この世のこわいものはすべてあなたがつくりだしています


 
・個別売りGJピノ!!とか思ったらピノじゃねーのな(こことかここもどうぞ)。今後もふつうにぱくつきますけど。

メシの量が少ねーからじゃねーの?小麦系食品も意味ねーらしいし。便秘検索してたらアッー!事件でてきたのでのせておきます。あと上記画像はズルむけ頁のモノです。

・いつのまにかこんなの出てすでに品切れてやがんの。いつのまにか出てたといえば柳下さんのフリマエモノこれか。通販してくれんのかな。罪山さんのフリマエモノこれもよさげだしここの人も出してたの知ってれば見に行ったのにー。なにげにみのがし多かった。コミケもですけどチェックしだすとキリねーんだよなこういうのって。チェックしだすとキリねーといえばたまにお客さんからレコード屋ないですかーて聞かれるんですけど、あちこちに散在しててなにげに教えづらいんだよな。ここで紹介されてる店はなくなったとこが多めだし。とりあえず今でもあるとこでは有名どころ(どうぞ)のほかだとここ(最近支店が微妙に増えたっぽい)とかこことかこことかこことか。裏道の雑居ビルのなかに突然できてることがあって全体像が把握しづらいことこのうえない。神田中古レコード屋地図みたいのもつくればいいのに。ジャズ喫茶みたいのもちらほらできてることだし。 

・昨日の朝日の夕刊のこのコーナーで漢字を滅ぼそうとしてる業界のお三方が紹介されてたんですけど、3人とも名字氏名がバリバリに漢字(梅棹忠夫安本美典野村雅昭)なところはぜんぜん気にしないのかなーとちょっと微笑ましく思いました。梅棹さんなんてお子さんの名前をカタカナにするほど漢字憎しな人なのに。そういえば頑なな宗教信者ばかりおちょくりまくる人が、キリスト教とかあの世の素晴らしさを訴え続けてる原理主義的な信者の人に「じゃあどーしてすぐ死んでそのスバラシー世界にいかないの?」みたいに聞いたら絶句しちゃって何も言えなくなってる場面を一昨日の町山さん番組の予告でチラっとみましたが、極端になにかを信じすぎてる人って言ってることとやってることが激しく矛盾しちゃってる場合が多い気がする。朝日の記事によると野村つー人は「努めて漢字の少ない文章を書く」とのことですけどマジでそうなのかなー。当日記を上回るほどひらがなだらけの幼稚園児じみた文章なのか?それはそれで勇気がいることですので、マジに実践してるんだとすれば社会人的な恥を超越してるという点ですごいことです。つーかさ、基本的に文字の使い回しって各時代を生きる読み手が受け取りやすいように相手を思いやった結果として最善の形をとってるものであって、漢字憎しの人は相手の読みやすさより「自分らの考え」の押しつけを基本にしていこうとしてるあたりがどーなの。おいらは漢字はかっこいいなと思うし、ひらがなはやわらかくて好きで、両方がうまくあいまってはじめて現時代のことばの良さが出せると思ってるので「どっちかだけ」とかぜんぜん考えられない。なにかを悪者呼ばわりする連中は基本的に信用できないし。動物愛護の連中とかオナニー道具を目の敵にする人権団体とか。そもそもこれから徐々に漢字が消えていくんならなにもあくせく潰そうとせずに静観すればいいのに。なにかやって正義の味方ヅラしたいのかな。梅棹さんについては戦時中の電報文のバカバカしさが漢字嫌いの原因になったとか記事に書いてありますけど、マジでそれが原因だとすると個人的な憎悪を社会にぶつけるみたいでなんかおとなげないっすね(だからって英語使用を勧めるんじゃなくあくまでローマ字っていうこだわりがよくわからん)。まーおいらもヒトのことはいえませんけども>個人的な憎悪を社会にぶつけるみたいでおとなげないっすね。

本当は怖いものなど、この世に存在しない。自分の心が「恐怖」を作り出していることを知るべき。といえば最近の独裁政権下的な異物排除風潮も多くの人が漠然とした不安や恐怖を抱いてるせいなんだろな。それをどう解消したらいいのかわからなくて、とりあえずみんなとちがうことしてる目立つ人をよってたかってリンチすることで擬似的に不安感を解消してるとゆうか。そういえば戦場でワルツをはだれに憎しみを持ってるでもない、ごくふつうの青年たちが戦場(徴兵なのかどうかはよくわからない)で命じられるまま機銃掃射しまくったり死体処理をしまくって、やってる当時はさして良心がいたむこともなかったというのに、数十年経ってそのときの悪夢に悩まされつづける人が続出する、という話でした。さいごのほうで寝ちゃったんでなにがどうなったのかよくわからなかったですが、なにしろ「虐殺的な重たい罪の意識に苛まれるふつうの人」的な内容でした。日常のすぐそこで死ぬほど爆撃や銃撃がくりかえされている方ならではの不謹慎を通り越して軽やかな地獄描写(バックミュージックに合わせてミュージカルよろしく等間隔に並んだ戦車がヘリに次々と爆撃される、みたいな。あとガンガン銃撃されてるところを悠然と歩いてくキャスターをその道路沿いの建物の住民がのんきに見物してるとことか一体どうなってんだ)がなんだこれーと思いました。なんというか、敵なんか実際にはいないのに罪悪感だけがどんどん不毛に積み重なっていく、みたいな不条理感をレバノンあたりの若者がみんな感じてるのかなーと思うとどうにも悲惨すぎる。あとバシールがどうこうのくだりとかは中東あたりの映画みるといつも感じるように、こまかい事情を知らないので話がよくわからなかった。