前にみたワイズマンとかキムギヨンとかいつ書くかなー

昨日はキャピタリズム マネーは踊る(しね)→パリ・オペラ座のすべて(ヒューマントラストシネマ有楽町)→ヴィクトリア女王 世紀の愛(しね)とみまして、キャピタリズムは1970年代まではみんな中流でそれなりに余裕のある生活を送れてたのに、1980年代に大統領になったレーガンが「金持ち守って庶民搾取」政策を取り続けて以来、豊かだったアメリカの社会基盤を30年かけてメッタメタに潰しつづけてる悪者達についての映画。過去に滅んだ文明の末期状態と同じになってるのに、それでも独り占めをやめようとしない札束ジャンキーどものようすをわかりやすーく描いています。莫大な財を手にするにふさわしい真のセレブ人格な人がアメリカの金融業界や政界にはひとりもいないってことでしょうか。真のセレブ的度量を生まれ持っている人は「いくら手に入れても満足できない」みたいな卑しい精神状態に陥ることはないだろうし。なんかアメリカの金満業界には内面が乞食の人がウジャウジャしてるってことなの?映画ではそういった札束ジャンキーの連中が庶民から搾り取るためのあらゆる現場を紹介してまして、企業の大量解雇をはじめとして10代の少年少女を更生施設に一定数ブチ込むと利益が生まれる、みたいな司法的カラクリを仕組んであったり(学校での可愛げのあるいたずらでさえも数ヶ月施設に軟禁される口実として使われる)、経営者が従業員に勝手に莫大な生命保険をかけておいて、数十年働いたところで死ぬ(←ここで死ぬのもきりがよすぎてものすごく怪しい)と遺族でなくなぜか経営者のフトコロにだけ億単位の金が転がり込むという保険会社とのカラクリが仕組まれてたり、果ては勉強してる時点でなぜか数百万円以上のローンを抱えてる学生が自動的に搾取しまくってる金融業界にいかざるを得なくなってたり、民間航空機の操縦士の給料がなぜかマクドナルドのバイトの時給より低くて、生活できないので副業を2つも3つも掛け持ちした結果疲労から墜落がガン増えしてたりと、一般大衆を油をとるためだけの菜種かなんかにしか思ってないふうな搾り取りっぷりの現状が次々と映し出されるわけです。当面の生活費のために貧乏人同士でむさぼりあうように仕向けてるというか。こういう国が金融業界にいる連中の理想郷なんですかね。これ続けてたらどんどん荒れてって最後には廃墟しかない砂漠になっちゃうのに。心が貧乏な人が権力を握るとその人の心のような国になってしまうんだな。子供に罪かぶせてカネ稼ぎしてる連中が「エロ漫画が諸悪の根源だ」とかどの口で言えるのかね。人身売買と変わらねえことしてる賊どもが。映画中では独裁的経済社会の解決策として社員全員が経営者の会社も映し出してまして、ちょっとだけ救いもあります。アメリカの人って社会主義はヤバイってゆーけど、社会主義より独裁的思想を正義と喧伝することのがずっと悪いことなんじゃね?システムは使いようでどうとでもなるんだし。なにしろ「富裕層への減税」の実施は中流の破壊だけじゃなく社会や国の破滅になるはガチ。「富裕層への減税」=「富裕層から取らないかわりに庶民や貧乏人から取る」ってことですので。どんな理由であろうと富裕層への優遇措置なんかする必要ないですから。富裕層もさ、いくら札束もぎとっても満足できない乞食心のまんまじゃいつまでたっても生まれついてのセレブの持つ「豊かな心」は手に入れられないよ。 真のセレブになりたくないの?明日をも知れないギリギリの生活してるホームレスからえげつないピンハネして着飾ってる自称セレブってさもしいねえ。あと、ポンニの政治の人はエロ系の創作物とか、ポンニ独自の異質な個性についてマジで守ったほうがいいって。これから国民減ってってよけい独自性が大事になんのに、どうして潰そうとすんだよ。アニメや漫画だってかつては虐げられてただろ。文化上での異質なもんは花が咲くときがくんだよ。カルトのほうを後生大事にしたブッシュはどうなったよ。ところでこのマイケルムーア映画はしねでの上映が今週いっぱいらしいですけど、去年の11月からやってる2012より公開日数少ないのに打ち切りってどうよ。とりあえずみんなみにいっとくといいよ。思ってるよりかなりわかりやすいし。
ヴィクトリア女王はフロムヘルでガルに命じた張本人つーことでなんとなしに。女王系ではめずらしくラブラブな夫婦関係だったようで、パンフによると夫が死んでからヴィクトリア女王はずっと喪服だったとか。フロムヘルでも老いた厳格な顔立ちの女王がやっぱり黒いドレス着てますけど、そこらへんの事情とかあわせてみると世紀末ロンドンの暗さがいやますものです。作品中ではステージママっぽい(というか伊達政宗の母親的に権力に固執する系)母親の呪縛から逃れて、国を動かす女王としてもひとりのおんなとしても自立して夫となるアルバートと手を取り合うようになるまでの若き日の姿が中心に扱われてまして、ふつうだとうまく言いくるめられて権力の座から押しやられたり悪くすると殺されたりしてしまうものですが、早いうちから強い意志をもってしっかりと選択していけた時点で幸運が重なったとはいえやっぱただものではなかったってことなんだろな。あとヴィクトリアもアルバートももともと高貴な生まれだったにも関わらず、庶民生活や社会や経済を改善するために金銭的にも業務的にも尽力を惜しまなかったそうで、まさしく権力を握るにふさわしい2人だったのだなーとしみじみしました。芸術系のものでもふたりの名前が冠されたものがけっこうあるし、内実兼ね備えた「良き王」が無事に権力の座につく、というのはすごく珍しいし幸運なことなのだなと思いました。女王みたいな真のセレブをみて「宝石もってる人」にしか見えないうんこ女には国や民衆のために骨身削ってる部分が目に入らないんだろうなあ。宝石やブランド品もってるだけじゃいつまでたってもセレブにはなれないんだぜ。ものすごい当たり前ですけど一応。映画中ではヴィクトリア女王のドレス姿が派手すぎたりバカっぽくならず、かといって控えめすぎもせず、現代的な目からしてもちょうどいい華やかさや可愛らしさでたいへんよかったです。
オペラ座のすべてはワイズマンなのでみにいきました。いきなり町並みや建物を無造作に映してくあたりあっいつものワイズマンだ!とうれしくなりましたが、やはり途中ねました。一流踊り子さんたちが鏡張りの部屋で息きらせながら激しい踊りの練習をしているとこがおもなシーンで、舞台にでる現役の踊り子さんより稽古つけてる先生のがあきらかに年くってるのに、踊ってみるとなめらか巧いのがなんかおもしろかった。先生だから当たり前なんだろうけど。一流どころだからめちゃくちゃ厳しいのかなーと思ったらそんなことなくて(高い技術レベルにいってる人しかとらないからであろう)、そこ違う、君のは足がこう止まってるけどこうやってこうやってアラベスク、みたいに端々を修正してく的な指導が多く映ってた。あとそこの経営者らしき女のひとが踊り子たちに向かって高いレベルを誇っているからこそお客がくる旨の説教したら踊り子たちから拍手が起きたんですけど、拍手してる場合じゃないのよ。て諌めるとこが下町の会社経営のおばさんちっくでちょっとおもしろかった。ほかにはオペラ座の掃除夫さんとかも映ってましたけど、公共機関が題材のワイズマン作品によく映ってるポカーンとしたりポケーっとしてるバカっぽい人はあんましいなくてそういう意味ではつまんなかった。高レベル保持を目的とするプロ集団だけにさすがにそのテの人はオペラ座にはいないらしい。上演してたものでは黒いドレスきた女性の踊り子がカラスみたいにぎゃあぎゃあ騒ぐやつが面白かった。ちょっと通しでみてみたい。