一服してた覆麺の人と目が合ってしまった

昨日はアドレナリンハイボルテージ(バルト9)→ドゥームズデイ(新宿ミラノ)→あの日、欲望の大地で(銀座テアトルシネマ)で、欲望の大地はおおまかには主人公のシャーリズセロンが若い頃に逃げ出した出来事と向き合うまでの話で、セロンは政治家が立ち寄るような高級レストランの支配人(だっけ)としてキビキビ働いてるんですけど、休憩と称して自傷行為をしてたり崖から身を投げそうになったり、仕事が終われば行きずりの男と簡単に寝ようとしたり(+職場のシェフと不倫関係中。伴侶と別れられない程度の「(都合よく利用できる範囲でなら)愛してる」を連発してつきまとうバカ男)と自分を痛めつけるような生き方をしていて、そういうふうになった原因である過去の出来事がいまのくたびれたセロンの映像と交互に差し挟まれる形で流れるアレ。セロンを不安定な人にさせたそもそもの原因というのがセロンの母親(キムベイシンガー)の不倫で、当時セロンは中学生位の年齢で弟や妹が何人かいてトラック野郎の父親ともどもごくふつうの穏やかな家庭環境だったんですけど、あるときから母親がひんぱんに出かけるようになって、おんなの勘が働いたセロンが買物と称して出かけて行く母親のあとをチャリでこっそりつけていくと野っ原にあるボロっちいトレーラーハウスへとはいっていき、どこだかのオヤジとヤっているのをみてしまう。母親を見損なったセロンは日常生活でも母親に対して冷たい態度をとるようになり、いいかげんお灸をすえてやろうと母親と不倫相手がいるトレーラーハウスに近づき火をつけてしまう…。なにも殺意をもって火をつけたんじゃなく、あわてふためいて2人が出てくるのを拝んでやろう、くらいのかるい気持ちで子供のかわいいイタズラ程度の発想からの行動だったんですけど、それがのちの長い人生を歪めてしまうような取り返しのつかないことに発展してしまうわけです。しかもそれが自分だけでなくさまざまな人に影響を及ぼすようなひどい出来事で、セロンは贖罪すらできずにずっと抱え込んでいるという。それだけならまだしも不倫をしていた母親であるキムベイシンガーのやむにやまれぬ事情があってよけいにやりきれない展開に。キムベイシンガーは母親としても妻としても申しぶんのない働きをしているんですが、夫との夜の夫婦生活はうまくいっていない。ベイシンガーには数年前に乳がんを煩った際に左の乳房を切除した傷があって、映画中では明確には描かれないんですけど夫のEDの原因がどうやらベイシンガーの胸の傷ビジュアルにあるらしくて、ベイシンガーとしては女としても人間としても愛されないことに絶望にちかい空虚感をもっているっぽいことがニオわされるわけです。そういう状態の中で不倫相手のオヤジはベイシンガーの胸の傷をみてもフルボッキする上、めちゃめちゃ愛してくれる。ベイシンガーとしてはオヤジとの不倫ははじめこそ性欲解消のためだったかもしれないけど、傷があろうとなかろうと掛け値無しに自分自身をすべて愛して受け入れてくれる不倫相手のオヤジがさぞ愛しかったことでしょう。だからといって今まで苦労して築き上げてきた家庭や家族を放り出すわけにもいかない。家族にもうしわけない気持ちを抱きつつもオヤジとの逢瀬はやめられないわけです(最初からオヤジと出会えてればよかったのにね…)。そういう状況のなか、娘であるセロンは幼いこともあってそういうおとなの事情がさっぱりわからず、とりかえしのつかない行動をしてしまう。不倫の逢瀬で抱き合ったまま死んだ双方の家族が葬式で顔を合わせるも憎み合う言葉しかでてこず、でも不倫相手のオヤジ側の家庭の青年は真相を知るために、ベイシンガーの娘であるセロンと会話を重ねて行き…というスジ。セロンが逃げ出してしまうのは具体的にはこの青年との出来事が原因なんですけど、親を殺してしまったことや、はては家族に顔向けできないこと、たくさんあることを誰にも打明けられないまま、遠く離れた場所で孤独に年をとっていくやつれたセロン。エピソード自体も重いですけど、ひとり残されたベイシンガーの夫が娘に手を出されたと知って怒ってでていったあとのシーンが悲しくてやりきれなかった。自分に原因があると重々わかってはいるけどどうにもできないこと、自分では子供を守れなかったこととか、なんか悪い人がいないだけにどの人も悲しい。そういえば一昨日は毎週おなじみ町山さんの未公開番組が51 birch streetの後編でしたけど、欲望の大地でにでてくるベイシンガー夫婦の件とちょっと似通ったところがあってしみじみした。結婚して子供ができてからお互いに愛し合えない関係だと知ってしまうことの苦しさ。特に1950年代のアメリカでは「女は映画みたいに判を押したような良妻賢母でいて家庭を守る」ことが絶対とされて、それ以外は死であったこと、その後の1960年代にはヒッピーやフリーセックスや麻薬が推奨され、おとなしかった主婦たちが活動家になっていったことなんかがわかりやすく描かれててためになりました。「映画みたいな」ふうに人生が運んだらどんなにラクなことか。人生だの結婚だの愛するだの、みんなわかったふうにしてるけどほんとうはだれひとりなんにもわかっちゃいなくて、内心ではビクつきながら恐る恐るみようみまねしてうまくいったりいかなかったりしてるんだよな。「どうしたら人生うまくいくのか」なんてだれもわかんねえもの。偏差値の高い学校いけば人生よくなる?でかい企業で社員になればいい人生?それでうまくいったためしのある奴がいったい何人いる?長生きもして恋愛も家庭も仕事もカネも何から何まで「うまくいった」のか?だいたい人生ぜんぶうまくいってるやつなんてほんとうにいると思ってるのか?いないよそんな人。あの世にならいるかもしれないけど。なにしろ町山さん番組ではアメリカの主婦層がどういう精神状態をたどっていたかが垣間見えた。欲望の大地にもどしますが、シャーリズセロンはモンスターとかで特殊メイクをしてまで役を獲得すんのか!みたいに言われましたけど、おいらが観た作品からすると苦しみ悩むおんながリアルに描かれてる作品を注意深く選びとって出演してるふうで、映画というものに対してすごく真摯に考えてる人に思える。お客さんに何をみてもらいたいかをちゃんと意識してるし、出るからにはただの娯楽じゃあ済まさないという一方ならぬ気概をもってるんじゃないかと思う。モンスターのうまく人付き合いができない性格の孤独感とかちょっとした描写だった(クリスティーナリッチが人とすぐ溶け込むシーン)けどすごくリアルで共感したもんな。
あとこれやってた映画館のことなんですけど、なんか上映開始してからは座ってる客に迷惑だからとかいって最前列のほうの通路側の席に座れとか命令してくるんで、混んでるんですか?て聞いたらガラガラなのよ。じゃあふつうに真ん中へんの通路側でいいでしょうって訴えたらそうしてもらいましたけど、おいらのあとから案内されてきたおっさんなんて前から2番目の右端の席だよ。ガラガラなんですよ?中央の通路側いっぱいあいてるんですよ?なんかさー…ルシネマといい個々の状況を判断せずに杓子定規に規則だけをひたすら押し付けてくる映画館さ…格式とやらをお上げになりたくてそういうことやってるんでございましょうけど、それいやがらせでしかないし、いくらお客様にきもちよく鑑賞していただくためって言ってもそういうことされた客側としてはその映画館に対して不快な気持ちしか抱かなくなるよ。混んでるってんならわかるけど、客ガラガラなのに端に座らせるとかそういうぶざまな「規則」押しつけは格上どころか下衆のあさはかな思いつきにしかみえません。遅れるなったっておとなはいろいろあるんだからしょうがねえじゃん。カネと時間の豊富な人だけが来いってこと?そもそも規則に反したからおしおきで気分を悪くさせるっていうのは成熟したおとなの考えることじゃないですしね。つーか上映はじまってるのに窓口での押し問答でさらに遅れたし。テアトルシネマ様はルシネマ様に次いでなるべく行きたくない映画館です。基本的にカネもヒマもないような貧乏人は相手にしたくないという考えなんだろうなあ。
ドゥームズデイスコットランドでやばい菌が蔓延したので壁つくって閉じ込めて数十年たってみたらこんどはお隣の大英帝国内で菌が出始めて、蔓延してたスコットランドを宇宙からのぞいてみたら生きてる人いたよ!じゃあワクチンもあるんじゃね!てことでかつてスコットランド内で生き別れた母をもつ主人公のスゴ腕女兵士+数人が選抜されて向わされるスジ。壁内のスコットランド内部いってみたらイキのいいパンク中年みたいのがうようよでてきてとっ捕まってグラディエーターやマッドマックスさせられます(パンフの鷲巣さん文からし過去のいろんなイカス映画要素がブチこまれてるもよう)。自称ブッ壊れてる女主人公は寡黙でつよくて超かっこええ。パンク中年の方々は毎日のようにパンクライブイベントのような催しをしつつ食糧不足なので人間焼いて喰っています(みんなにお皿まわすとこちょっとほのぼのした)し、主人公たちがガンガン重火器ブッぱなしてるというのに命なんかいらんとばかりに走るゾンビよろしく正面から全力疾走してきて怖いものしらずすぎます。つーかいちばん骨のあるパンク中年のボスのソルさん役のヒトの名前がパンフにのってねーし!!どうなってんだこれ!!いろいろカキましたが、監督のニールマーシャルさんは前作のディセントから引き続き「閉鎖空間での戦い→出ないことを選択する」な構造ですが、そういうのがお好きなんでしょうか。そういう意味では今作はラストが超イカしてた。
アドレナリンハイボルはヨボヨボのキャラダインさんがステイサムのイキのいい臓器の移植をご所望なさったために取り出したリアル心臓を、ステイサム本人が取り戻すべく代わりに埋め込まれた充電式心臓にあちこちで充電しながらがんばる話。 前作とおなじ監督さん(ハゲ&ヒゲ)なため相変わらずイジリまくってチャカチャカしたうるさい画面展開ですけど話がバカなのでそれなりに相俟っています。前作からひきつづき大衆の面前でハレンチ行為を堂々とかます彼女役のエイミースマートさんのビッチっぷりもなかなかですし、白人以外の人種の人(ビクビクなるバカっぽい人はナポレオンダイナマイトの生徒会長になる人なのね…ぜんぜんちがう感じだ)がたくさんでてバカ画ヅラに拍車をかけています。あらゆる電気(ばあちゃんの体をこすって起こる静電気から電柱の高電圧まで)を各地で起こしまくってステイサムさん大奮闘です。つーか高電圧浴びたら充電以前に体焼けこげちゃうと思うけどな…と思ったらオチでちゃんとみせてくれます。個人的にステイサムの幼少期のこども暴力シーンの凶悪さがすんげえツボったので、もう藤子Aさんの少年時代の実写化はアドレナリン監督のハゲ&ヒゲしかいねぇ!!!とつよく思いました。たのむよ!>ハゲ&ヒゲ!!!もうガキんちょの暴力性すらポンニ人はろくに実写化できませんものでなにとぞ。
あとバルト9はチケ場が相変わらずの行列でしたが、上映開始前後の作品は緊急に別枠で売るとかしてください。ずっとあとの時間の作品買う客と直前でやきもきしてる人が同じ列って納得いかなすぎる。直前になるとマリオン上のとこみたいに各上映館の真ん前で即席にとれるようになるとかさ。カネのかけかたとか客さばきの勘どころがへたくそすぎる。