文明は、必ず人間を大量に殺していく

『さきに、広島の保守性・閉鎖性ということにふれたが、実は広島市現代美術館は、日本で最初の公立「現代美術館」である。だが、私個人の見解としては、この街には「現代美術館」は重すぎる存在であり、それを支える文化的環境があるかどうかには疑問を持たざるを得ない。
 実際のところ、市議会などでの、保守系議員を中心とした美術館への突き上げはそうとう厳しいものがある。一方、グローバルでアートエリート的な就職先あるいはステップアップのひとつとしてやってくる学芸員の意識は、おそらく「イナカモノにはわからん」というレベルのものであろうし、その乖離は、担当部署である市民局の行政マンを消耗させる。一方はどこまでも「カネ」の話であり、もう一方はどこまでも「文化的価値」の話であり、その調停は実のところ行政マンの仕事ではないはずなのだ。
 さきに紹介した中国新聞の記事や美術館と作家が行った「謝罪」は、「被爆者」を正面に立てながらも、実のところはこうした背景から出来してきたものではないかと私は冷ややかに見ている。そして、この冷ややかさを決定的にしたのが、Chim↑Pom叩きの急先鋒に立ったこの新聞は「暴走族追放条例」創設につながったキャンペーン報道で新聞協会賞を穫ってもいて、Chim↑Pom叩きに、それと同じようなトーンを感じたからだった。
 日本で最初に広島でつくられたこの条例に関して、私は既にその問題性を指摘しているので、あらためてここで詳しくふれることは避けたい。また、暴力団にも通じる可能性があり、うるさくて迷惑な存在でもある暴走族を取り締まって何が悪いという声も、たしかにあるだろう。しかし、「国際平和文化都市」の名の下での、条文もあきらかに憲法違反的な文言がたっぷりと記されたこの排除的な条例に、私は合意することができない。教育の領域がどんどんと治安の領域へ売り飛ばされていくからだ。極論してしまえば、この条例を全国初でつくってしまった広島の「平和」とは、「力には力で」というものでしかないことをも明かしてはいないかと考えてしまうのだ。
(中略)
 では、Chim↑Pomに「ヒロシマの空が汚された」とわざわざ新聞に投書するような良心的な市民が、岩国の米軍基地に対して、あるいは昨秋のG8議長サミットに参加した核保有国や戦争当事国の国家指導者たちに対して、「不快」な思いをしたのか。それに声を上げたのか。それは私は知らない。しかし、「薄っぺらいアーティスト風情が」などと考えながら、「米軍は日本を守っている」「国家指導者たちが平和をつくってくれている」などと信じている可能性もなくはないのだ。もしくは、軍隊や国家指導者たちに疑問を持っていても文句を言えないから、「アーティスト風情」にとりあえず憤懣をぶつけようというのかもしれない。いずれにしろ、ここにはどこか「平和」とは何よりも上だというような意識があり、ヒロシマ例外主義的に、広島にいるだけで自分たちが高いところにいるような空気がないとは言えないのだ。
(中略)
「ピカッ」の数日後に行われた蔡國強の黒煙のパフォーマンスがなんら批判を受けなかったのは、彼が既にグローバルなアートシーンで評価を受け、ヒロシマ賞を受賞した「権威」だからというのが実のところではないかと思う。一方で、中国新聞の一部の記者と議論すると「あっちのほうは事前説明があったから」「広島側と入念な打ち合わせがあったから」とも主張する。これはたしかにそうなのかもしれないが、ここでまた新たな疑問がアタマをもたげてくる。「アート」は、はたしてそれでいいのか。そして、もうひとつは「ピカッ」という作品そのものの起爆力は、爆弾炸裂に似た視聴覚効果以上のものであったのかもしれない、ということだ。
(中略)
 彼らもある程度のリアクションは想定していただろうが、それでも直接に被爆者の方々に会っていくという行動には、私が考えた以上の真摯さを感じたのだった。中国新聞の報道は、何かを隠しながら、「被爆者」を全面に押し出し、被爆者の心情やPTSD問題を打ち出したものだった。だから、私が危惧したのは、さきにふれた隠されたものの正体よりも、むしろ、あたかも総体のように「被爆者」という存在があり、それが「表現」を狩る、そのような構造に見えてしまうことだった。この問題は、被爆者とアートの自由とか、そういうことではないのだ。この嫌な予感は半ば当たり、半ば外れた。
(中略)
 「怒りのヒロシマ」はいつのまにか、「和解」と「復興」を売り物に、どこかものわかりがいい、しかしながら、その内側に強圧的なものを隠し持った街となってしまった。「ピカッ」はその姿をも照らし出してくれたのかもしれない。』(p.64-71)

『(中略)チンポムが空に「ピカッ」と書いて顰蹙を買った4日後に、同じく広島市現代美術館の主催で、原爆ドームの真上で特製の花火を炸裂させ、擬似的な「黒い雨」を降らせたのに、顰蹙を買うどころか絶賛されたアーチストがいる(もっとも「2ちゃんねる」ではチンポムのとばっちりを受けて悪口も書かれているが)。国際的評価でトップクラス位置する中国人アーチスト、蔡國強だ。彼の「黒い花火」は美術館のメイン会場でやる大きな個展の関連イベントであり、事前に市民団体などへの説明があったため、クレームが入らなかったと聞く。
 一方のチンポムは事前説明なしのゲリラでやり、それが美術館側の「指示/助言/黙認」いずれだったかが大きな問題になっている。これは僕の推測だが、審査員たちに選ばれた新人のチンポムは、美術館側からすると「自分たちが選んだ/呼んだ」という意識が希薄で、蔡さんとは違い、美術館全体をあげての協力態勢が取られていなかったのだろう。新人やマイナー作家にはよくある話である(ついでに僕個人の本心を言えば、あれはゲリラ的手法の法がコンセプト的に正しいと思っている。原爆投下という悪魔の所業には事前通達なんかなかった、そのことを強調するためにも)。』(p.37)

『(中略)メンバーがコンセプチュアルに詰めているはずがない。思いつきに毛が生えたようなことかもしれない。けれどもその瞬発性において、彼らがヒロシマを表現してしまうことの暴力を、結果的に「ピカッ」の三文字で武装解除していることは疑いのないことのように感じられる。実際、そこからは想像力の産物としての戦渦のイメージがまったく浮かんで来ないのだ。もしかすると、それが「平和=何も起こらない」ということかもしれない、というくらいに。
 事実、彼らがヒロシマを知らないと責められる一方で、同時にそこには大きな逆説が浮かび上がる。考えてみればよい。ヒロシマのような歴史的な場所で、人類に文明史上、最大の惨禍をもたらした原爆投下を直接指し示すことばを空に描くことができるのは、なによりも日本が平和だからだ。だから平和を擁護するのであれば、たとえ多少は不穏で不謹慎であったとしても、この自由は守られなければならない。法を犯していない以上、不穏だというだけで社会的に断罪されるのは、自由社会としてはあきらかな後退だからだ。』(p.49)

『長いものにまかれえないものを枠の外へと追いやる状況は自ずと新しい表現をタブーとして排除してしまう。』(p.94-95)

ベルメールがベルリンで作家的決心を固めたとき、すでにナチスの近代美術狩りは猛威を振るっていて、ナチス推奨の「ドイツ精神」を示す「健康」なリアリズム以外のスタイルは、厳しく否定され抹殺されつつありました。そんななかで耽溺の作家になることにした彼は、筋金入りの背徳者だった。
 ベルメールの時代と場所はたしかに極端な条件下ではあります。けれど美術における弾圧や封印はこれまでにも無数に繰り返されてきたものです。1930年代にはロシアアヴァンギャルドの粛清があったし、70年代には文化大革命が、また古代世界にもエジプトのアマルナ美術のように王の死後すぐに破壊され抹殺されたスタイルもありました。日本でも1932年のプロレタリア美術の壊滅や40年代の言論統制、60年代の千円札裁判は有名ですし、80年代の天皇版画問題、裸婦の体毛をめぐっては90年代に至ってもクレームは絶えず、近年では性的介護をテーマにしたビデオ作品の非展示もありました。美術が法に触れ、公共の美徳に反し、市民の顰蹙を買い、官権と齟齬を引き起こしてきた歴史にはきりがありません。もともと現状を超えるビジョンを求め、反世界をつくろうとする美術の営為は、完全な無害=危険度ゼロパーセントというわけにはいかないとさえいえます。』(p.197)

『(中略)Chim↑Pomは「チンポム」というユニット名でなければ、少しは作品の受け止められ方が変わったのではないかと。だって名前が下品すぎませんか(笑)。たけし軍団じゃないんだから、わざわざなんでこんな名前を名乗らないといけないのか(笑)。玉袋筋太郎ってNHKに出演の際には、知恵袋賢太郎に芸名を改名しないといけないでしょ(笑)。でも、今回の件に関してはこのネーミング、一長一短らしくて。むしろChim↑Pomって名前だったから、NHKで大きく扱われずに済んだみたい。なぜなら放送コードにはギリギリ抵触しないと思うけど、自粛用語にはなるので、発声できないでしょ。実際規制されて「ある芸術家集団」って報道されたらしい。別の角度から見ると、今回お茶の間では、放送コードがこの芸術的行為から作家性を奪い取ったことになる。インターネットでの行為と同じく匿名になってしまった。逆にネット上では、メンバーの実名や素性まで明かされているのにね。でも、今後、彼らはせめて日本の公的機関で作品を発表するときだけでも、別のネーミングにしたほうが身のためだと思う。だってChim↑Pomじゃ、キホン何をやってもアカデミックな表現には見えませんよね。とくに今回の表現を遂行するにおいて、かなり損していると思いますよ。(中略)
 最後に、今回の「ピカッ」に対する僕自身の感想のまとめ。賛否はあるにしても、それぞれが思い描く戦争と平和を再認識させる"きっかけ"になったという意味において、現時点での「ピカッ」は「成功」していることには間違いないと思います。』(p.85-86)

『「決して忘れてはならない」
 ホロコーストを生き延びた祖父から僕は、幼いころからそう教えられてきました。ホロコースト、そして広島と長崎に落とされた原爆は、憎悪や暴力や破壊といった人間の負の力がかつてないかたちで現れたものです。だけど「決して忘れてはならない」ということは、残された世代がその痛ましい記憶を抱えてずっと暗い気持ちで生きていくということなのでしょうか。どうすれば私たちは、こうしたできごとの悲惨さに押しつぶされることなく、その記憶とともに生きていけるのでしょうか。
 そのひとつの答えがユーモアです。メル・ブルックスヒトラーを風刺した映画「プロデューサーズ」がまず思い浮かぶでしょう。タブーを扱ったパロディは、ぶしつけなものと見られるかもしれません。だけど、口に出すのもむずかしい話題を社会に届けるために、どうしてもユーモアが必要になることもあります。
 Chim↑Pomが広島でしたことも、ひとめには失礼に思われたかもしれません。それでも彼らは、原爆という日本が過去から引き継いだ困難を社会に問いかけ、それと向きあう試みの、ひとつのやり方を示してくれています。
 なによりもまず私たちがわからなければならないのは、どんな話題もタブーではないこと、そして、本当に大切なことばが活発に交わされるまでの長い道のりは、ほんの少しの笑いから始まるということです。』(p.212)

『この本づくりがまさにそうなんでしょうけど、この痛い騒動を含めて「作品」とし、問いとして世に開いていってほしいです。何やら「検閲」されたような格好で封印するのは、この作品に非難を投げかけた人にとっても、本当はよくないように思います。
 長い余談になりますけど、報道写真家のロバート・キャパにこんな逸話があって、好きなんですよね。彼が第二次世界大戦中、イギリスの空港で取材していて、帰着する爆撃機を撮っていた。したたか砲撃を浴びた機が帰ってきて、額が割れたパイロットをクローズアップで撮ろうとした瞬間、「写真屋!どんな気で写真が撮れるんだ!」と怒鳴られる。
 そのとき、キャパはどうしたと思いますか。
 ―どうしたんですか。
 使命感でシャッターを押した、のではなく、うろたえて、カメラをたたんで、ロンドンまで逃げ帰ってしまうんです。「この種の写真は葬儀屋の仕事だ」と、自分の職業をのろいながら。でも、翌朝、浮かない顔でひげを剃りながら、こんな風に考える。
 「怪我したり、殺されたりしている場面ぬきで、ただのんびりと飛行場のまわりに坐っているだけの写真では、ひとびとに、真実とへだたった印象を与えるだろう。死んだり、傷ついたりした場面こそ、戦争の真実を人々に訴えるものである。だから、私が湿っぽい気持にならないうちに、一本撮り終えておいたことは、やはりよかったと思った」。
 で、またすぐカメラを持って戦場へ出掛けていくんですね。
(中略)
 今回、「被爆者たちの心情を傷つけた」と言われたみなさん自身も傷つき、うろたえたと思うんです。でも、そのうろたえを大事にしつつ、「芸術とはこういうものだ」と結論を急がず、Chim↑Pomらしい作品を作りつづけていってほしいです。不謹慎と言われても。』(p.237-239)

卯城 いまは、おもにどんな活動を?
 吉岡 そりゃ、活動は戦争反対。
 矢野 やっぱり、被爆者を再び作らないということがいちばんです。どこの国にもね。だから、戦争反対です。
 吉岡 それと裁判だね。原爆症認定裁判いうてね。放射線の影響で病気になったことを国に認めさせる原爆症認定制度があるんですよ。爆心地から1.5キロメートル以遠は、放射能はただちに消えた、だから影響はない。国はそんなことを言うんですよ。そんなことがあるかい!と被爆者が怒って、全国的に裁判を起こした。いまは12の地方裁判所高等裁判所で全部勝訴しとるわけ。それでも国は認めん
 矢野 司法で勝訴しているのに、政府はそれを認めない。
 吉岡 12連勝なんだが(笑)。
 卯城・林・水野 わはは。
 卯城 野球の試合みたいに言ってる。
 吉岡 裁判では12連勝なんだが、国が認めん。司法は、訴えた原告の全生活を考えて判決を下しとる。だけど日本政府、つまり厚生労働省はそれをずーっと却下してきとる。なんでかいうと、国の原爆被害の基準は、アメリカの核政策に則っとるわけ。アメリカは本当のデータは隠蔽しときながら、被爆者は放射線でそんなひどいことにはなっとらんと主張するわけ。日本政府と厚生労働省は、それに追従するわけ。だから、これは許すことできんということで、裁判を続けてる。
 矢野 日本は、サンフランシスコ平和条約のときに賠償権を放棄したんですよ。本来、アメリカは国際法違反の兵器を使ったんだから賠償しなきゃいけないんだけど、日本はその権利を放棄した。だから我々は、まず日本政府がきちんと責任を取れということで裁判を起こしてるんです。
 吉岡 本当はアメリカに対して言いたいけどね。
 水野 広島や原爆をテーマにしたアートについて、僕らのことも含めてお話しいただけませんか。
 吉岡 初めて会ったときも話したけどね、いきなり記者会見ということで、あなたたちが謝罪して。新聞には「ピカッ」だの、あれはいかんだのと過激に書く。それで、なんじゃこれはと。これはおかしいねと。
(中略)
 卯城 被団協では、けっこう展覧会みたいなこともやってらっしゃるんですよね。
 吉岡 私らがやっとるのは、原爆写真展とか。
 卯城 どういうところでやったんですか。
 吉岡 あちこちでやるよ。
 矢野 夏祭りの商店街に並べたりだとか。街頭へずらーっと並べたりしてね。アメリカでもやりましたね。
 卯城 アメリカでの反応はどうでした?
 矢野 けっこう反応いいですよ。向こうの子供たちって、中学生も高校生もディベートが上手だから議論になるんですね。例えば、「なぜアメリカに対して裁判するんじゃなくて、日本で裁判するんだ」とか。それと、「あなたたちはそれだけやられて、なぜ原爆落としたアメリカへ来て、そんなに平気な顔をしてお話ができるんですか」という質問が出る。
 卯城 憎くないんですか、と。どう答えるんですか。
 矢野 昔は憎かったと。まあ、核兵器と人類は共存できないということを言うわけですからね。核というのは地球を破滅させてしまう兵器だから、もう国とかじゃなくてね。
 卯城 国の問題じゃないと。
 水野 人類の問題だからね。
(中略)
 矢野 全世界に核兵器は2万5000個くらいあるのに、いまの若い人には見えていないの。だから目を覚ましてほしいのです。
 水野 目に見えないものを見せる、気付かないものに気付かせるっていうのも、アートの大事なことだと思うんです。
(中略)
  僕たちはああいうことして怒られたけど、それが結果よかったと思ってたりしていて。ただ、50年後には怒る人もいなくなっちゃうじゃないですか。
 卯城 記者会見である記者から言われたんですけど、「どうせなら被爆者の人たちがみんないなくなってからやればいいじゃないですか」って。
 吉岡 それは意味ない。
 卯城 そう。被爆者がいなくなったら、怒ることやってもいいのかと。そういうことじゃないし、逆に言えば、僕たちはああいうことやって、被爆者の方が怒りの声を上げてくれてよかったと思っていて。僕らの世代で東京に住んでる若者たちなんて、被爆者の人たちが声を上げるってことと、すごく遠く離れているところで生活している。だから、平和にリアリティなんか感じないじゃないですか。そのリアリティのない平和のなかで、いちばんリアリティを持ってる被爆者の人たちがだんだん影が薄くなっていっちゃうのってどうかなと思って。もうちょっと、平和に現実味を持てるようにならなきゃいけないし。
 矢野 感じたことを残してもらえればいいと思います。被爆者が亡くなってからやればいいというのは、いまの政府と同じですよ。それをずっと待っているんですから。
 吉岡 だから裁判を引き延ばすわけ。高裁へ控訴して裁判を長引かせるわけ。4年くらいかかるのよ、一つの裁判やろうと思うたら。二十何回の口頭弁論やってやね。長引いて長引いて。いっぱい死んだもん。最初の裁判は4年かかったんやけど。45人の原告団で、裁判中に10人死亡した。
 卯城 死んじゃいけない感じしますよね。
 矢野 死んじゃいけないんですよ。でも、認知症になって長生きしてもしょうがない。「あなた、誰ですか」。
 一同 ははは。
 卯城 そうやって原爆の記憶のある人たちがどんどん亡くなっていくわけですけど、それでも残された若い人は、なんとかその記憶を受け継いでいかないといけないと思うんです。死んだから終わりじゃなくて、何かを残していくっていう。僕らを含めた若い世代に、吉岡さんと矢野さんが伝えたいことをお願いします。
 矢野 けっきょく私が言いたいのは、核兵器と人類は共存できない、核兵器は廃絶以外にないいうこと。それこそ地球まで滅ぼす兵器だと。温暖化も戦争が原因です。いちばんの環境破壊は戦争だ。それ以外、私は言うことない。
(中略)
 吉岡 芸術も何もかも、戦争のために利用されたわけ。藤田嗣治みたいにやね。「フランスからちょっと戻って、戦争絵画描きなさい」なんて、そんな馬鹿げたことに協力させられたわけ。作家にしても誰にしても、自分たちの思う芸術活動は無視された。そういうことを我々は経験して来たから、もう二度と繰り返してはいけませんよ、というのが私たちのメッセージ。
(中略)
 吉岡 我々は、生存権も基本的な人権も何もかも奪われたと。自由もね。だのに、また戦争を簡単に始めようとするやつらがいる。本当に恐ろしいと思う。
 矢野 いま考えたらね、戦争しよる相手が原爆作るような時代に、写真の後ろの山を消したところでなんなんだと思うわね。でも大人がね、まじめに考えてやりよった。世界が見えてなかったと思います。
 卯城 ことごとく自由を奪っておきながら、何を考えていたかっていうとてんでデタラメだったと。
(中略)
 坪井 普通ね、核兵器廃絶とか戦争反対、あるいは憲法九条を守れとか言うでしょ。私はそんなんよりはもうガバーンとね、もう武器を作るということがだめなんじゃけ。核兵器じゃ、やれ九条の戦争放棄じゃ、軍備は持たれん、軍事力なしじゃとか。軍事力もヘチマもない。「鉄砲も何もかもなしにせえ」言うんじゃけ。そこから出発せえいうのが私のやり方。それはね、武器を作るいうことは人殺しのためということよ。人の命を絶つということが、いちばん問題あるでしょ。人の命いうたら、地球より重い。それと同じように考えていくと、自衛隊でもなんでも武器を持っとるのが許せん。私の考えは。だからどこへ行ってもそれは言うんじゃ。だけど、それは理想です。それに近づくためにがんばらにゃいけんのだと。
 卯城・林・水野 なるほどー。
 坪井 じゃが、「武器を持っとらにゃ、やって来たらやり返さにゃいけんじゃないか」言う人がおるでしょう。そりゃダメじゃけ。武器を持つということは、相手を信じないということ。そういう人間がね、なんで平和を考えられるかいうのが私の持論。そりゃね、例えば大きかろうと小さかろうと戦闘機を持つということはね、相手がやってくるから守るいうこと。だから私は、不信からくる自衛というのもおかしいと思う。
 卯城 もっと他人を信じろと。
 坪井 そう。そりゃ、向こうを信じないから自衛なんじゃけんね。そんなヤツ、信じらりゃせんよ。ろくなヤツおらん。
(中略)
 坪井 それにしても例の「ピカッ」のことについて言えばね、なんじゃろうなぁ、失敗だったとすれば、順序踏まんかったのがね。ちょっと慌てすぎたいうか。そりゃビックリさせるのはいいかわからんよ。じゃが、こういう平和とか、核兵器廃絶にしろ戦争放棄にしろ勝ち取ろうとしたら、慎重さがいるんじゃけんね。私も防衛省の前でワーッとやるほうだが、それで終わりじゃ思うとらんけん。まだまだしつこいくらい。あっこでこうやって次こうやっていうような手順が、ちょっと足らなかったかもわからん。
 卯城 ええ。
 坪井 中身をどうこう言うよりも、人間は形を先に言うのが多いけんの。あるいは「筋道が先じゃ」言うのがね。我々の社会ではそういうことがひじょうに大事なんでしょう。それでけっきょく矛先がよそへ向いたんじゃ、意味ないんじゃけんね。私らでも、何かやる前は反対者がおるでしょ。それをどうしても入れ込もうと思うんじゃけんのう、私は。だからそのためにはね、じっくりやるのも大切じゃのう。溝が深くなるからの。
 卯城 そうですね。
 坪井 じゃが、あなた方みたいに正気な者もおるのに、狂気のくだらんのも余計おるけん。どう考えたらいいかのう。
(中略)
 坪井 人間はとにかくね、顔かたちが違うように、物事の考え方もみな違うんだから、それを許すことにならな。なのに、それはダメじゃいうて排除排除ではね、我々の同じ考えのものだけ許すとなって、下手すると軍国主義。それは、やっぱまずいの。
(中略)
坪井 (中略)悩むほうがええんですよ。悩むと力が出てくる。本はもちろん読んどるが、なんで好きになったかいうと、なんかくだらんテレビの討論会みたいなのやっとってね、ある人が「原爆はしょうがない」いうことを言いよったんじゃ。抑止論でね。持たにゃいかん、やられたらやらにゃいかんとか言うてね。そのときに姜尚中さんは「やられた人のことがわかるんか」と反論して、「そういう話を広島や長崎に行ってできますか」いうことを言ったんじゃ。おお、俺に代わって言ってくれとるわ、と思った。とにかく話をしに来いと。よそにおってね、屁理屈だけでね、ごじゃごじゃ言いよるやろ。それじゃ人間がわかっちゃいないよ、と言ってくれたけん。
 卯城 あの人、男前なんですよね。
 坪井 静かな声で諄々と諭すような感じ。あれには参るわい。みんな、わーわー言いよるけんの。
(中略)
   最後に、もしよかったら本を読んでる人たち、とくに僕らくらいの若い人たちに、何か一言いただけますか。
 坪井 そりゃまあ「ネバーギブアップ」じゃけれどもよ。しかしね、若い人たちにいちばん伝えたいとすれば、「一歩踏み出せ」いうことやな。殻の中へこもるな。そうすれば、失敗してもまたそれを乗り越えられると思うからね。とにかくね、一歩前へという行動派じゃ、私は。とにかく殻にこもってはいけない。私が若い人たちに言いたいのは、そういうことかなぁ。
   ありがとうございます。
 坪井 友を作れというんじゃないがね、個人へ言っちゃいかん。他者へ一歩を出さにゃいかんの。「人間は社会的動物」とかいうじゃない。一人でこもっとるのが、いちばんいかん。そういう意味じゃね、テレビとか携帯、パソコンだけで終わるというのはいけません。一歩踏み出さにゃいかん。要は利己主義じゃいかんということ。自分のことだけしか考えられんような人間じゃだめ。だから、少々馬賊になってもいいから、一歩前へ。
 卯城 少々の馬賊になってもいいと(笑)。
 坪井 ほいじゃ私は、インド洋へ行ってから海賊部隊へ入ろうと言おうか。馬賊でも海賊でもいい。入ってもいいけど大将になれよ。』(p.110-136)

針生 だいぶ前に、南アフリカアパルトヘイトと戦ってる男が日本に来て、誰かが広島に連れて行ったんだよ。そうしたら、その男は「広島はピースインダストリーだ。原爆を被ったことを口実にして発展した街だ」と言うわけ。平和ボケと言ってしまうと違うかもしれないけど、たしかに広島には平和産業という一面もあると思う。
   十分にボケてますよ。広島が特殊なのは、PC的に平和を唱えてればいいと思考停止してるところがあるから。でも、いちばんのんきにボケてるのはChim↑Pomなんじゃないかな。いまは階級間の争いとか、無差別テロとか、自殺の増加とか、もう戦争状態だよ。平和ボケなんて言ってる場合じゃない。
 爆撃機パイロットが、上から爆弾落としておいて下で何が起きてるのかわかんない、それでサラリーマンみたいに勤務が終わったら時間どおり家に帰る、ってのがいまの戦争のやり方でしょ。それは下で起こってることに対するイマジネーションの欠落、さっきも言った想像力の問題なんだよね。広島の上空で「ピカッ」と書いて、さて下では何が起きるか、Chim↑Pomには想像できてなかったんだよ。それなのに後付けで戦争の記憶とか言い出して、謝罪して。そんな中途半端な結果は、表現者として見たくないよ。あれでは、何と戦って、誰に謝ったのかもわからない。表現の主体は誰なの?
 卯城 戦う対象は自分ですよ。俺らがアイコンとして自分の問題をいまの世界に見せる意義はあると思います。
(中略)
   グラフィティみたいに衝動的なのかと思えば、文章では戦争とかなんとか理由付けを書いてるし、じゃあ抗う相手がいるのかと思って、対象は誰なんだという話をしたんだけどね。戦う気なら、それこそ大衆が作り出した言葉を、為政者の上の爆弾のようにばら撒いてやればあっぱれだったのにな。戦う気がないならないで、徹底して悪戯小僧であっけらかんとやって、逃げ切ってほしかった気もする。美術館とか展覧会とかいって、中途半端にアートの内側にこだわっているように見えるよね
 会田 僕は、その中途半端さがChim↑Pomの魅力だと思う。不良みたいなのに、社会派みたいなことをやっちゃう矛盾。その壊れた感じ。それが柳さんに非難されるのもわかるけど……。
   非難というか……。惜しいのよ。あっぱれに悪ガキやってほしかった。「スーパー☆ラット」なんかだったら、まだなにか得体の知れないものに逆らってるメッセージが伝わって来るんだよ。今回惜しいのは、民衆の言葉を使っておきながら、公的圧迫から逆らうべき相手を見失っちゃった。公立美術館で展示やるために。美術館の賞なんかもらいません、そんなところではやりません、ぐらいのほうが、悪ガキ的に正々堂々としてあっぱれじゃない。
 会田 まあ、今後は公立美術館との付き合いは考えたほうがいいかもね(笑)。僕らは民間のほうが性に合ってるよ。
 針生 いや、美術館は、はみ出しても、はみ出しても追っかけてくるんだよ。
 会田 世代の違いとか海外経験の違いとかのせいだと思うけど、柳さんのような闘志は、僕や卯城くんの世代には、ないんですよね。戦う熱はあきらかに減っている。いまの日本人はこんなもんです。それで、こんなんじゃダメだよって指を差されるのも、Chim↑Pomなんだよね。
(中略)
 会田 僕のはいいお手本にならないけど、<犬>や<紐育空爆之図(戦争画RETURNS)>や『ミュータント花子』には、あらかじめ抗議を想定して、それなりに知恵を振り絞って解説文を書いた。といっても嘘を書いたつもりはないけど。そのおかげかどうかわかんないけど、僕にはあまり抗議は来ない。僕の「ミュータント花子」なんて倫理的に「ピカッ」の100倍酷いけど、いまでも無事に本屋さんで売れるのは、いちおうマジメに書いたつもりの解説文のおかげかもしれない。こういうのは古い流儀かもしれない。でもやっぱりChim↑Pomは、柳さんとか先輩の助言を、そんなすぐにはねつけないで、もうちょっと聞いてもいいと思うな(笑)。
(中略)
 会田 Chim↑Pomはそれでいいと思うよ。ニートとかワーキングプアとか言われている社会から、加藤容疑者みたいのしか出てこないとしたらつらくなる。でもChim↑Pomが、貧乏でも開き直って借金抱えたまま、活き活きと楽しくアグレッシブに作ってる姿を見せるだけでも、なにか社会的意義があると思うけどね。
   そういう貧困の問題も含めて、僕はいまが戦争状態だと思っていて、こういうときこそアートが必要とされると思うんだよね。戦後の日本は、自分を守ることを外国に任せて、経済至上主義でひたすら金儲けに邁進することでいろんなことを思考停止してしまった。そうして日本が切り捨ててきた多くのものが、いまになって数々の問題を起こしていると思う。革命とか言いながら、後始末もせずに何もなかったかのような顔をしている団塊世代の罪は重いと思うよ。いまの僕らは、そんなふうにいまの指導者層が作った空虚な廃墟のただ中に、置きざりにされてしまっていると考えてる。
 金儲けに集中していくことでシステム化されたスクラップアンドビルドの経済効率は、先人の作ったものを否定することでしょ。いま築いているものも、じきに壊される。それが文化なのか。そういうところではない、次の地平を僕らが作り出していかないと抜け道がないと思うんだよね。
 針生 さっき言った滅私奉公と滅私奉公の話だけど、戦争中の公というものは上から押しつけられるもので、日本には下から作り上げられた公がないんだよ。アートでもそうなんだ。公的基準ってのがないもんだから、マスコミの作り上げる定評にみんな頼っちゃってさ。美術館も作家を発掘するんじゃなくて、マスコミの取り上げる人気作家を呼べばいいと思ってる。観客もまた、自分で発掘するんじゃなくて、定評を確かめるために美術館に来てる。おそろしい定評社会になってるし、それも問題の根本にあるんだよ。』(p.248-255)

『二十五日、広島市現代美術館で個展が開催された蔡のオープニングイベントの会場で、彼の友人だという老人に、「蔡は愛があるけどお前らにはない」と断定された時も、たしかに「ふざけるな」と言われて怒られた。彼は「お前らか」と僕に詰め寄って来てこう言った。
 「お前らみたいのは今からガソリンをかぶって全身ケロイドになって原爆ドームに土下座しろ
 「ふざけるな」はこっちの台詞だとは思ったが、周りに報道陣がいたことも考えて、僕達は引き続き品行方正を決め込んでいた。
 彼は話せば分かる人だったが、とにかく彼以外にも被爆者団体や報道陣、それも文化部ではなく社会部と、これまで混じることのなかったいろんなジャンルと僕達は混じりだした。その始まりの二日間だった。そしてその後の僕達は、それに輪をかけていろんな出会いを経験することになる。この本の執筆者達は勿論、テレビ、新聞、ネットから僕達を知った人達や、トークショウで出会った人達、その誰もが騒動に「関係のない顔は出来なかった」ようだ。感情を顕わにして話し、そして書き込んでいた。賛否両論、罵詈雑言、芸術を語った人も広島を語った人も、皆が率直な声を上げていた。出会いといったら僕達だけのことではない。アートと社会、若者と老人、そして広島の「内と外」―。住み分けられていた何かと何かが強制的に出会ってしまったのだ。これはお互いにとって全く異物同士の出会いだろう。何せ世界の平和は住み分けることで成り立っている。この一件でたしかに調和は乱れまくった。しかしその一方で、人類はいろんな異物が混じりあって出来ている。だから、街は何かと言えばすぐに異物を排除しようとするが、そこに純然たる不純物などは本来存在していないはずだ。僕達は完全に理解されないまでも、このいろんな出会いを楽しむことで騒動を受け入れることが出来ていた。何しろ当の被爆者団体が、若者の訪れを首を長くして待ってくれていた。僕達でさえ春の訪れのように歓迎されたのだから、きっと彼らはもっと多くの若者との出会いを望んでいるはずだ。皆も訪れてみたらいいと思う。そしたら彼らのとんでもない許容範囲にビビるはずだ。何せ、カメラを持つことすらスパイだと言われ許されなかった不自由な時代から、今のこの平和を築いたのだ。アメリカの原爆神話も日本の軍国主義も乗り越えてきた。本当に類いまれな老人達だ。
(中略)
僕達は彼らに直接アポをとって、訪問を重ねていった。そして彼らは「ガチ」で僕たちに接してくれた。特に被爆一世のアツさたるやハンパなくて、僕達への叱咤は一周して必死の激励になっていた。面会を拒絶した人でさえも同様で、ある団体代表は電話口で「会って下さい」としつこく迫る僕に、終始大声でこんな説得を続けていた。
 「あんたらはまだ若いのにこんな所にとどまって、いちいちこんな老人にとらわれている。こんなことで止まっちゃいかんじゃないか。一刻も早く東京に帰って次に進め。もしあんたらのことを色々言う人がいたら、 わしが代わりにちゃんと話してやる。一度や二度つまづいたからってなんだ!足を止めちゃいかん!東京に帰れ!わしゃ会わん、絶対に会わん!』(p.275-277)

上記『』内はちんぽさんの広島でピカ検証本からの各抜粋です。とりあえず107頁からの広島県原爆被害者団体協議会副理事長の矢野美耶古さんと広島県原爆被害者団体協議会事務局長の吉岡幸雄さんと日本原水爆被害者団体協議会代表委員、広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直さんとのちんぽさん対談が全日本人必読の内容といっても過言じゃないほどおもしれーですよ。この対談の破壊力もすごいですけど、他の寄稿文とかもぜんぶちゃんと読むと、いま現在のポンニ民衆がどういうふうに不穏で危険な精神状態なのかがすんごいよくわかります。この本がつくられただけでもちんぽさんの広島でピカはもう大成功な作品な気がする。とりあえず矢野さんと吉岡さんとの対談では占領下では「原爆の被害を報道するなという言論弾圧がずーっとあっ」たとかアメリカの息がかかった官憲が平和運動やる人をしょっぴいてたとか、原爆症の人が自分のやけどをポストカードにして売ってる件とか地雷のおかげでODA(政府開発援助)が集まるからカンボジア政府があまり地雷を取らせないとかそりゃあもういろいろ書いてありまして、なかでもちんぽさんたちがどの被爆者団体に会いに行っても喜ばれる(p.113)ということだそうですけど、ちんぽ殺せの大合唱した連中はそれ聞いてどう思うのかね。これ聞いてもまだちんぽ死ねとかいう批判をしたい人は、ちんぽさんたちと同じように被爆者団体の人たちにお話を聞きにいってからでないと便所の落書きと同レベルの意味にしかならないよね。被害者の気持ち考えろって批判してるあんたらがいちばん無視してんじゃねーかよ。あと対談よんでてあぶりだされてくる一番のことは、国家とか政府とかのでかい権力というのは常に弾圧や隠蔽をしまくるものだということで、法律で決まってるからとか言ってそこで思考停止した上他人にまで押し付けようとするのはマジで危険ですよ。それ何も考えずにくりかえしてると取り返しがつかないやばい状態になりかねないですよ。18歳未満は夜間映画がみれない法律があるからって親といっしょにきた17歳を追い返すとかさ。創作物をみる年齢制限が役に立ってるってデータでもあんのかよ。みたいって言ってる人から奪い取る権利がどうして認められてんだよ。こういうものって人権屋のヒステリーで決められただけのものなんだけど、それにだれも文句をいえない状態がマジ異常だよなあ。こんな中身のないもん国の根幹に据えちゃいかんだろ。対談中の『(戦時中の政府が)ことごとく自由を奪っておきながら、何を考えていたかっていうとてんでデタラメだった』の部分そのものでマジ気色悪い。
ぜんたいポンニ民の「平和が大事だ大事だ言ってるわりに平和とはどういうものであるのかをいまいち実感できてない」的な雰囲気はちんぽさんたち作品がダントツよく表してると思いますけどね。あと同時期にやった蔡國強作品にさして批判がおこらなかったのは、ちんぽさん作品のわかりやすすぎる破壊力の前にかすんでたからだと思う。権威かどうかなんて一般市民は知ってるわけないし。批判が起こったイコール「万人が瞬時に理解した」という証でもあるんで、そのうえであらゆる日本人の憎悪を引き出したんだからたいしたもんですよ。万人にとって気持ちのいいことをする人だけを「才能」とか「個性」と呼んで、「不快なことをする輩はなんであろうと犯罪者」がいまの日本という国の常識なんですよねー。あと追記した抜粋箇所に関してですが、針生さんのおっしゃる「下々ならではの”公”の基準がない」件とか、自分で独自に価値を見出せず、だれかのつくりあげたものを確認するために右往左往してるポンニ人の件とかはもういちいち納得ですよ。知られてないけどすごくいいものってけっこうあるんですけど、そういうものはどんなにカタログにのせたりしてもぜんぜん売れないで、だれか有名人が評価したり雑誌やテレビで取り上げられたりしたものしか断固として買わないんですよね。この日本人大衆に染み付いた「偉い人」に対する盲目的な追従と思考停止っぷりはもう今の会社にはいった当初あたりからずーーーーーーっと感じてきた。そのときからさっぱり変わってない。自分に自信が持てないから、有名人がお墨付きしたものだけを持つことで自信をもとうとしてんだよ。ブランド品にすがりつくのもそこらへんが原因だろうと思う。美的センス云々以前の問題で、なんというか「精神的に自立できないから偉い人にすがる」がなんかずーっと受け継がれてってるっぽいんですよねえ。
柳さんはなんか…ご批判にある「革命とか言いながら、後始末もせずに何もなかったかのような顔をしている」世代とものすごく似かよった雰囲気を感じるんですけど。 柳さんのいう「次の地平を僕らが作り出さなきゃ!」の「次の地平」って具体的にはどういうものなんですかね。革命革命言いながら現実的な世界構想図を実はぜんぜんもってない(敵を倒すのだけが目的)、みたいのが今バリバリ働いてたっぷり遊んでるやたら元気なかたまり世代の人たちの人生傾向な気がするんですけど。たしかに前の世代の負の遺産みたいのはいつでもあると思うんですけど、だれかのせいにして済まそうとするのってずるいやりかただと思います。スクラップアンドビルドは精神面ではやっちゃいけないことで、建築物とか産業にとっては新陳代謝でもあるんで積極的に採用してくべきだと思う。なにごとも使いようというか、スクラップアンドビルドがだめだからって全部に適用しようとするのはいくらなんでもまぬけすぎます。
Chim↑Pomに関しては、次の不謹慎インスタもまたこういうクソまじめすぎる謝罪行動をするかどうかがみどころだと思う。「不謹慎インスタ→謝罪行動」が毎度のパターンとなると慈善活動の人と紙一重になっちゃって面白さがガタ落ちするよね。今回の本もさ、内容はマジすごいよ。けどこういうのってちんぽさん作品みて気持ちのいいイタズラカタルシスに共感して近づいてきた客に対して手のひら返す行動なんだよなあ。なんつーの?ダークナイトジョーカーがでかい悪事しかけたあとに市民から批判がきたらソッコーで超いっしょうけんめい謝罪本つくるみたいなかっこわるさっつーの。まあ現代ポンニ人の姿をまま映し出してる的なところがちんぽさんメンバーの行動原理だからしょうがないんだろうけどさ。おいらとしては悪事が純粋にたのしくてやってるというあたりを正直に言葉にしないあたりがいちばん卑怯でムカつくんだよな。ぜってーこれは笑える!!と思ってやったに決まってんのに、批判きたら自分がいかに善人で真摯であるかを語りだすとかさー…。なんで「善人」で「いい理由」がなくちゃいけないの?バカで悪人でなんにも考えてなくたっていいじゃんかよ。じゃあちんぽさんたちはガチになんにも考えてないクルクルパーな人が被爆者の人をコケにしたふうなことをした連中がいたら道徳掲げて怒りだすわけか? 世の中には笑いのターゲットにしちゃいけない人たちがいるんだ!!とかいって。そんならハナからボランティア活動やってりゃいいじゃん。なにもイカ被爆者のじいさんばあさんを悲しませろってことじゃなくて、当初抱いたスリリングさを面白がった感情をなかったことにしたり否定するふうな言動するのが腹が立つって言ってんです。まーでも明確な理念が決まってそこからブレる行動はしなくなっちゃったらちんぽさんじゃなくなっちゃうしなあ。とりあえずちんぽはいつまでたっても正々堂々とせず、姑息で卑怯で人間的に最低なさもしい連中ということでよいのでしょうか。真にイカす連中かどうかというのはなにしろ今後の行動しだいということですな。口にだすのがちょっと後ろめたいと多くの人が漠然と思ってることを、集約されたバカっぽいものでドバーンと出されるのが赤塚不二夫的に面白いのは古今東西の真実ですが、それに対していちいちマジになって弁解しなきゃならないのがバカらしい。悪人になるのもそう思われるのもイヤだし覚悟もできてないんだな。ひろしまでピカだってマジで悪いのは原爆落としたアメリカで、ちんぽさんはそれを思い出させただけで悪くもなんともないってのに。尚、本日題はピカいけ本p.116の吉岡さん談のものです。