たとえ新たな世界に生まれてもまた同じことをしてしまうはガチ。

昨日はバウスシアターにて爆音マルホランドドライブみてきましたけど、はじめてみる映画かのような衝撃度だった。あれだけ音にこだわる人の映画だから爆音化が合わないわけがないとは思ってましたけど、よもやあそこまで爆音と相性がよいとは!!地響きのような低音(爆音だとよけい怖い)が爆音化されて劇場内部のモノがビリビリする始末で、リンチの世界がこちら側まで浸食してきたかのようなド迫力。これはリンチファンの人は遠出してでもみる価値あるよ。つーかみないとリンチファンとしての人生が確実に損してます。もうバウスシアターの人もリンチ映画オンリーの爆音まつりを開催すべきだよ。中原さんちっくな人もいましたけど観終わったあと頬が赤らんでましたし。中原さんちっくな人が映画みて紅潮してるなんてたいへんなことですよ!!肝心の作品ですがリンチ映画って最初にみたときには何が起きてるのかいまいちわからないことが多いんですけど、何回かみてるうちにだんだん把握できてくるものでマルホランドも今回でようやくつかめた。現実に起きたほう(後半)でナオミワッツに対してやさしかったり味方してくれる人が、幻想のなか(前半)でナオミワッツを引き立ててくれたり世話してくれる人で、同じように現実でナオミワッツを悲しい目にあわせる人が幻想では悪いキャラとして配置されてるあたり、やっぱり青い箱を開けるまでの前半は死体となったナオミワッツがみてる心地のいい願望の世界でファンタジーなのですな。いちばん最後にナオミワッツ(ベティ)を自殺に追いやる爺さん婆さんはベティの「狂気」が人の形になったもので、あの「狂気」が前半の世界をつくりだしている、つまり死体のベティにいつまでも幻想をみせつづけている大元という。いちばん最初にベティを空港から送り出して爺さん婆さん(ベティの狂気)がリムジンのなかであざ笑うようによろこんでるけど、すなわち前半のすべては死んだベティの狂気がつくりだしてるってことなのね。その甘い幻想は地獄のような現実を忘れているがゆえに成り立っている世界なんですけど、自分にとってなにもかもが都合のいい甘美な幻想世界とはいえ、そこで新しく生まれ変わらされたカミーラの正体を調べていくと、どこかでみたような光景が色んなとこにあったり(現実のいろんな部分を少しずつつくりかえただけで、みたことのないものはひとつもない)、悲しい歌を聞いたりするうちに忘れていた現実に結局どんどん近づいていってしまう。地獄だった現実へと近づくにつれとうとう現実世界の象徴である青い鍵、それに青い箱に行き着いてしまう。青い鍵は現実で依頼を請け負ったチンピラが「カミーラ殺しが完了した」という合図として置いていくもので、それは憎しみと悲しみの記憶の生まれた現実への接点として幻想→現実へ切り替わる際の装置として出てくるものでわかりやすい。前半のベティの幻想世界で、ある映画の主演女優として権力者みたいな連中がひとりの女(現実世界でカミーラを好いてるベティの目の前でみせつけるようにカミーラとキスする嫌な女)を主演にするよう頭ごなしに命令してきて、それを監督がすげーいやがって権力者の車をボコってでも拒否したら映画製作自体が止められたり監督の全財産を無効にしてきたりとこの世から存在抹消する勢いで命令を聞かせようとしてきますけど、そんなことまでされて据えられる女優って悪魔の化身かのように思えてきますよ。あれはハリウッドの映画業界で現実にあることなんですかね。この幻想世界ではベティが嫌いな人が悪の枢軸みたいな役割してたり、ひどい目にあったりしてんだよな。あの女優押し付けてくる権力者と監督を諭すカウボーイはベティの狂気世界での「悪」の象徴ってことなんですかね。なんか絶対悪のようなえもいわれぬ怖さがあって。あと「泣き女」の歌のとこも悲しいですけど、それ以上に悲しいのが前半のベティの幻想世界でカミーラが金髪のかつらをかぶったあとのふたりのレズセックスのシーンがなんか悲しすぎる。音楽もいかにも悲惨なシーンかのような調子だし。ところで現実世界でベティに青い鍵が渡されてたってことはカミーラがもう死んでたってことで、じゃあベティの幻想世界にでてくる記憶を失ったカミーラはベティによって作り出された「都合のいい」キャラではなく、カミーラ当人の霊かなんかなんですかね。あーでも冒頭のマルホランドドライブでのカミーラが殺されかかる→衝突事故のシーン自体がベティのつくりだした幻想だから当人の魂は関係ないのか。現実で青い鍵渡されたってことはもうカミーラ死んでるってことだしな。冒頭の衝突事故で車から火の手があがってもうもうと覆う煙のなかから女が生み出されてきたシーンはやっぱラストのベティが死んで煙があがるとことつながってんですかね。煙のなかから幻が生み出されてゆくとか、リンチっていちいち方向性が最初からまったくブレてなくてシュルレアリストでシビれるぜ。あと今回みててようやく気づいたんですけど、リンチ映画で演じてる俳優さんて、早口でしゃべる場合があんましなくて、ひと区切りずつゆっくり確実に発音してることが多いですね。それってなんとなくわざとらしくもみえるんですけど、でも画面のもつ質量的にはすごく濃くなるし、ほかの監督さんの映画の俳優がしてる演技を戯画化したもののようにもみえてかえっておもしろいですな。リンチ映画が隅々まで完全にコントロールされてる異世界のようにみえるのって、あの執拗でねっとりしたセリフ回しに一因があるのかもしれん。

ぜんぜん話ちがいますけどTRASH-UPの裏表紙にあるこれってどうなんすかね。はじめてみたといえばつい最近この人について知ってへーえと思ってたんですけど、この人といい女の神秘関係の人って幻視だのトランス状態の恍惚とかを重要視してるふうな人が多いっぽいですな。しかし300年前くらいって思想系の弾圧受けてた人マジ多いな。中世なんか出てこないところでもむちゃくちゃあったんだろうし。昔ほど表現イコール戦闘そのもので命がけだったんだなーとしみじみ思う。