なかウは鴨そば持ち帰りOKにしてくれ!!

ニューヨーク市立大学医学部教授のジョン・モーガン博士は「薬理・民族音楽学者」を自称している。アメリカの古い地方音楽を何より好み、アッパー・イーストサイドにある自宅マンションに古いレコードを大量にためこんでいる。(中略)
「なんらかの物質が原因となって引き起こされる流行病を、民族音楽を通じて研究すること。そいつが薬理・民族音楽なんだ」
(中略)
「酒の歌っていうのは、ヘロインの歌もそうなんだが、否定的で警告を発する内容になっている傾向があるんだ。ジェイクを扱った歌も、まさしくその図式に当てはまる。マリファナの歌だと、愉快な内容であることがほとんどなんだけどね」』(p.6・7・11)

昨日は文学フリマ(大田区産業プラザPio)→間に合わせもの ラウシェンバーグへのオマージュ(原美術館)→ビッグバグズパニック(シネパトス)→戦場でワルツを(シネスイッチ)とみまして、上記『』内は上記画像のZのつくほうの書籍から抜粋したモノ。つーか文学フリマこれこれ目当てに行ったんですが、上記画像のZのつくほうはかなりな拾いもんでちょっとコーフンした(架のつくほうはおまけ程度)。この本だしてるとこはネッツ検索してもまったくでてこないにも関わらず、おいらが行った11時台にはもう10冊もなかったのでひそかなファンがいるもよう。てゆうか、これはたぶん存在自体をあまり知られてはいけない(某国のいっぱしの書き手のイカス文を勝手に邦訳して*[もとの執筆者も原典もちゃんと掲載されてます。念のため]売ってるのです)たぐいのものだけにZ誌ファンの方々は皆さん意識的に黙っていると思われる。ですのでZの版元のSの方はご迷惑でしたら当回の日記は即削除しますのでお申し付けください。この誌を出しているひとにはなんかひどく同志的なものをかんじるので命令とかなんでも聞きます。すごく読みやすくてやわらかい文に翻訳されてるところからして、翻訳してる方はかなりの手練つーかふつうにプロの方が覆面でやってるのでしょう。音楽上の専門用語だの当時特有の言葉の意味合いだの、わかる人じゃないとあんなスラスラ訳せるわけねーし。肝心の内容としては、しょっぱなに載ってるのが1900年初頭に黒人歌手によってつくられたブルースで"ジェイクのせいで足がいかれた"ふうな内容の歌詞がけっこうあって、その謎を暴いていく調査記録のようなアレなんですが、ジェイクつーのはしょうが汁っぽい安手の飲み物でアルコール分がわりと入ってるもので、禁酒法時に市民間でコーラ割りとかでこっそり重宝されてた(ボルステッド法では「液体の酒」だけが禁止で薬品類や固形物はザルだったとか)らしいんですけど、酒の取り締まりをしてた財務省の目をあざむくために売り手(作り手?)がジェイクをアルコール分が含まれていないものかのようにしなきゃならなくて(ここらへんの詳細な部分の説明が難しい。なんか濃くして固形にするとマズくなっちゃうからアレ入れてコレ入れてみたいな説明が延々と)、いろいろ工夫してたらヤバいアレになっちゃったけどそのまま売っちゃって、それのんだ人が次々と障害者になってったとか、ほかにはメキシコの業者が意味わからないモノを入れちゃったとか、ドイツ人が毒いれたとかいろんな説があるらしい。いちばん有力なのが捜査官だの化学者だのが調べた結果として出た役人の目をあざむくための工夫説だそうです。わかっただけでも10万人規模で被害者がいたらしいんですが、基本泣き寝入りだったとかなんとか。とりあえず禁酒法がいかがわしい手法やヒトビトを生み出し続けてたことはよくわかりました。このジェイクブルース話のほかに3〜4編ちがう人の評論とかのっててまだよんでません。とりあえずその次に載ってるやつはロックに関する悲惨な伝説的事件のあった土地を巡るという柳下さん的なことをやった人のモノでなかなか面白いです。ほかもロックがらみなんでじっくりよみます。総括的なあとがきからしてこれ出してるひとは(やってることはヤバいですけど)誠実なんだなーと思った。これのほかにはこれの16号とかここ(ここ経由)の児童文学評論本とかこれとかほかにちょろちょろ買ったらなにげにけっこうな量で、手提げ袋とかどこもくれない(エコぶりやがって!!)ので、同人誌10冊ちかくむきだしで抱えたままどんな羞恥プレイ!!とか原美術館までてこてこ歩いていきましたよ。そんでまあ肝心のお目当ての映画モノですが、マジックでまゆげを書いた柴犬をみて大笑いするとシュンとなってしまうそうですけど、目当てのブース売り子をみたらゾンビカンフーて名札のついたひとがいたので「鼻息荒い映画評をいつもたのしくよんでいます!」てぶつけたらシュンとなってしずかになってしまいまして、これは「鼻息荒い映画評をいつもたのしくよんでいて毎日がたのしくてしかたありません!」「いつも鼻息荒い映画評がおもしろくてアドレナリンがヤバいくらい云々!」「冷静にしようとしてるのに鼻息荒さがまるみえなところがイイです!」みたいに語尾をもっと具体的にしなきゃいけなかったか〜!と悔やみましたが時すでに遅く。会話ムズい。鼻息荒い映画評云々ぶつけた際に「鼻息荒いのが好きですか!」とか妙にノリのいい人がいらっしゃまして、たぶんこの人だと思うんですけど、文からし夏目漱石をもっと軟弱にした感じのスカしたヤサ男野郎なんだと思って勝手にムカついてたんですが、今後はモテモテでいけすかないとか言わないようにしようと思いました。でも渡されたチラシみたら今度でる新刊がどうの〜弟の嫁の子供がかわいくてどうの〜とかやっぱりいけすかねーわ。あと黒い女のひとが上目づかいでみつめてきて怖かった。内容としてはまなさんのカーティスハンソンの話とか亮一さんのエンドクレジットの話(おいらはケータリングとハニーワゴンの部分をなんとなくチェックします)と、ゾンビカンフーさんのワスさんに対するうらみごとがおもしろかったです。あそうそう、まなさんといえばうましか本にのってた経験談風小説が壮絶でかなわねーと思った。帰り際に京急蒲田駅東口付近で柳下さんと行き違いましたが、進行方向と逆向くとかいいかげん勘よすぎ。柳下さんてイベントとかで観察しようとするとすぐ視線に気づいてむいてくるんだよな。中原さんくらい無防備だと観察しほうだいなんですけど。おちおち観察もできやしない。まあ、このやりすぎな勘のよさがあるからこそヨハネスブルグだろうとどこだろうとイイネタをつかんで無事生還できるものなのでしょうけども。

原美術館のはラウシェンバーグという人も作品もぼんやりとしか知らないんでみにいった。オマージュお題つーことでラウシェンバーグ作品自体は2〜3コしかなかったですけど、同じジャンルでやってる人の作品といっしょに展示されたことでラウシェンバーグの作品の完成度の高さやこまやかさがよくわかってかえってよかったような気も。この展覧会で展示されているものの題材はすべてくだらないものばかりだ。日々の生活で、テレビのなかで、街を歩いてさえいても、うんざりするほど目にする、いつでもどこにでも常にあるくだらないもの。見も知らない人の無表情に歩く横顔、なにかしゃべっている口を開けた顔、笑っている顔、しかめっつら、怒ったようなこわい顔、涙を流している表情。無数に掲げられた広告のなかで、そういった人の顔は真ん中に大きくひとつあったり、たくさん小さく集められていたり、半分だけだったりする。人の顔だけじゃない。動物、植物、車、薬、手だけ、足だけ、服だけ、文字だけ、数字だけ、色だけ、目盛、単位。あらゆる切り貼りを日々、無限に見続けている者だけが認識できる「くだらないもの」。天井からぶらさがった電球。海辺の喫茶店のカラフルな看板。鉛筆で描かれた卑猥なイタズラ描き。広告の意味があるようでない言葉の羅列。あきらかなガラクタを組み合わせた物の擬人化…。だれもがくだらないと必ず感じるものだけを選びとり、ジャスパージョーンズは天井からぶらさがる電球を鉛のレリーフにし、トムウェッセルマンはなんの宣伝でもない女の足と波のカラフルな看板のようなものにご丁寧にグラデーションの陰影まで描き、ブルースナウマンは壁の卑猥なラクガキのようなものを版画にし、エドルシェは広告の文句のような意味ありげな単語の組み合わせ、ローリーシモンズはまるでちょっとセンスのいいおばさんが気をきかせたようにガラクタをふたつ組み合わせて、どこのだれでもできるような可愛らしい光景を写真におさめた。ほかにも動く手が写っているテレビ(ゲイリーヒル)とか色と大きさのちがう四角をいくつか描いただけのもの(ジョセフアルバース)とか、どれも残らず、だれもが日々あまりに目にしすぎて「くだらない」と思うものばかり。でも、これらの題材にされたもののうち、どれかひとつでも永久に失われてしまえばそれはくだらないものではなく、かけがえのないものになってしまう。ジョーンズが鉛のレリーフに収めた「電球」がなくなったとき、これこそが「電球がとるにたりないくだらないものだった時代」の象徴となる。だれもが見向きもしなかったものはだれかが掬いとらなければそのまま消えてしまう。だれもが目にしていて、だれもが見向きもしないもの。未完成のものなのか、ラクガキなのかわからないもの。写真も塗ったところもどっちも中途半端でなにを描こうとしたのかわからない。射撃の的のようなもの、巻き尺の目盛りのようなもの、円グラフ、防護服を着た人の写真。もしくは何枚もの透明なビニールシートにそれぞれ蛍光色で印刷された、笑う女性の顔、何羽かの鳩、マンホール、町並み。薄手の布に印刷された自動車2台の中央に古代遺跡の印刷。どこかでみた、どうでもいいもの。見てもしかたないもの。くだらないもの。ラウシェンバーグは本でみた際には「イメージをやたらめったらぶちこみすぎな人」くらいのイメージしかなかったんですけど、実物をみるとやたらていねいな仕事ぶりで、色合いとか全体のバランスとかがこまやかに配慮されてて仕上がり具合はこのジャンルでは他の追随をゆるさないカンジのちゃんとしたひとでした。現代美術の「くだらない現代の象徴」ジャンルではゴミクズ的な質感をだすために乱雑な仕上げをする人がけっこういますけど、ラウシェンバーグさんはけっこう職人的な見た目良さにこだわる人だったのかなーと思いました。いちいち使う素材もきれいだなあと思うものを選んでるし。1階の円形部分にあったオルデンバーグさんのソフトスクリューは注意書きも特になかったんで、先端部分をここぞとばかりにつっつきまくりました。ふよんふよんしておもしろかった。工事現場でよくみかけるようなものっぽいけど実はどこにもないモノでした。何が「くだらない」のかを認識することで何が「現代」なのかがすこしみえるというか。
ビッグバグスパニックは父親のつてでなんとか就職したにも関わらず、遅刻常習だわ超くだらんギャグを職場に流行らすわでトサカにきた経営者から解雇させられた直後にへんな音がしてきたと同時に気を失って、気づいたら自分も職場の人もみんな繭につつまれていて…みたいな展開で、主人公が気を取り戻して繭からでるとスクーターくらいの大きさの虫がキシャーッていて、職場の人がでかい針でブッ差されたり飛びかかられたりしてひと悶着あるものの、どうにか潰したり撃退したりする。でまあ同行メンバーが5〜6人そろったところでギャーギャーしながらアッチいったりコッチいったりして最終的に巣に突入する話。虫はどうやら視覚が衰えているかわりに聴覚が発達していて、車動かしたり銃撃ったりすると大量に飛んできて襲われるので、移動は徒歩orチャリだし戦うのも素手とか棒とか限定といううまい縛りのつくりかたです。あとあいまに主人公と元軍人のお父さんとの確執話が差し挟まれています。虫に刺された人が数時間経つと両足からでかいクモ足が生え始めて虫ゾンビ化するところがなかなかよかったです。ラストのアレは唾液採集して調べてた女子がらみのなにかですかね?いくら続編展開でもあの放り投げっぱなしな画ヅラでのブツ切り終幕はちょっとなあ。あすこちゃんとしてれば締ったのに。あとなんか職場のパツキン女が逃避行メンバーになった際に冴えない主人公にやたらしなだれかかっていくのも理由がいまいちわからんくて何だったのか。単にリーダー的なヒトに媚び売ってただけなのかな。いろいろカキましたがわりに好きな作品ですた。ゾンビ映画好きならこの映画もぜんぜん好きだと思う。
戦場でワルツをは…会社にパンフ置いてきたしまた明日カキます。途中ねちゃったんであんまし書くこととかないんですけど。戦ワル鑑賞時になんか頭痛くなっちゃって。遠出した直後にアレコレやってると脳が対処できなくなるっぽい。