タカシマヤ上の映画館てなくなっちゃうのな

    
   

上記画像はこれここ(作者本出てるもよう)からです。デパオラ絵本は最近知ったこれがわりにじーんとした。これと同じく字がいっさいなくて絵だけで話がすすむ系の作品なんですが、ブレイクの作品が多くの絵本と同様よんでる子が安心するあたたかい終わり方なのに対して、パオラのピエロ絵本は望みのものが手に入れられないことが主題で、手に入らないからこそ芸術が生み出されるという人生の真実を描ききっていて泣けてくる。欧米の優れた絵本作家は子供用読み物の大前提である「子供を安心させるため」の話だけじゃなく、のちの人生で出会う努力ではどうにもならないものについてと、それとの付き合い方のような、おとなでさえはっきりした対処法のわからないようなネタを絵本にするときがあって、作家と出版社双方の懐の深さにいたく感心します。ちいさい子がよんでもピンとこないかもしれないけど、こういうものがあったことが記憶の隅にあるだけでいつか糧になるかもしれない。「幼い子にちょうどいいくらいの不幸」みたいに程度が都合よく調整されてるのは作り話のなかでだけで、現実では不幸や悲しみは子供だろうとおとなだろうと容赦なく等しくふりかかってくる(認識しないまま駆逐されるも含)ものですが、そういう現実に即した描写が創作ではいまいち避けられがちなのはなぜなんですかね。シンプリーデッドさんが出してたこれなんかは子供目線でものごとがすすむあたりからして優れた児童文学にも思える。子供のいうことをおとながだれひとり信じてくれず、子供だけで極悪極まりない奴と戦わねばならないところとか。子供が暴力にさらされ、それとどう戦うのか。子供が身を守る(=自立)に際して必要なのは「みんないいひと」みたいな夢見がちなものじゃなく、こういうおとなさえ動揺させるようなリアルなものなんじゃ?とも思います。
話がズレましたが昨日は屋根裏のポムネンカ(ユーロスペース)→ボルト(渋東シネタワー)→劇場版ムーミン谷の夏まつり(シネクイント)とアニメまつり進行で。ボルトはモンエリみれなかった腹いせ…じゃなく単に雨宿りで駆け込んだ先が渋東シネタワーの軒先だったんでついででみました。なんか冒頭で車がしゃべるアニメの東京ドリフト編がはじまったりしてちょっとおもしろかった。立体駐車場でローリング族が毎晩ドリフトバトルしてるみたいな展開で忍者軍団車とかの大幅にまちがった東洋観のバンバンでるアレですが、なんでそう東京を凶悪でいかれた近未来都市みたいに描きがちなのか。まーたしかに大手町あたりは夜になるとゴーストタウンですけど。肝心のほうのはディズニーの犬の擬人化アニメで、裏方さんの操作する特殊効果を自分の念力なのだと思い込んでるテレビドラマの主役犬が、飼い主(役)である女の子を悪の手から救い出す!とばかりに突っ走って梱包材におっこちてそのまんまニューヨークあたりまで運ばれてしまって…みたいな話。途中でドバト(動きがむだに秀逸)とか野良猫とかメタボハムスター(ぜんぜんかわいくない)とかと道中を共にしながらハリウッドを目指すわけですが、その間に世間の垢にまみれきった野良猫が世間しらずな主役犬に犬の必殺技(エサ持ってる人間の前できゅぅーんみたいにかわいこぶる)とか教え込んでピンチを切り抜ける風景がほのぼのします。ぜんたいハト動き完コピ描写とジャックブラックばりに暑苦しいテレビっ子のメタボハムスターがおもしろかった。なんか最近のディズニー作品はアニメ実写問わずハリウッド映画の自虐ネタみたいのが多いんですかね。あとアメリカンにとっての子犬というのはなにか他の国にはない特別なものなのかな?と思ってネッツでしらべたら兵隊さんが崖へ放り投げるやつとか不景気が理由のものとかバンバン出てきて陰惨なかんじになってきました。
ポムネンカはちいさい子同士が打ち捨てられたガラクタを動物や人に見立ててやってる「ごっこ遊び」を、まんまストップモーションで再現してしまったふうな作品。「白いチョークで描いた線は線路」とかこれは飛行機、といえば飛んでしまうし、理由はないけど子供がてきとうに決めたものがその場でどんどん生命を与えられてく的な、無軌道な采配で構築されたでたらめでいて奇妙に正統(日常生活)な世界観がほほえましい。バルタさんはちいさい子の脳が残ったままなのでしょうか。スジとしては屋根裏のおっさん銅像がかわいらしいポムネンカを愛玩奴隷にしようと拉致してしまい、ポムネンカのともだちが立ち上がって奪還にゆく話。スジどうこうよりガラクタがどんな生き物になっていくかのつくりの面白さに興味のあるガラクタクオリティフェチ向けな内容ですよ。
ムーミンは…吹替メンバーが最悪すぎて(サザエさんメンバーが多いのかな)特に水田わさびてめえはでてくるな。よりによってミイを演じやがった…ダミ声(この時点でいかんだろ)でうるさいだけのキャラに貶めちまいやがんの。本音しか言わないゆえのハードボイルドキャラをダミ声でキンキン吠える声優がアテたらいやなキャラにしかならんだろうが。あのあられもない性質でいてちょっとイヤミな高学歴おばさんぽいなめらかな口調なとこが愛らしくもあり小にくらしいイカスキャラになるんであって。ワサビのダミ声なんかあてたもんだからキャラそのものが根こそぎ変質しちゃってんじゃねえかよ。これムーミン好きでもなんでもない連中がテキトー采配したんだろ。あやまれ!!ヤンソンにあやまれ!!アスミックエースムーミン担当者死ね!!!アニメ時の声優や演出すべて(大ベテランばっかだ!!あとスナフキン子安さんだったのか!)がいかに黄金のラインナップだったか骨身に沁みてわかりましたよ…。ともかく水田わさびがよけい嫌いになった。なにあの色気のイの字もしらない声優。イラネ。あとパペット劇のほうパパがシルクハットかぶってない場面多すぎでムーミンとのビジュアル的区別がつきません。もうなんか自国制作のムーミンアニメの秀逸さが恋しくなりました。日曜美術館やなぎみわをみるかさんざん迷った挙げ句みたというのに。やなぎみわ観に帰ればよかったよ。スジは原作なぞってるでしょうからふつうにいいですけど。一時的に持ち主がいなくなった家やものを通りがかりの困ってる人がしぜんに使う的なループが最終的に1カ所で結実する的な展開。「だれそれの持ち物だから使っちゃいけない」みたいな暗黙の社会ルールをやさしく踏みにじる→その結果大団円、みたいなのんびりした判断基準がすべてを貫いているアレ。アニメ版黄金メンバーでのリメイクたのむ。水田お前はすっこんでろ。ムーミンみたいな微妙な勘所のたいせつな作品にでてくるとマジで台無し。ミイの知的な小悪魔キャラを土足で踏みにじったふてぶてしい仕事が許せない。前作より落ちたものつくってどうすんの?

アニメまつりついでに魔女っ子展とかMr.の源泉となった作品展が開催されてるもようですのでおすきな方どうぞ。