ゲームボーイやってるのって将棋やってんのとかわらんよね

・イタズラアートじゃないけど客の逆撫でを主題にした展とかをごみくず御殿グッゲンハイムで大々的にやったらいいのになーと思う。ちんぽさんやえげつないイタズラ映像にヒステリーじみた非難が殺到する民度の低い現ポンニではとうていムリなだけに、まずは白人さんにお手本をみせていただくほかあるまい。昨日の朝日の夕刊で大西若人っつー人が医学と芸術展(もり)の展示作品のピッチニーニはホメてるくせに『一方で、生命科学や高齢化が旬の話題だから「アートにしてみました」と感じさせる作品も少なくない。説明的、図式的で、現代美術のもろさや病すらあらわになる。』とか暗にほかの現代美術作品を批判してるふうなこと書いてるんですけど、現代美術を毛嫌いしてる人の論調みても思うけどさー、提示されなきゃ考えもしねえくせして身銭きって提示してる人の作品みて小細工だ小手先だとかよく言えるよなあ。現代美術作品の意義って問いかけそのものだからどう思おうと勝手だけど「現代美術がいやだ」っつーのは他者の意見(=異質なもの)をきいたりみたりするのがいやだってことじゃん。確固たる目的がないかるいシャレでつくられたもんは心に響かないからダメだ!!みたいなのもバカだし。ナメくさった態度のほうがおもしれぇのに。ナメくさってるといえば特定の美術館とかの人は宣伝でしかたないとはいえ「あの展もこの展もどれもすばらしい」とかさも「すばらしいことだけしかみえない」みたいな口調のアート好きってマジでむかつくな。いかなスバラシー展でも必ず欠点はあるもんだし、好きがあれば嫌いだってあるはずなのに「好き」の部分だけならべてイイ子ぶる輩は正直おべっか使いにしか思えない。だれに好かれようとしてんだよ。アタクシはイヤなところのひとつもない美しい人間ですのよホホといわんばかりの全方位向けご機嫌伺い文調の胸くそ悪さ。美術芸術の感想書いてる人にこの手合いが多いのはいったいどういうわけなんだろうな。なんか今日腹が立ってしかたないんですけど、これから24時間以内に鶏レバーがでるはずですのでそしたらもうだいじょぶです。前に的を得た現代美術ブログ書いてた人がいたけどソッコーいなくなっちゃったしな。公表するならハナから誰が相手であろうとケンカしてでも続ける気でないとできないもんだな。あのブログずっと続いてたらギャラリーの宣伝にもなってすごくよかったのに。

子供に渇望を抱かせるのもおとなの役目なのですね。

アグネスフィギュア買ったひといんのかな。アグネスついでにここまで図説全書シリーズだしてる原書房さんはそろそろ「図説小児性愛全書」を出してしかるべきと強く思う。売れるぜ〜。外だすとキチガイがウルセーから国内販売限定でな。こういうふうに並べる(タマヒメさん経由)と「子供がひどい目にあう」は物語を劇的にするための1要素にすぎないんだなーとしみじみ思う。逆に「子供虐待」の描写だけをいっさい描かせないようにしたらそのことについて考える人が減ってしまうだろうなあ。そういえば虐待じゃないけどこの作品が少女漫画によくあるやさしいタッチでえげつない性癖連鎖の話を描いててなんかすごかった。絵柄と内容の落差があるモノって生理的な感覚に訴えかけてきますな。やわらかなタッチのビジュアルは受け入れてるのにやってることは受け入れがたい、みたいな感覚的に逃れがたいモノを植え付けられたふうになる。こういう作風って手塚治虫の系譜なのかな。

全然ピンとこない人ってソフトSM映画で水みたいな精液ぶっかけてたあの人か。つうかセクレタリーはゼロ年代映画だったか。すっかりわすれてた。ちなみに10年間ベストは投票後に思い出してミスト(300と同率)と柔道龍虎房(過去のない男と同率)を追加要請しましたが却下されたもよう。10コだけムズい。柔道龍虎房はみじかい映画人生中でダントツに泣いた。

・北の荒川弘!東の清野とおる!赤羽こえー!なにもない東京ローカル文京区っ子でよかったー。工事の警備員のおっちゃん(神田在住の江戸っ子)から「この町は心根の曲がった人ばっかりだねえ!」とあきれられるまともな人間の寄り付かない江戸の汚濁にすむ人間です。赤羽は漫画どうりならこころのあたたかいひとばかりじゃねーか。作中の行列のできる店ってここかしら。超いきてー。ここの豆腐と豆乳も超くいてー。でも地元のひと御用達の店に部外者がおしかけるのってちょっと気が引ける。平日とかにやすんでこそっといってみるかな。ウロウロする人みてみたい。赤羽こわいついでになんかでてた

センダック映画(←スバラシー!!)の原作を聞かされる会やるとのことです。版元さんはもっと大々的に宣伝のっかればいいのにいまいち地味めなんだよな。