チャウシェスク妻が典型的な悪の女王すぎてわろた<ベストハウス123

かいじゅうたちのいるところみてつくづく思いましたけど、思い通りにいかないとかんしゃく起こして暴れたり物壊したりする破壊神が真のちびっこの姿であって「こわさないで」とかいいだすガキをどや涙腺ゆるんだやろ?といわんばかりに描いたターセムはセンダックとジョーンズの爪の垢を混ぜ合わせたモノをジョッキで毎日飲みほしたまえ。破壊衝動や創作での破壊を否定しだしたらシュルレアリストとしてだけじゃなくゲージツ家としてふつうに終わりだと思う。こわすなとか言うのは三十路近くなった子持ち女のセリフだよ。あと漫才のツッコミのほうの人。

滝平さんと斎藤さん共作のこれこれがかなり良作でびびった。猫山は釣りしてた若者がうっかり帰るのが遅くなって山中でちかみちしたらへんなとこに入ってしまって、困ってたところに一軒家があったので泊めてもらおうとたずねてみたらだらけた態度の子供がたくさんと婆さんが住んでいて…みたいなスジで、その婆さんは鬼婆ならぬ猫婆で迷い人を喰らうために化けていて、同じようにだらけた子供たちもやっぱり猫なんですけど、自発的に手下をやってるわけじゃなく、猫婆が迷い猫や捨て猫をほうぼうで拾ってきては脅して手下として使ってるわけです。なにもしらない主人公は泊めてもらうわけですが、その晩だれかに起こされてみると前に飼ってた猫で、若者は猫と共に逃亡をくわだてるのだが…というのが大筋で、世界中どこにもある獰猛な肉食獣が悪者役のおとぎ話では「やっつけられてメデタシメデタシ」になるものですけど、猫山はひとあじ違ってて主人公の若者が手下としていいように使われてる子猫たちを「おれも手伝うからみんなして猫婆をやっつけるんだ!」て煽るんですね。圧政者に立ち向かう構図を子供むけのお話でやるっつーのはちょっと動物農場っぽい。滝平さんと斎藤さんの共作絵本のこれのなかでも横暴なふるまいの者にちいさなものが立ち向かって行く展開があって、話つくってる斎藤隆介さんがそういうカニ光線的なものが好きだったのかな。支配者キャラの強欲な性根と恐怖で萎縮する労働者キャラがなにげにリアル。猫山では猫婆が障子のむこうで出刃包丁を研いでる影とか、正体をあらわしてデカい猫になったシーンが描いてあるんですが、禍々しい雰囲気がしっかり描いてあります。おそろしいものは徹底しておそろしく描かないと、それをやっつけたり乗り越えた際のカタルシスも半減してしまう。おそろしいものを描くなとか見せるなっていうイチャモン聞いてたらぐいぐい惹き込まれるようなドラマチックな作品などつくれなくなります。かわいいものはより可愛らしく、禍々しいものはより禍々しく描くことでキャラクタの立場や状況への落差が生まれて物語に感情移入する快楽もいや増すものです。恐ろしいものをより恐ろしく描く、のお手本として上記画像(ここのモノ)をのせてみました。こわい部分だけ取り上げて子供はみるなとかなんとかいう正義の味方ぶった連中って、非難してるモノを通しで読んだり見たりしてないと思う。猫山にもどしますが、猫婆に手下にされてる子猫たちを煽る主人公の青年は猫好きの心優しい若者なわけですけど、なんとなくさわやかなキャラ造形とか自然への畏敬的要素のはいった話運びとかが宮崎駿っぽいんですよね。心優しき若者キャラでいえばかみなりむすめに唯一やさしく接するのがそういう少年で、話としてもなんかこう甘酸っぱいような萌え話でそこらへんのオタクの型はちょっと悶絶しそうなアレ。話としてはリュウに載ってる黒猫が人間の少女に変身して人間世界で遊び回る系のもので、雷様の父さんと母さんの間に生まれた雲の家に住む女の子が、地上の少女たちのやってる遊びがしたくて親に内緒でこっそり下りていってしまうという話なんですが、かみなりむすめちゃんと心優しい少年の両方のせつない感情の動きがあのみじかい文と滝平先生の切り絵であますところなく表現されきっててスバラシー。異質なものにも物怖じせずやさしく接する行動青年・少年てなんかもう自動的に宮崎アニメのイコンとして刷り込まれちゃってるのかな。斎藤×滝平絵本のは宮崎さんが国民的人気を獲得する前につくられた物語なんだからこういうキャラクタは昔からポンニにあったものなんだとは思うんですけど。自然への畏敬的な物語といえばこの作品はいくつもの「失敗(=死)」が重なることが主題になってるんですが、滝平さんが山のなかとか大自然を描く際に真っ暗闇として表現してることがあって、そういうのみるとなんか自然て死や生そのものだよなあと思う。そういう真実を物語ですらみせないようにする親ってのは大事にするとこをはき違えてるとしか思えない。子供を信用してなさすぎじゃないかそれって。てめえのガキは創作物みて廃人になるようなアレなのかよ。死の描写といえばこの前夫人におとうとリメイク映画の話したら、みんなが貧乏だったころは結核で死ぬのがあたりまえだったからこそ病気で死ぬ設定がリアルなのよ!なんでも揃ってる今その設定やったって意味ないのよ!!とか言い得て妙すぎなことを吐いてた。

斎藤×滝平絵本は宮崎さんが15分くらいのアニメにして夕方にでも流せばいいのにな。