『ベアトリスは蓄音機を持ってる
でもそいつは、なんともショボイ音なんだ
ベアトリスは蓄音機を持ってるんだけど
出てくる音はわびしい音でさ
なんかしたかな、俺
かわいそうに、彼女は悪い話でも
耳にしたんだろうか
ベアトリス、俺は蓄音機にぞっこんだ
でも、おまえがゼンマイをぶっ壊しちまった
なあベアトリス
俺は蓄音機が大好きなんだよ
でもおまえは、蓄音機のゼンマイを壊してしまった
おまけに、俺の気持ちまで壊しやがって
なんで他の男に惚れたんだよ
俺たちは、レコードをかけたよな
ソファの上で
壁の横でも
ソファの上で音を鳴らしたじゃないか
でも、なんてこった
俺の針はもう役に立たない
もう、音なんか鳴りやしない
ベ ア ト リ ス ……
蓄音機が好きなんだよ
おかしくなりそうだ
なあベアトリス
俺は蓄音機が好きなんだって言ってるだろ
服を持って、帰っちまうなんて
お願いだ
もう一回俺にチャンスをくれ
俺の蓄音機
しょぼくれた音しか鳴らない蓄音機
かわいい蓄音機
満足に音も出やしねえ
俺が何をしたんだ
彼女はいったいどんな悪い話を聞いたんだ
ベアトリス
服を持って、帰ってきてくれ
たのむよ ベアトリス
帰ってきてくれないか
おまえのかわいい蓄音機を回したいんだよ
モーターがうねる
あの音を聞きたいんだ』
(ロバート・ジョンソン ブルース歌詞集p.46-49「蓄音機」より)
『今日レセプションで彼をみかけた
手にワイングラスを持っていた
知り合いを待ってる風だった
お付きの者も着いていた
欲しい物が手に入るとは限らない
でも時には努力すれば
欲しい物が手に入るかもしれない、そう
欲しい物が手に入るかもしれない
チェルシーのドラッグストアに行ったの
薬を処方してもらうために
Mr.ジミーと列に並んだけど
彼はとても容態が悪そうだった
二人でソーダを飲むことにしたの
私の好きなチェリーレッド・ソーダ
私はMr.ジミーに歌を聞かせたわ
彼は”シビレたよ”と
感想を言った
私は彼に言ったわ
欲しい物がいつも手に入るとは限らない
でも時には努力すれば
欲しい物が手に入るかもしれない、そう
欲しい物が手に入るかもしれない』
(YOUNG@HEART2-01.YOU CAN’T ALWAYS GET WHAT YOU WANTより抜粋)
・洋楽(特にロックやブルース)の名曲の歌詞ってつくり手の個人的な経験が書かれていて、だからこそリアルで感動するものですけど、現ポンニでテレビから頻繁に聞こえてくる歌ってなんか「愛してる」だの「いっしょになろう」だの抽象的なことばっかり歌ってて説得力はねーし空々しいことこのうえないんですよね。こういうカスカスな歌詞のつくりかたってもしかして広告会社のつくったクソカラッポ宣伝映画の手法と同じく「万人に売るためにはわかりやすい単語だけ並べて、個人的なことは絶対書いちゃいけない」みたいな法則的なモノにのっかって量産してるとかなんすかね?そういうふうに作られたと思しき歌ってまったく心に響かないんですよね。そんなクズ次々とつくりだしてカラ人気で場当たり的に消費させてくくり返しだと将来「名曲」みたいなのが残らなくなってくんじゃねーの?有名だからそういう個人的体験な歌詞でもいいんでしょ…ていうのはちがう。バウスシアターで映画の前にかかってるヘンな歌詞の歌が2〜3回しか聞いてないにも関わらず心にこびりついてる。大量消費目当てで操り人形的に歌詞つくってる人は他者の心を動かす気とかぜんぜんねーんだろなあ。いいかげん客を幼児扱いしたような商売方法はやめてください。
・よくしらんけどだれかや何かを「ゆるさない」ことってキリストの教えに反してんじゃ?総本山の人ってキリストの教えよりも自分らの感情を優先して尊んでるよね。それってキリストを掲げたカルトなんじゃ。そもそも有名人の言動とかよりさー、カネ集めで神父の結婚禁じたがゆえに行き場失った性欲がチビッコたちに向かって大爆発してる件をどうかしろよな。それをほったらかしてる件をまずキリストに告白しろよ。
『昔からSF映画が大好きだった。僕にとってのSF映画の黄金時代は、「サイレント・ランニング」、「エイリアン」、「ブレードランナー」、「アウトランド」といった作品が、未来の世界を舞台にヒューマンストーリーを語っていた1970年代から80年代初めまでだ。あんな映画を作ってみたいとずっと思っていた。
最近では明らかに、そういう映画が少なくなってしまった。それがなぜかはわからない。だが、この20年の間に、映画製作者たちがSFの哲学的側面を気恥ずかしく感じるようになってしまったせいではないか、と僕は考えている。クールなエフェクトに「オタク」になり、驚異的な映像に感嘆するのは構わないが、真面目になりすぎてはいけない。SFは10代の少年たちのための軽佻浮薄なものでなければならない。「アウトランド」や「サイレント・ランニング」といった昔の映画は憂鬱で物悲しすぎた、と我々は思わされてしまっている。
馬鹿なことだと思う。SFの良さをきちんとわかっている人々は、世界が最善の方向に向かうことを願いつつも、起こり得る最悪のシナリオを探求することから学ぶべきものがある、ということを理解している。だからこそ「ブレードランナー」は素晴らしい作品だったのだ。未来を題材にして、基本的な人間の資質について新鮮な観点から考えさせてくれたからだ。思いやりや人間らしさといったものをいかに定義するべきか、僕はそういった問題に取り組みたいと思った。』
・上記『』内は昨日から引き続き「月に囚われた男」パンフの監督さん談から抜粋したブツ。ところでハトの人(グリ目のほう)が指導者として疑られてる件とか「友愛」が単なる社交辞令なことがバレてきてる件とかいろいろでてますが、とりあえず創作物の規制かけなければゆるす。自民党と金ヅルカルト党はやることなすことヒドすぎるのである程度ひどくても民主党をゆるすしか。ぜんたい企業で豪腕ふるってきたベテランリーダー的な人に舵とってもらいたい。なんでチヤホヤされてきた中年のポケーッとしたおっさんに国をまかせねばならんのか(腹黒くてもヤですけど)。民間からきたらきたで好き嫌いで判断する文化意識の低い人だったりもしますが。これに書いてありましたけど、知識を培う文化的な環境を奪うことは犯罪に手を染めた人の更生に於いていちばん悪い影響を及ぼしてしまうそうです。たやすく児童書施設を潰したりしてる大阪の元弁護士知事の人は人間がまっとうに育つに際して読み物がたいせつであることを認識していないふうにみえますな。つーわけで橋下徹・アグネス・自民公明党の漫画規制したい連中は上記ダンカンジョーンズさん談の『世界が最善の方向に向かうことを願いつつも、起こり得る最悪のシナリオを探求することから学ぶべきものがある』の部分をよっく叩き込んでおくように。「良い描写だけが子供にとって学びになる(だから悪い描写はしないようにしろ)」みたいな論理自体がまぬけって気づけよ。「最悪の描写を知ってる人」より「なんにもしらない人」が上とされるバカさときたらねえよ。
都合のわるいことには目をむけないといえば吉野さん経由で出版社社員さんのリストラ決意日記よみましたが、零細企業から政治まで、いままでうまくいってた手法が通用しなくなる&新たなモノをとりいれなきゃならないのにとまどいっぱなしの混乱が多岐に渡っているのだなーといまさらながらしみじみしました。なにしろ方向転換に失敗しっぱなしの中高年自身の件は棚に上げてオレたちのやりかたにノらない新人類が悪い(ひろぶろさん経由)みたいな言いがかりじみた責任転嫁をしはじめるありさまだけに納得の展開っちゃそうですけど。そういえば昨日かなんかの朝日新聞の石原慎太郎語録に「いままで誰がこの日本を築いてきたと思ってるんだ」みたいな発言が載ってましたけど、単に戦後成長の時代や風潮にのっかってたってだけにも思えるんですが(だれが政治家でもうまくいく的な)…つーかいままで日本を動かしてきた人の無駄遣いが積もり積もって今たいへんなことになってますけどそれについては何も思わないし責任とる気もないんですかね。自分に都合のわるいことは考えないんだな。まるで日本を破壊に導いた陸軍のプロパガンダみたいだ。
・18禁iPadが実現するなら局部はゼリー状のブツが仕込まれたりするんでしょうか。発想自体はとびだす絵本と変わらないんでリンク先のアリスには特に驚きもなく。これからは飛び出し絵本をつくってた紙工芸の人からCGやゲームの人が仕事を奪ってくってことですね。