手法がどうこうより「書いちゃいけないことなどない」からはじめたほうがいいような気も

アンジーを含む、当時の連続殺人犯というものをよく知らない、当時の人たちのロマンチックな「想像」なのではないかとも、思います。

うわーたぶんそのとうりすぎる。さすが亮一さんとこにたむろしてる人はひと味ちがうぜ。あのこども農場でのシーンはえっ叩き殺すだけ…?みたいな妙なそっけなさというか、展開が陰惨なわりには肝心の残酷シーンがあまりになくて(そのほうが警察腐敗のヒドさが際立ちますけど)ちょっとそこだけはなんだろうなとは思いました(書き込みみるまで完全にうっちゃってた)。あれはよしぼうさんの指摘してるように当時の一般の人が思い描く殺人鬼像の限度みたいなものなのかもしれない。するとあの画ヅラすべてが基本的にジョリ姐演じるコリンズさんからみた世界観に基づいた画面づくりをしてるということになるのかしら。そうするとあのシーンのそっけない描写な理由がなんとなしにつながるような。あと亮一さんとこスレのでは性行為<殺人の性的満足な殺人鬼は結構居るはずというご指摘もまさにそのとうりでしたスマン。サイコパス好きのおいらとしたことがヒーホにのってた町山さんのチェンジリングリアル逸話な画ヅラを期待しすぎたあまりについ…!殺人鬼的には支配欲を満たすには突き詰めれば性行為よりも殺しがいちばんでしょうしね。ついついといえば昨日の日記の『暴れそうになった池沼を養護院の職員がフェラチオして』の部分は本来ならば「養護院の職員がガポガポして」「養護院の職員がちんぽをしゃぶって」というたぐいの表現をあてるのがいちばん自分らしさの炸裂した表現だったにも関わらず、つい「フェラチオ」などと大人ぶった書き方をしてしまいたいへんお見苦しい。なんか書く際には一応「だれにでもわかる書き方をする」を心がけてなるたけちいさい方から焼き場寸前の方までだれでも一発で理解できるよう最大限の配慮を払っているつもりなのですが、昨日はフェラチオなどというちょっとお子さんにわかりにくい気取った表現をつい気のゆるみで使ってしまったことを心からお詫び申し上げます。子供への配慮が絶対的に足りてなかった。子供がよんでわかるような平易な表現で克つだれでも殺せるような文に越したことはないと思うだけに、今後も自分をよりキビシく律していきたいと思います。この件といいなんか最近自分を見失いかけてるような気がしてしかたないんですよね…。フェラチオの件も昨日フロにはいりながらフェラチオってないよな…とか自分が情けなくなってしかたなかった。擬音ORむきだしの精神を忘れない。そういえば昨日の朝日新聞の夕刊(最近朝日ネタばっかだな)の「ネット上の攻防」てコーナーが学生さんが読書感想文をコピペで済ましちゃうことが問題になってるとかいう内容だったんですけど、そんなかで恩田って人がつくった読書感想文用のコピペ推奨HPのことが出てて、その恩田さんのコメントとして(以下『』内記事より抜粋)『「感想文の書き方をきちんと教えず宿題にするのは、泳げない子をプールに放り込むようなもの。感想文で書くことが嫌いになるより、好きになるまでの時間稼ぎにコピペがなればいい」』とか出ててそのとうりだーと思った。つーか…原稿用紙が埋まるほどの感想がしぜんに出てくるもんはそもそもがその子が個人的に好きでしかたない本とかだからであって、いきなり課題図書押し付けられて原稿用紙埋めるほど感想ひりだせっつーほうが無理に決まってると思うけどね…。恩田さんは感想文書かせるならまず書き方教えろとか言ってますけど、書き方は基本的に既存の形式やひな形にどんなもんがあるかを提示するくらいなもんで、それが「うまくできる」っていうのは自分の感動をそのままぶつけるのとは真逆の作業であって(カタチをマネるのがうまいことは素直に感想や気持ちを述べるのとは逆のことで、感想文を書かせる本来的な目的からは外れるんじゃねーの?それが合致してたらいちばんいいんだろうけど)どうなのかなと思う。かくいうおいらも小中のころの読書感想文、すんげえ苦手でコピペできんならソッコーやってたと思う。課題図書って興味ない本ばっかなんだもん。読んでみればすきかもしれないじゃんかーみたいにいい子たちは思うんでしょうけど、押し付けられるの自体がすっげえヤだったからろくに読むわけなかった。一方的に先生がダラダラダラダラしゃべりつづける授業も受ける意味がわからなかったし。学校も勉強も嫌悪していて基本的に頭が悪かった。いま考えると図書館にはしょっちゅういってて絵本と児童文学と植物動物の本だけなめ尽くしてたんですけど、自分が好んで読んでた本はなぜ課題図書にはいってなかったんですかね?1冊でもあればそれで感想そこそこ書けたろうに。たしか理科の偉い人の伝記みたいなかたっくるしいのばっかで見向きもしなかったんだよな。課題図書。つうかさ、小中の感想文の対象ってなんで漫画は含まれないんですかね?漫画だってそこらの小説家顔負けのすごいもの描いてるのにさ。なにか?漫画は感想文に値しないとでも思っているのか教師連中は?じゃあ漫画に対する感受性は小説に対する感受性よりも下ということなのですか?好きな漫画やゲームの感想文なら書き方なんか教えずともものすごく濃い内容をみんなそれぞれ書いてきそうな気もするけどなあ。