『三位一体』が合体ロボのような響きを持つよ!!

―子供要素を裏に仕込みつつ、「ワイルド・ナイツ』の表のテーマは通り魔部分、すなわち「暴力の快感」みたいなところですか?さえないボンクラが体を鍛えてヤンキーをぶっ倒すというのは、「路地裏のバッター」(02年発表/『青春☆金属バット』収録)あたりとも連なる暴力衝動の系譜というか。
古泉 そうですね。でもその暴力も、産まれた男の子がヤンキーになって復讐されるのにビビって、という動機ですから。実際、僕も産まれる子供が男の子だと思い込んでいて、「殺される!」って思ってたんですよ。結局、僕の子供は女の子で、それを聞いてものすごく安心しました(笑)。』

『もっと簡単に言うと、気分で生活しているわけである。できればいい気分で暮らしたい。気分よくなるためにギャンブルに興じ、高額商品を購入し、異性と性行為に及び、お酒を飲み、食事をし、人に評価されたがり、お金をもちたがり、車を走らせたりするのではないだろうか。厳しい世の中で厳しい仕様の自分自身、自分の市場価値を認めるのがつらい。それなのに常に値踏みされている状況だ。安く見られたらたまったものではないと思いながらも、あえて墓穴を掘る覚悟で何かやったら裏目に出て鼻で笑われるなんて事もよくある。しかし、それもこれも笑って過ごせればいいのではないか。惨めで最悪な自分も、案外笑えるなと思えればこれほど心強い事はないと思うわけである。経済にしてもそうで、貧しくともやりくりで楽しく過ごす精神があった方がずっと安心ではないだろうか。パソコンとブロードバンド回線があれば世の中の面白いことや楽しい事が目いっぱい味わえる世の中である。

 リストカットをする人が「痛みを感じている時だけが生きている事を実感できる」と時々そんな話を聞く。そういった皆さんにはぜひ空手をお薦めしたい。お腹の脇を叩かれると痛くて生きている事を実感できるし、体を動かす事で健康になり、ケンカも強くなって本当に頭に来たら嫌いな人をやっつけられるし、誰にも迷惑が掛からない。こんなにいい事だらけなので、今すぐリストカットなんてやめて近くの空手道場に入門したらいいと思う。空手道場などというと血反吐を吐くまでしごかれるイメージがあるかもしれない。空手道場には初心者コースやちびっ子クラスがあるので、そこで体をちょっと動かしてみるだけで、本当に全く世界は違ったものになると断言できる。オレの場合、見かけが怖いだけの人に全く怯える必要がなくなり、普通の小柄で坊主頭のおじさんが鬼のように強い事に驚き、むしろそんな人にこそ失礼があったらどんな目に会うか分からないと思った。自ら肉体を傷つけるなんて本当に残念な事だ。

 どんな悲惨で惨めな状況であろうとも、いい気分で暮らす精神の強さを見につけたいものだ。単に鈍感であるというのとも違い、問題に向き合い噛み砕いて、それなら仕方ないよねとうっすら笑えるようにありたいものである。問題が曖昧模糊としたままで背中を向けるのが本当に一番よくないと思う。しかしそのような精神の強さがあれば暴力に対抗できずともいい気分で暮らせるという理屈も成立し、オレはそこまで全く至っていないということなのだ。まずは、あらゆる重要な問題に背中を向けさせる最大の壁、気まずさを乗り越える精神を獲得したい。もう少し時間をください。』
 
上記『』内はこれからで、本日題はこれから各抜粋したブツ。免罪符みてこーいうのどうかと思う!!!とか言ってるルター画みてると世界史は基本的にぜんぶギャグ漫画化できるものなんだなーと思う。キリスト教がらみのことってひでえことばっかしてたせいか深刻なカンジにしかやらないしねえ。あとニューフェイスキャラとして大天使4人とか出てきてばったり出くわしたブッダとイエスの前でとっさにアメリカ人のポップアイドルグループ装ったりとかしますけど、楽天的すぎる素行がイギリスのサッカー場にいる悪ガキとあまり変わらないカンジの人たちです。あとブッダにたびたびからんでくるマーラとかいう人がうっとうしい話とかありますが、とりあえずイカス人らしいユダさんはまだまだ出さずに引っ張るようです。さっさと出せよ中村ーユダ出待ってんだよ〜。基本的に神様は友達が多いんだなあ。とりあえず天使みたいな実像が限りなくないに等しいキャラのときほど既存のもののイメージに忠実にするほうがいいような気も…。いやなんか…イエスとかブッダの一般に浸透してるビジュアルイメージのキャラがキモなときに中村さんオリジナルにちかい造形のキャラ出されると微妙にテンション萎えぎみになるっつうか…結局コレってだれもがよくしってるアレがこんなふうな!!!みたいないじくられかたの快楽に根ざしたもんで、ぶっちゃけ同人誌とつくりかたが根本的に似てるものだし、そこに既存イメージ無視しすぎたもんだされすぎてもなんかその楽しみが損なわれぎみになるっつうか。重々おわかりだとは思いますけども。リュウの新刊もよみましたが、とりあえず大野ツトムさんにはいいかげん肉体を宇宙人に乗っ取られた女の子が好きな少年の前で痴態を繰り広げる的な変態ラブコメをのびのびと自由に描かせてあげてほしい。原作がついたら制約に縛られすぎてフッツーのどこにでもいる漫画家に成り下がったよねー。押井原作だったらむしろ全然関係ないようなホムラの人とかゆるニャ〜!!の人とかに絵かいてもらったほうがミスマッチすぎておもしろそうな気も。原作と絵が似た雰囲気の個性のだと芸がなさすぎじゃね。化学反応がおこらんというか。作り手が予想がつくものしか目論まないってことなんすかね。しりません。

えーと金曜はロックンローラ(ガーデンプレイス)→映画は映画だ(シネマスクエアとうきゅう)。やっぱ歌舞伎町の映画館はお客さんの反応もビビッドでいいなあ。おかしいとこで遠慮なく笑ったりがとってつけたアレとかじゃなくごくしぜんに出たアレでスゲーおちつく。いっぽう恵比寿のみたいなおサレ映画館では笑いシーンでも客席がくすりともせずおとなしいことこそが暗黙の美徳みたいになっててバカで息苦しい。前にザ・ハンバーグでメシくってたら隣のOLが映画館で声出して笑う人ってしんじらんな〜いだのセーラームーンみてないって女の子としてどうなの?だのタレててバカなんだなあと思いました。子供のころにセラムンみずにドラゴンボールみてたもうひとりのOLさん、あなたは正しいです。セラムンもDBもどちらにしろ悪を倒す進行には違いなくて同レベルなのにねー。職場にああいうバカがいたらセラムンのドエロ同人誌をこっそり鞄にしのばせてやるのにー。美少女アニメキャラはかならず男たちに慰みものにされているという事実を叩き込むためにもな。というわけで映画は映画だはキムギドク組の人がメガホンとったものなせいもあるんでしょうが、なんか男がちゃんと男で安心するよ。スジとしては映画のアクションシーン撮影中にわざとアテられた俳優が、ムカついてちょっとやりすぎてしまって世間的にホされるわ共演してくれる人がいなくなるわでこまりはてて、以前打ち上げやってた飲み屋でひと悶着あったヤクザのソ・ジソブに相手役をたのみこむというもの。ジソブは前から俳優にはすこし憧れてたので躊躇するも結局やることに。基本的に演技的には素人なんですけど本気での殴り合いならお手のもので、撮影となっても普段のマジな調子でやるので大迫力ですが、相手役つとめるほうはケガはするし女優はマジで犯しちゃうわとKYもこうまで突き抜けるともはやすがすがしいものです。本気度が高いがゆえにカメラまわってることに気づかず、演技中の女優さんを入水自殺かと勘違いして猛然と助けにいったりもします。なにもかもマジでやるが基本のスジもんの気合いのはいりかたがちがうゆえの純粋さに女優さんは当然惹かれていくし、演技もだんだんコツつかんできてプライベートをないがしろにしている俳優が色々うまくいかずにイライラしつつもどうにか順調に撮影が進んでいくなか、本業のヤクザ方面の仕事で殺しをすることになるんですが、これまではいくらも冷徹に片付けたような仕事にも関わらず、なんか撮影のほうの筋書きが影響したらしくて脚本のセリフまんまなことを言って殺さねばならない相手を見逃してしまう。それが刑務所のボスにばれたうえ、見逃した標的を見張らせた子分が自殺にみせかけて殺され…て展開です。結局撮影は続行することにこぎつけるんですが、最終的には何事にもスジを通さねば生きられないような男はカメラには収めることができないというか、創作というフィルターをかけることなどできないよ、という真実があぶりだされたカタチになるものです。相手役をたのみにくる俳優に、ジソブは最初オレたちクズと呼ばれる人間におまえら表面を装って生きてる連中はかなわないんだよ、みたいに言い放ちますが、それはスジを通す対象がそもそもちがってるからかなわなくて当たり前な気も。ジソブさんとしてはかつて憧れていたものに対する嫉妬みたいな感情が手伝ってたんでしょうけども。ラストあたりの泥まみれの戦いは静止画がパンフにのってましたが、なんか彫刻じみててかっこいいです。個性をなくした上でやると人類の根源的な争いみたいにもみえておもしろいからなんだろうな。あとこの作品は対立する二者のどちらか片方がどこかへいってしまう的なオチなんですけど、これはこの監督さんがギドク組の人だからなんですか?ギドク作品て弓といいサマリアといいそのネタ多いんですよね。偶然なのかなあ。
ロックンローラはようやくガイリッチーがもどってきたかんじでよかった。物語上のサスペンスには影響しないあらすじ的なシーンを漫画の吹き出しふうにひとこと説明させて済ませる手法がよくもあり悪くもあるいつものあの軽さで。このせいでガイリッチーの(本領発揮してる)映画が少年同士のふざけあいみたいにも見えてしまうくらい軽くみえるんですが、でも今作みて思ったんですけどこういう感覚ってなにもガイリッチーだけに限ったことじゃなく男は全員こういうふうにみえてるとこがあんじゃねーかな?実際にはものすごいえげつないマフィアの拷問とか殺し屋との死にものぐるいの格闘とかでも、実は男からするとけっこう笑えるというかちょっと間抜けにしかみえてない、みたいなとこあんじゃね。まんこなのでよくはわからないんですけど。実はひどいとか心の底ではたいして思ってないでしょ。まともに考えりゃひどいはひどいんですけど、まあやられた俺が悪いんだし、みたいな感じで。なんかいまいち説明しづらい。まんこなので。そこらへんのひどい目にあったけど実をいうとまあ別に、みたいな男という生き物の根本メンタルをまんまビジュアル化するとガイリッチーの映画になるんじゃねーのかね。暴力自体は現実には苛烈なんですけど男としてはたいしてひどいとかは思ってない、その心象風景のほうをあらわしたものというか。今作に関してはジェラルドバトラーが男くさーく撮ってあってよかったですし、あとなぜかホモネタが頻出しています(よくよく考えたらバトラーが黒人の人を裏で相談にさそうときにもシャレとしてとはいえナマ尻まで出してたな…)。あのロシア人の殺し屋ふたりも結局SMホモってことだったんですかッ。なんなんだこのホモネタの多さは。ガイリッチー作品の風味と絶妙にマッチしてていいですけども。そういえば関係ないですけどこの前常連さんが某アダルト書店へ入店するところを目撃してしまって内心あたふたした。よりによってとてもやさしげな人だったもんだから落差も手伝ってよけいにああ…と思いました。帰途ぐうぜんみてしまったんだよマジ。すまなかった。新春のお慶びを謹んで申し上げます。

あそうそう、古泉さん文は自分の子に殺されるかもしれない的な発想が男ならではの思考だなーと思って載せなきゃと思ってそうした。