キリスト個人は好きだけど教会はまったく好きになれん

・首相が靖国参拝したからどーたら騒いでるけど、遺族会が後援してる党が政権握ったら自動的に首相は参拝することになるんでしょ。文句ある人は遺族会に直接文句言ったらいいのではないんだろうか。遺族会に掛け合わないかぎり、後援されてる党の人は靖国参拝しつづけると思うよ。なんで根っこのとこを朝日さんとか触れないんだろう。どこが文句いおうと遺族会の手前やめられないんだと思うが。靖国参拝反対のヒトと遺族会でお正月に公開討論でもしたらどうか。そういや今日の朝日に靖国の簡易経緯表がでてたけど、戦犯合祀するまでに祟り的なナニかがあったとかだったりしてな。ねーか。戦時ネタといえばさー「戦争反対」を叫ぶに際して、なぜか戦争の敗者側だけを叩くのが正義、みたいに見なされてるけど、それって戦争に勝ちさえすれば何十万人殺しても罪には問わないと叫んでるも同然だよ。「勝者側の殺した10万人」と「敗者側の殺した10万人」は等価ではない(=敗者側の殺した10万人だけが被害者)、て考えるのは正義や善に基づいているだろうか。それは正義や善じゃなく、勝者側にとって都合のいい世界をつくりだすための方便だよね。真に戦争に反対するのであれば「戦争に関わるすべてに反対する」てことで勝った負けたに関係なく戦時殺戮者はどこの誰であろうと平等に裁かなけりゃならんはずだけど、それを遂行する気力のある人なんかひとりもいないだろうね。それに勝者は敗者をぶちのめしてのさばってるヒトたちだから、文句なんてつけようもんなら敗者側と同じ目にあわされかねないもんな。あと戦争反対て突き詰めれば「戦争による勝者も敗者も生み出さない」てことになるけど、その思想でいま戦争状態にある場所の「(いがみ合う二者にとっての)平和」を築くことができるんすかね。戦争反対て叫ぶだけなら簡単だよね。アーレント映画(みてない)の件社長に投げかけたら「勝者側が正義、て前提で戦争関連を裁くと真実がわからなくなる」的なことを返してきたんで。なんかそれがらみ。社長といえばイノセの人が最後の挨拶まわりに自民党だけ行かなかったことから、利権が巨大すぎる都知事職にイノセの人が就いてるのは自民にとって都合が悪いんでイノセの人は自民党に引きずり下ろされたのでは?的な推測を社長がくりひろげていた。ほんとかどうかはしらん。5千万がみつかったのも貸金庫だったとかなんとか?「虎雄とのやりとりは代々の慣例なんだから従っとけ」て前任者に言われて何も考えずに従っただけなんだろうなあとは思うけども。
・社内での真っ裸写真をツイッタ投稿したとかなら個人の意思でやった感がまるだしですけど(でもコレ関連も陰謀論ふうなの出てるくさいすね)、どう考えても経営者が指示したのがむきだしな不祥事について釈明会見で「部下がやりました」とか嘘いうの禁じる法律とかできないもんすかね。
 
        
・ポンニ人はクリスマスに関してキリスト完無視なわりにテレビ番組でサンタだすときには必ずトナカイ添えるとこは妙に律儀なんだよなー…アレ?サンタが神仏のひとりだとするとトナカイが眷属てことだろ。トナカイて鹿ぽいからサンタて実は諏訪の神様なんじゃ?諏訪の神様てたしか肉好きなうえ生贄発生が伴う粗暴なイベント好きだし、それをニオわすかのような真っ赤なコスしてる時点で明言してるも同然ですな。サンタってさー真っ赤コスになぜか白くてまるっこいフワフワしたもんがくっついてることが多いんですけど、アレって梵天房(耳かきにくっついてるやつも同じらしい)とゆう天台修験のブツにしかみえんのですが、するとナニか。サンタてのは天台系修験者で諏訪神社と関係のある人間とでもゆうのですか。修行そっちのけでなんであちこちでプレゼントしてまわってんだ(靴下つるさげて待つ、てのはもしかして生贄の足を目印として掲げるあたりが由来か?)。まあ修行のしすぎでアレになったヒトなのか。サンタてなんか煙突から侵入してくるらしいですけど、火に関わるあたりからして若干荒神さん方面ともつながりがあるのやもしらん。ちなみに上記サンタのいでたち画像はココココのモノ。聖夜ネタといえばさー1年ぶりにミサいったら「すくいたまえ」連発した恒例の歌をみんなして歌ってたけど(わしは絶対にうたわない)、あの歌詞中にある兎に角救ってくれ云々のお恵み乞食的なフレーズて要するに「わしらのためにキリストは何度も拷問されて死ね(そして罪を全部背負ってけ)」て意味なんだろうか。「すくいたまえ」とか絶叫する以前にテメーでどうかしろアホンダラ。本来的にキリストと同じ水準の心持ちまでイク誓いをするのがキリスト精神に賛同する者の勤めではないんだろうか。賛美歌つくるんだったらキリスト精神を体現して生きる誓いをする内容のにしとけよ。神に対しておんぶにだっこ精神を推奨する内容の歌をひたすら歌わすとか、もしキリスト当人が生きてたら容認するだろうかねえ。だってその精神のままだったらどう考えても世の中よくなりっこないぜ。「真実を発する勇気を持つのはキリスト1人でいいし、信者は全員それに乗っかればいい」とかいうキリストを全人類の罪便所としてみなすことを礼賛する思想のどこらへんに世を良くする要素があるんだろうか(仮にキリストが人類の罪ぜんぶ負って死んだつーならもう罪なんかないはずなんじゃねーの?とか思ったけど、そういえば2〜3日して復活したから罪も復活したのか。よかったですね)。ぜんぜんわからん。やっぱ現世トレンドは天台宗だわ。性欲全否定教には四歓喜なんか理解できっこねーだろうしな。夏彦さん訳のショヴォ本が刊行された当時、だれだったか作家のヒトが「この面白さが巷で理解されるようになるまであと50年はかかるだろう」的に予言してたらしいけど、それと同じにほんとのキリスト思想も巷で正しく理解されるには2千年の時間が必要だった、てことなのかもな。その時間的・実体験的な歩みとか素地がなければ理解するまでにたどりつけなかったというか。エセ信者のわしがいうのもなんですけどさ。そうそう、この前実父のテリトリーにある古いキリスト像に入ってるぽいのがわかったんで、せめて誕生日くらいはと思って食べのこしのグラタンをお供えしといたんだけど、そのあとにゴタゴタあって空腹のまま仕事しなきゃならんくなった実父がいつのまにか食ってて、なんか…なんとなしにキリストのご利益てのがどういうものかちょっとわかった気がした。キリスト教で祀られてる存在に対して寄付だとか自己犠牲的な「無償」の捧げモノをすると、それをちょうど求めてる中の無償精神を保持してるヒト(信者)のとこへピンポイントで届けられる、的な「流れ」を主体とする宗教なのかな?と思った。なんつーか、右から左へ慈悲の循環を起こすことを是とするつーのかな。マザーテレサ(←テレサキビシすぎ。わしならば暖房はありがたく頂くがな。むしろ催促する)がたしか全世界から贈られるもんを片っ端からカネにして貧しいヒトのために使いまくってたらしいけど、あの慈悲循環を至上とした生き様を「場」として体現してくとゆうのかな。キリスト教の神は菩薩や如来的にいうとどんなたぐいの能力になるのカナーと思ってたんで、なんとなくでも理解できてよかった。やってみるもんだな。
・社会を構成する1要素を完全に排除しようとすると排除対象と関わった者も同じ苦を自動的に背負わされてしまう、てのは生態系に手を加えることの難しさだとかスズメ狩りで結果的に害虫が増えた話となんとなく共通してるふう。
丁寧=遅い、速い=雑てのは生理痛キたときにのむ痛み止めの薬の効き方と似てるなあ。のんで即キく薬は1〜2時間すると効果がなくなってまた痛みだすんだけど、のんでからキくまで30分以上かかる薬は朝のんだら夕方くらいまで効き目が長く持続すんだよ。モチ後者薬愛飲派。そういやあさ!!なんか、後醍醐帝の生まれ変わりさんがおいらと周辺のヒトに対して攻撃すればするほど、彼が精神のよりどころにしてるヒトたちと彼との関係が壊れてくんだって。後醍醐帝の生まれ変わりさんの霊能力は強力すぎて防げなくて(どんなんしても破ってしまう)キリがないから、彼がおいら周辺に攻撃してくるたんびにそういうふうになるような仕組みに慈恵さんと魔陀羅さんとでつくりあげたんだって。神仏て徒党組まないんだなーと思ってたけど、同じ場(人)に居て克つ目的が合致したときにだけ希にコラボることがあるんだな。後醍醐帝の生まれ変わりさんの精神の根っこがなんなのかってのをしっかり調べてたから護摩から今までかかってたんだね。さすが。ホレなおしたわい>お二方。こういうふうに仕組んじゃうと霊能力ではどうにもできないらしい。永久保漫画で井口さんがやってた「運命をいじくる」の応用かな。こういう霊能仕組み仕事てちょっと美術作品をつくりあげるのに似て、出来上がってからその企みがはじめて見えてびっくりしますね。どんなホメてもホメたりん。お参りいってた際のおいらの提案が下敷きにはなってるけども、こうキたか!と思って感服した。さすがですよ魔陀羅さん慈恵さんコンビ。天部さんだとか菩薩さんだとか、強烈な性質だけにせっかちで短気なとこもあるから、参拝者が悩んでる!と見なせば即その場で悩みを解消してくれたりするけど、今回のケースではそのテの即効性のあるやり方では対処できないんだよな。むしろ火に油をそそぐことになっちゃってさ。じっくり詰めてく、て腰据えた長期戦対応でないと解決できんかったのね。たいへんだったけど面白かったな。神仏のアレコレが垣間みれて。
・昨日、夫人に連行されて鑑定士と顔のない依頼人(武蔵野館)みてきた。オークションやる人兼美術品鑑定家のジェフリーラッシュが、鑑定たのまれた絵画が好みとみるや本物にも関わらず偽物判定しておいて、その絵を競りにだした際に身分隠して参加してもらってるダチ(ドナルドサザーランド)に格安で落札してもらったのち、謝礼と引換に手にした絵画を自宅の隠し部屋に飾っては悦に入ってるんですが、こうして集めた絵てのが女性画ばっかしで、まあAVのコレクションみたいなもんですな。それの有名画家のやつばっかし、てのは好事家にはこたえられんもんなんでしょう。そこへある日、屋敷と中身まるごと鑑定してほしい、とかいう女性からの電話が入って、現場にみにいくんだけども電話の女性は姿をあらわさないし、そのわりに要求は多いし、でも屋敷内にはけっこうな骨董があるんで、興味はあるのにみたいもんがいっこうにみえてこないヤキモキ感でいったんは断る方向になるんですけども、また女性からの電話でメソメソしてるし、どうしても、てことでまた鑑定したりしてるうちに使用人のおっさんから件の女性身辺について小出しにされたり、行くたびに謎の歯車があちこちに落ちてたりして、なんかこう、ジェフリーラッシュの興味を掻き立てるふうな展開がチビチビでてくるのでどうにもこうにも関わらずにいれなくなってゆく。このジェフリーラッシュ扮する主人公てのが仕事に関してはベテランで冷徹なんだけども、それ以外に関しては初心者すぎて、なんていうかウブなんですね。それを見抜いた輩がいるんだわ。観終えてから考えるともうあちこちに周到な罠が仕掛けてんのな。ジェフリーラッシュがツボるネタが散りばめられてんだよ。よくよく考えればそんな都合のいいことなんてありっこないのに、ウブなだけにかつて空想しまくっていたであろうファンタジーに火がついちゃって止まんなくなっちゃったんだな。なにしろ相手の言動にいちいち怒ったり悲しんだり、感情を揺さぶられてる時点でもう相手方の術中にハマリかけてるってことなんだよな…。感情に振り回されることなく、純粋にいつもの業務として取り扱ってればあんなことにはならんかったろうにね。中盤あたりでジェフリーラッシュが姿をあらわさない女性の部屋にしのびこんだ際に、女性が電話してる中の会話で詐欺進行の片鱗がみえてたんだがな。あれ、この女やっぱり…(そもそも広場にすら出れないヒトが電話口とはいえあんなに明瞭に大きな声でスラスラしゃべるもんかなあ)てみてるコッチも思うんだけども、その後の主人公の激しい感情表現でそこらへんの怪しげシーンの記憶がいつのまにかふっとんでるんだよね。みはじめた当初もさあ、舞台劇くさいあざとさ(怒る演技にしても大仰でやりすぎ感あふれてる)が全編に漂いすぎてるな…と思って辟易しかけてたんだけども、後半になだれこんでオチがわかると、あのあざとさは観客のだれもが予想するであろうオチを想起させないための誘導演出だったんだなとようやく気づくありさまで。監督さん見事な手腕だなあ。犯罪映画かどうかをわからないふうに喧伝したあたりからもう客をだましにかかってんのな。ぜんたい「所有」について描いている映画なのかなあと思った。モノだろうとヒトだろうと一時的に占有することはできても「所有」することはできないんですよね。なにかを持って死ぬことはできんのだし。ラストの主人公のありさまも、一見かわいそうにもみえるけど、執着さえ手放せばあんなダメージ受けないはずなんですよ。あれは詐欺師どもにやられた、てよりは自らの凄まじい執着心に焼き尽くされてるだけなんで、同情心もさして沸かんね。そもそも主人公のほうは女性画に囲まれて暮らせるのがうれしかったかもしらんけど、女性画のほうはこの男にしか見てもらえないからうれしくもなんともなかった可能性のが大きい気がする。あんだけの絵画群、解き放ってもらえてよかったのでは。この映画に関して、夫人は会社仕事で苦い思いをした英国の某の件で延々話してたし、今月のジュンポーでは荒俣さんが覗き見に関することで熱く書いてたし、みるヒトによってバラエティ豊かなネタがいろいろ出てくるところからして傑作なのかもしれない。面白い・つまらない関係なく、みたヒトから思いもよらないネタがよりどり出てくるときは大抵傑作な場合が多い。ジュンポーといえば半年分買ったのがきれたんで来年はよめないし、貯金2千円なのに2万円分漫画衝動買いした(がまんできなかった)のでこれからのバイト代は自動的にとぶし、映画雑誌にしても何もよめない進行です。