんだよね。あとソリタリーマンではゴードンゲッコーがマークザッカーバーグにおんな指南をしたりするふうな場面もあったりします。アメコミもんではよく人気キャラのスピンオフ映画ってあるけど、このテの社会派映画の名物キャラのスピンオフ映画ってのもあってもよくね。二次創作とか民放のコント番組くさいけどさ。超まじめなかんじで。

アイスピットオンユアグレイブは輪姦されたうら若き女性が加害者の男たちを拷問死させてゆくシンプルな映画で上記画像はここここのです。ケッチャムのおはなしにもありましたけど、なんでこう物書きの女性は未知の深田舎にひとりきり滞在してエクストリーム執筆に陥りにゆくのか。頭がいいはずなのに油断しすぎです。アイスピットオンユアグレイブで深田舎にゆく女性は小説家なんですけど、目的の家屋にむかう途中から都会を羨むチンピラ青年にからまれだすし、小屋で滞在しはじめてからも水道修理に知恵遅れの男がきたり、情報端末を水に落としたりとすこしずつ逃げ場をなくしてゆく不穏展開が踏襲されてゆきます。そしてある晩に先のチンピラどもが住居侵入してきて女流作家をさんざん辱めてはもてあそぶわけですが、女流作家が隙を見て逃げ出して助けを求めた人がお巡りさんでひと安心…と思ったらそこは深田舎なので、お巡りさんもまた都会を羨んでいる。このお巡りさんがチンピラ青年を統率するだけあってひどいんですけど、チンピラ青年たちがそれぞれすこしずつバカなのでのちの逆転展開後に綻びとなってしまうとゆう。ビーデビルドとくらべると被害者となる女性の痛めつけられ度が薄いかな。強姦はされてるんですけど、暴行のたぐいはあまりされてないっぽい描写なんですよね。それが薄いから女性が男たちに復讐する際の凄惨さへの説得力がちょっと欠けてる気もする。暴行バランス的に女流作家の復讐のほうが度合いがあきらかにひどい。まー作家でプライドも高いアレで凌辱されたことに単純に我慢がならないのかもしらんし、職業柄頭がよいのでリミッターが振り切られるとトコトンまでやりつくしてしまうものなのやもしれません。なにしろ女性から痛めつけられることに快楽を感じる男性ならば後半の画ヅラは勃起必至です。あの女流作家さんはあのあと作風があきらかに変わったりしたんだろうか。ビタ1文変わらなかったらそれはそれでなんかこわい。

『  リアルな特殊メイクに関しては、タイのスタッフを起用したんですよね?
 パン この作品で、私は切断された性器のシーンを絶対に撮りたかったので、彼らと仕事をしました。切られた性器がゆっくり縮みながら、後ろから出血しつつ、前からは精液がドロッと出ている。ただ、経験豊富なスタッフでも、そんなシーンを作ったことがないようでした。』

上記『』内はドリームホームのパンフから抜粋したモノ。大規模な地上げで故郷を奪われた子供時代のつらい記憶をもつ女性が、家族を最優先に考えて実家の跡地に建てられた高級マンションを買おうとしてたのに、世間の仕打ちの非道さによって家族よりも高級マンションを買うほうが目的となってしまった挙げ句の凶行を描いた話。実話らしいけど、あのオチからすると犯人は捕まらなかったのかな…?彼女の凶行はひどいんですけど、交わした契約をカネほしさに反古にする家主とやってることは変わらないんですよね。欲しいなにかのために人を平気で傷つける、というあたりの行いなので。おんなによるチンコ切断はアイスピットオンユアグレイブにもあるんですけど、ドリームホームのが切断後のブツのありさまもしっかりクッキリ撮ってるので軍配を上げる。最近のアメリカンはここぞってもんを撮り手がビクついて自主規制で映さなくなっちゃってイカンな。

最後の賭けはシャブロル映画で、詐欺稼業で長年組んでる男女の確執をサスペンスフルな設定下で極力ユルく描いたふうな脱力モノだかシリアスなんだかよくわからん。主役の男女は財布から抜き取る仕事をおもにやってんですけど、ちゃんと月ごとの詐欺仕事での収支帳簿つけて真面目でつましく生活してた。でまあヤバい橋をわたってく的なスジなんすけど、突然スジとはいっさい関係なく男の指を美人がナメたりしゃぶったりするシーンがでてきてやっぱり死ねよって思った。撮影してて会話シーンばっかでつまんなくなってくるとちょっとパンチ入れたくなるんだろうな。エロでもいれないといいかげん続けらんないふうな。でもさーこの爺さんの映画ってなんか製作者側の名字にシャブロル名多いから撮影中も家族に囲まれてたんだよね?全員あきらめてたんだろうな。