くもじいがなにげにイカスキャラ

微妙らしい

・昨日テレ東でやってたこの番組(ひさびさにイイ番組)で市川らへんにある宮内庁御猟場の風景が映されたついでに秋篠宮がセレブを連れてそこを利用したときの映像が流れたんですけど、地面にある水の張られたかなり細い堀に大量の鴨がギッシリ入れられてて、網部分が2メートルくらいあるやたらでかい虫取り網みたいのを各自もったセレブたちが堀のぎゅう詰めの鴨を網で捕まえようと右往左往する映像でスゲーおもしろかった。鴨大騒ぎして逃げ惑ってた。尚、つかまえた鴨はいちいち逃がすもよう(あの鴨たちは飼われてるらしいんですけど、セレブがくるたんびにアレをやらされるんですね…)。セレブがやたらでかい網をもってよたよたしてる画ヅラがなんかエルンストのコラージュ並にありえない有様ですごくよかった。セレブの人はこういことをしょっちゅうやってればゆるすのに。

・今さらこれ読んで平田さんの凄さに感動した。道理をかたくなに貫きすぎたゆえにひどい死に様に追いやられた侍のための静かな仇討ち譚とかもリアルでいいですけど、持って生まれた体質によって周囲の人々を非業の運命へと巻き込んでいってしまう話が悲惨でたまらんかった。生来の体質が原因という設定の点ではとみ新蔵先生の美童記(←ご本人談では演出が幼稚とか…!)と同じですけど、平田さんのほうのは高貴な姫様が強烈なわきが持ちで、ただ「腋臭」って設定だけならギャグ漫画のネタにされて終わる程度のものですけど、こと平田さんの手にかかるとシャレにならないくらいひどいもの(姫と同じ場所にいる人がゲロ吐いてしまったり、姫の使用済の着物数枚を投げ込んだ穴に人をいさせると死ぬ)として描写されてるので話も重たくて深刻なアレになっています。人命を奪いかねないほどのわきがもちである姫は同じような身分の男からはことごとく縁談を断られているので、最後にそこそこ身分もある侍にその役目が押し付けられるんですけど、その侍は相思相愛の相手との結婚が数日後に控えてるので当然お断りするものの上からの強制命令を断れるはずもなく、深く葛藤しつつも面識もなくわきがな姫(美人だし長年の苦労で性格は優しい)と結婚するわけです。数年後に相思相愛の相手は悩み抜いた挙句精神を病んで死亡。侍は彼女の首を大切に保管しつつ、わきがな姫との人生を歩むために鼻を自ら切り落とす。全力で苦難に向き合った侍の真摯さや闘いっぷりときたら激烈なものです。こんなすごいお侍さんが実際いたかわかりませんけど、平田さんが描くとやたらとリアルな存在感があって呆然としてしまう。巻末で池上遼一が人の心をつぶさに描いてるから平田さん作品はどれも普遍的だと書いてますけど、「人が死ぬほどのわきが」とか「顔立ちがきれいすぎる男」とか、人間ならばいつの時代も関係なくつきまとう肉体の悩みを根幹に据えてなおかつ表層で済ますのじゃなく、他人の人生をも歪めてしまうほど極端なものとして描くからこそドラマが生まれてくるのだなーとしみじみしました。苦難がふりかかっても屈しないことは関わった人が全員いい人ならまだアレですけど、そういう心証を逆手にとって悪意をもって弄ぶような輩にめちゃくちゃにされるお侍さんの人生を描いたお話も載っています。上司的な存在がひどい奴でも従わなきゃならないし、逆らうにしても自分だけじゃなく一族郎党の命に関わるとか、自分の意志を常に抑えなければならないお侍さんはそうとうなストレスだったろうな。主君の命に絶対服従すると決めた心持ちや無念の死をとげた人に対する責任感とかが「設定」という虚構で終わらずちゃんと血肉が通った生きたものとして描かれていて、「切腹」や「果たし合い」といった今でこそ奇異にみえるものが当時としては異常なことではなく、侍として生きる上で生活と切り離せないものだった雰囲気がやたらと伝わってくる。「従う」=「命をかける」と同義である当時の常識感を読み手に伝わるように描けるという点がものすげーと思う。現ポンニ人感覚からしても腹切りをいつでもできる心構えの服従感覚とか異常だし。帯刀するリアリティていまの人には把握すらむずかしいだろうなあ。道具もたせるだけならいくらもあるけど。