中原さんがイキイキできる相手だと面白さが段違いだなあ

ウィリアムケントリッジ(金曜。国立近代美術館)→大人のおもちゃダッチワイフレポート(さっき。シネマベーラ)とみまして、シネマベーラのではまなさん中原さんが話し合うのをみせるというのでみにいった。雰囲気的にはそねさん映画をすこししかみてない中原さんが、大体みてるまなさんに説明させてふーんとかへーとかなんだそれ!とかてきとうな反応してる中にまなさんがソフトなやさしい間の手を逐一さしはさみながら進む流れでした。そねさん作品に関しては「なにも盛り上がらない」「みてると寒々しくなってくる」「なにを撮りたいのかわからない」「どの人に映画のことを聞いても断片しか覚えてない」「応援団の映画なのになにを応援してるのかわからない」「周囲の人から嫌われていた」「監督がくると場が一気に白けたらしい」「フィルムもほとんど燃やされた」「そして監督も消えていった」などと、そね映画にどんなにうんざりしてるかをふたりしてうなづきながら次々と並べていました。まなさんの話にでてきたなぎら健壱主演の谷岡ヤスジがらみの映画とか、ハゲが光って終わる映画とかが気になった。その後にみたダッチワイフレポートという作品は女日照りの長い南極仕事人たちが主人公の医師が特注させたダッチワイフのとりこになりすぎて生身のおんなに興味がなくなってしまって…みたいなスジで、その特注ダッチワイフが昔ながらの口がポカーンと開いたままの形状のゴム人形そのものなんですが、一応なまのおんなの声が吹き込んであったり電動式に手足がぎこちなく動くしかけにはなっていて、女日照りが長過ぎた男からしたら多少ゆるいつくりのモノでも天使かなにかにでもみえてしまったとゆうことなのでしょう。つーか前半かなり寝てしまったんですが、目覚めてからダッチワイフをつくらせた主人公の医師がなぜかそのダッチワイフに異常なまでの独占欲をたぎらせてて、どういうわけかわからんのですけどどうにかそのダッチワイフに嫉妬心や苦しみを抱かせようとあれやこれや手をつくす医師。ついには新米医師の派手っぽい婚約者の女に目をつけて、なじみのダッチワイフ製造工場へ連れ込み、その女に似せたダッチワイフの製作をさせてしまう…というスジですが、いくら僻地で苦しんだとはいえ穴状の口をしたゴム人形に生身の人間と同じ感情的反応を求めるほど執着しつづけるあたりがなんかちょっと理解に苦しむし、オチとなるダッチワイフ工場のおやじがダッチワイフのまんこに野生動物をはさむ罠みたいなのを仕込むのもどうしてなのかよくわからない。南極から帰ってきた医師が南極でそのダッチワイフを抱いた男に対して嫉妬するのはわかるんですけど、そのダッチワイフをつくった工場のおやじから自分の母親に似せて(声でした?)つくったことを聞いて「(ダッチワイフに対して)この淫売が!」とか怒り出すのはちょっと面白かった。その後は「えっ?」というところで「終」の字が出て突然終わるんですけど、ここらへんについては他作品でもそうゆう唐突な終わり方だそうで中原さんがその点だけは絶賛してた。まなさんは口調のものごしの柔らかいやさしげなおとなの女性でした。臑から上がスナックの美人ママで臑から下がエスキモーだった。

ウィリアムケントリッジは近所なのでなんとなくいった。アフリカの白いおっさんがラクガキそのものからラクガキ動かすほうに興味がうつったとかで、作品数がかなりあって展示がなにげに迷路状でした。映像作品がけっこうあって、ぜんぶみると1時間以上かかるとかでトハンパにみてすました。荒っぽいタッチの鉛筆画を映像として動かすと、端々から徐々にピクピク動くところがいもむしっぽい有機的な独特の味わいですな。基本的にドローイングなので白黒ですし、アフリカという土地柄か印鬱な雰囲気の画ヅラが畳み掛けられる内容です。ヘッドホンあててピロピロした効果音聞きながらラクガキ映像みてくやつがちょっと中原さんぽい乱雑さがあってちょっとよかった。画風としては「つかみどころのないもやもやした人間と彼らをとりまく無機的な直線」というところではちょっとだけベーコンぽい。画題としては「いうことを聞かないラクガキ」かな。あれで題材にしてるものの意味もわかれば多少おもしろいんでしょうけど、ポンニ人にはわからないアフリカン内情ネタっぽいのが中心にされてるのでいまいち楽しみどころがつかみにくくて疲れた。基本的に「きれいな絵」はないし。あそうそう、壁側が映像窓になってて刻々と「置く」ものが替わる「薬棚」はちょっとおもしろかった。