もやさまでは映りそうで映らないギリギリ感(両隣2件までの寸止め映像)がよかったです。


放送倫理・番組向上機構BPO)の放送倫理検証委員会は17日、テレビのバラエティー番組について、性的表現や内輪話などが視聴者のテレビ離れを招いていると指摘し、番組づくりの見直しを求める意見書を日本民間放送連盟に通知した。「さァ、イッてみようっ」「これはレッドカード、即退場」など、くだけた口語を多用する異色の文体で、制作現場の若手に共感してもらえるよう工夫した。
 意見書では、バラエティー番組を「古い秩序や権威を笑い飛ばし、常識や社会通念を揺さぶってきた」と評価した上で「相当数の視聴者が不快感・嫌悪感を持ち、反発する問題点がある」と指摘。
 具体例として(1)性的表現などいわゆる「下ネタ」(2)いじめや差別(3)芸人同士の内輪話やバカ騒ぎ(4)わざとらしい笑い声など見え透いた手法(5)死を笑いごととして扱うなど生きることの基本を粗末に扱う――の5点をあげた。』(イラスト・口語多用…バラエティー番組にBPO意見書より抜粋)

モンティ・パイソン(Monty Python)とは、1969年からイギリスBBCではじまったテレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』である。後年、アメリカのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」等に大きな影響を与えた。日本でも1976年から、東京12チャンネル(現テレビ東京)で、深夜に吹替版が放送され、広川太一郎山田康雄などの芸達者な声優陣が参加していたこともあり人気があった。
ワタシは中学生で当時は近畿放送でやっていたのだろうか。強烈なブラックユーモアに衝撃をうけ楽しみにみていた。いま見直してもセンス抜群で、ブラックユーモアの本質とは、結局「死」を笑うことなのだ。ちなみに、第1話から「死」ネタ満載で、「死に方コンテスト」は、過去の偉人の死に方をパロディで再現。「恐怖の殺人ジョーク」は、第二次世界大戦でイギリス軍がユーモアの分からないドイツ人に対して、死に至るジョークを発明し、戦場で捕虜になった際、その魔法のジョークをすえば、たちどころにドイツ人が死んでしまうというものだ。ちなみに、そのジョークは古典的に笑えない言葉を使っている。』(週刊『フクダデスガ』October 26, 2008 死に至るジョークの連発より抜粋)

『Kind...との共通点として今のところ見えるのは、人の死そのものが笑いだというところ。人の死を笑いものにするのはコメディの常套手段だからどうということはないのだが、イーリング・コメディでは「死を笑う」のではなく、「死は笑い」なのじゃないかという印象を受けた。死はそれ自体がおかしいものなのだという・・・。』(毎日の糧としてのシネマ2005-09-05 15:52マダムと泥棒より抜粋)

『いつもは首が一回転したり、琵琶湖で急所を潰されたりと、スケベで凶悪だけどなぜか悲惨で笑える死に様をさらす名和宏が、妹にだけは心優しいお兄さんで結果的に善玉だったのが珍しく、クルクルパーになった妹に止めを刺すシーンは泣かせます。』(■日のあたらない邦画劇場■2005年01月22日兵隊極道より抜粋)

以上は18日の朝日新聞34面にのってたバラエティ番組改善関連の記事に『死を笑いごととして扱うなど生きることの基本を粗末に扱う』ことが問題点として列挙されていたことにナニッと思ってのせてみたブツ。死を粗末に扱って笑う関連では変死大賞(粒予告どうぞ)とか笑いを死に求める人に嬉々として答える人が続出する有様とかモンティパイソンとかいちおうのせておきます。『わざとらしい笑い声など見え透いた手法』は今にはじまったことでもないですけどね。しかし問題点として挙げられてるものはぜんぶ笑いの手法としては基本中の基本克つなくてはならないモノばかりな気がしますが、それを不快だからなくせとおっしゃる方はそういうネタをひとつも使わずにもっと爆笑するようなことができるとでもいうのか。なんという天才市民団体…!!そういえば熱々のおでん電車スレみてたら鶴太郎のおでんネタ(どうぞ。つーか鶴太郎がバアさんの扮装しておでんつっこまれてアッチッチー!てなるやつなかったっけ?)思い出したのでのせておきます。おでんのおの字も言ってない鶴太郎をはがいじめにしてアツアツ卵をつっこむとかいじめすぎます。そもそもボケの人とかアグレッシブないじめられっこだし。逆に誰かをいじめる系笑いがなかった時期が存在してねーだろ。苦情言ってきてる視聴者の人はいったいどこの時代のどの場面と比較してる気でいるのか。犯罪率が語られる際によくある「過去は今よりずっと美しく今は最低最悪」みたいな論調って自分の若いころを棚にあげて善人ぶってる老人の主張がまかりとおってしまってるってことなのかな。こんなヤなことだらけのご時世にはバラエティでもっとひどいこと(といっても日テレの元気がでるテレビ止まりになっちゃうだろうけど)やって苦情を言いたいだけ言わせてやるほうがむしろ健全な気もしますが、番組スポンサーになってる企業の経営者の懐がSFにでてくる監視国家のリーダーばりに人間的・文化的にとても浅いがために現場はよけいなにもできないでいるという閉塞の悪循環になってて不健全きわまりないなー。ネッツ関係のでかい企業のリーダーの人って一時期あたらしい考えのできる新人類かのようにもてはやされてたような気がしますけど、ひと皮むいてみれば年功序列時代のがんこおやじを通り越して管理国家の統率者のような冷酷さをもっていたというたいそう昔ながらの人種だったことがあぶりでてきている気もします。奴隷がいないと成り立たない商売やってる以上はあたらしくもなんともねえよ。

そういえば上記画像はひろぶろさん経由のここのモノです。ところでつい先日実家の店舗内&実父を某ローカル局の番組スタッフがなめるように撮っていったということですが、放映日はここ1週間以内とだけ書いておく。実家近辺てアド街でも過去2回ほどやりだまにあげられましたけど、薬丸がなぜか2回とも地元民もいかないサビれた生ジュース屋をかならず取り上げては「知るかよこんな店!」とかブチキレてフリップを放り投げてた。もっとほかに取り上げるとこあんだろ。あれは確実にキレたくてやってるとしか思えない。