カルトの共通の悩みは自分とこに本物がいないことなんだろうなあ

『平山、あいつあれでほんとに仕事になってるわけ??カメラマンってジャーナリスト系はさておき、雑誌の仕事してるひとはみーんな如才ないし、ひとなつっこいし、女にやさしくまめな人が多いじゃん? あの人そういう要素なにひとつないじゃん。

いや、あれであの人ナイーブで傷つきやすいんですよ。』

上記『』内は内澤おねえさんのブタ記からです。ところで昨日はヒーホイベントがぜんぜんいけなかった腹いせに平山さん会にいってみました。なんか平山さんの高校生の娘さんが10歳の弟さんをサッカーボールがわりに蹴り殺してる話とか、女優さんは擬似的とはいえ毎日毎日結婚してるから脳がぱらいそで脚本をケータイ小説のように書かないとだめだwith伊東美咲がガバガバだとか、あと町山さんは真に危険な場所へ取材へいくと直前で逃げてゆく(柳下さんがむりに「町山」て呼び捨てにしてるとこがちょっと痛々しかった)とかいろいろ言ってた。あとヒーホのイイおにいさんが熱く語ってた毛抜き脱毛によって拡張された毛穴内でとぐろを巻くように伸びつづけるムダ毛の件はどうやら真実らしい。とぐろ毛こえー。

ところで8月2日の朝日新聞佐々木俊尚っつー人がこの本の書評でそうかがっかいが助け合い組織としていかに優れてるか書きつづってるんですけど、さして面白くもない芸人だの飛び抜けた才能があるわけでもない歌手だのを信者数にものをいわせてのさばらせてしまうことが優れた相互扶助っていうんですかね。新興宗教団体のつくりだすものって思想自体がずさんなせいかバカそのものな場合が多いんですよね。サイエントロジーの真剣なバカ映画といい自称ブッダの人の映画といい。長くて中年オヤジの人生くらいのスパンしかもたない新興カルト教団が、ものすごい長い歴史をもつ宗教(キリスト教とか仏教とか)みたいに世界各国で末永く受け入れられないのって、後者の宗教の理念にある自己犠牲的な美徳がないからじゃないかなーとちょっと思う。多くのカルト団体はカネと権力がほしいが本音(その証拠に創価もエセブッダも政治に食い込んできてる)だから自己犠牲的理念なんか盛り込めませんよね。そんな美徳組み込んだらせっかく信者から巻き上げた財を手放すことになっちゃうし。カネや権力ほしさに自分に厳しくなれないような連中の相互扶助という名の甘やかしと自己鍛錬への耳目塞ぎは気色悪いばかりですな。カルト団体じゃなくとも特定の人の本質を見極めたいときには、その人のつくりだしたもの、映画までいかずとも文章とか、もしくはアジトに飾ってあるものとかあらゆる面をみて真贋を見極められる連中なのかどうかを判断するといいと思う。宗教なんかはいってなくてもいいものをつくる人は考えも突き抜けてるイカス人な場合が多いし。尚そうかがっかい関連書としてこんなのもあるもよう。本質云々といえばこの人は族上がりだったら完全に深町さんのアンテナえじきだろうにな。極論を言わないと本質が見えないっつーか極論に陥るとそれにこだわるあまりにものの性質がさらにみえにくくなるもんじゃないんですかね。