自覚のない「他者否定」が民間風潮になるくらいこわいことはない

・今日の朝日新聞の争論コーナーが監視カメラ社会がお題森達也さん(監視否定派)と前田っつー人(監視賛成派)がそれぞれ意見書いてるんですけど、双方が「監視のない社会」の良さと「監視のある社会」の良さの利点合戦ぽくなってますけど、前田っつー人の主張のなかにある電車内とか限定空間での痴漢が減ったのはまあたしかに利点ですけど、同じ利点として『最近の「民」カメラには、通行人の顔写真を撮るといった新しいタイプが出始めています。例えば銀座の通りを、いつ、どういう年代・性別の人が、何人ぐらい通るかを記録する。そこで得た情報がビジネスに役立つのです。』みたいなことが書かれてんですがなにこれ…?プライバシーはどーなってんすか?当人の許可なく勝手にビジネスに役立ててんじゃねえよ。これが違法じゃないってどうしてなの?山吹色のお菓子やりとりがあったからなの?あと前田っつー人の文のしめくくりとして『昔のような共同体が維持され、互いが顔見知りの社会であれば、カメラはいらない。』とかものすごい気色悪い村社会的理想論が書いてあるんですけど。なんで全員が顔見知りになる必要があんの?そんな息苦しい世界で生きていたくないよ。野生の動物だってなわばりつくってお互い極力干渉しないようにして共存していってるのに。動物より知能の高い人間社会が「全員顔見知りじゃないとうまくいかない」ってことになるんだよ。「締め付けで社会が良くなる」論理の人間が法律教えてるってだいじょうぶなんすかね。森さん文にある寛容化によって高い治安を維持してるノルウェーの件をよっくよんどけ。まあ前田っつー人の脳みそではノルウェーの現状については理解の範疇を超えていてなにも考えられないんだろうけどな。
しかし漫画規制を声高に叫んでる連中が子供を守るといいながら子供の権利を剥奪しようとしている件じゃないけどさ、「監視カメラ礼賛する」のも「ガキから読み物取り上げる」のも「得体のしれないもの(=他者)を思い通りにコントロールしたい」という恐怖感から派生した欲求という点で同じですね。イーストプレスヒトラー本のお客さん評に今の日本の社会情勢がナチ勃興のころと酷似してると書いてありましたが、ヒトラーという個人に加えて社会の空気が同調したことこそが地獄を生み出す原因だったんだなーとしみじみします。監視カメラを万能視する先生やエロ漫画をガキんちょから取り上げることが善行と信じきってるおばさんたちは自覚なんかないんだろうけど、ナチを生み出す素地をつくりあげてるに等しいですよ。そこへ自民公明党と関わる連中がなにかを悪扱いしてなにも知らない民衆から「正義」として祭り上げられたりすればヒトラーのできあがりだな。あれー正義の大勝利ってどっかできいたような気がするなあ。なにしろカメラなんざなくとも「他者や異物の存在やありかたを認める」ことで社会は穏やかになるよ。相手のいいとこも欠点も等しく認められるって友達になるってことだし。おまえなんか認めない!俺の見識だけが正しい!って断絶姿勢をまかり通してたら不穏になってくに決まってんじゃん。堅苦しい意見が押し付けられるのが当たり前の全員独裁者みたいな社会なんかやだよ。
 
ねることを損みたいに刷り込む論理って「子供が安心して成長していける態勢」よりも「主婦は怠けてる」みたいな批判論理がまかりとおってしまっている件に「なにかを悪扱いする」点でちょっと似てかよってる気がする。子供の安心感や自己肯定感(「自分はこれでいいんだ」という自信。「まるごと愛してくれる人がいる」=存在を認めてもらっているんだという感覚に根ざしたもの)て人間が育つ上でなによりも大事なものだと思うんですけど、それは親的な存在がいつでもそばにいてくれることが大きな影響をもっていて、だからこそ親が家にいて世話をしてくれること(=帰る場所があること)がとても大切だと思うんですが、そこらへんがどういうわけか軽視されすぎてるんですよね。子供をふやさなきゃいけないってときにどうしてそういう大事な働きをする人をけなすような言論がまかりとおるのか。主婦=サボるもの、みたいな意見もってるのがどの性別の人かしらないけど、男だとしたらいちど主夫やってみりゃいいんですよ。子供が大学生くらいになったらサボり時間のほうがふえるんだろうけど、子供がちっさいうちはそうはいかないと思うよ。育てたこともないしこれからもそういう気はないからしらないけど。
そういえば海老蔵の嫁さんがやってた深夜のニュース番組で一昨日あたりに孤独な高齢独身者がふえてる件やってましたけど、なぜ独身がふえてるのかってそりゃ個人の幸福を追求しすぎてるのと、子宮もってるほうの性別の人が男と同等の労働をしはじめたからに決まってると思いますけど。なんか公ではその件はまったくと言っていいほど取りざたされないですね。タブーなのかな。フルタイムで働いてる人は疲れちゃって子育てどころじゃない(国が育児環境を整えても出生率はいっこうにあがらない件[←下のほう]参照)だろうし、なにより「個人の幸福を追求する」ためには譲歩や妥協やその他もろもろの苦難を強いられる「結婚」は最大の障壁となりますしね。自分だけ幸せになりたい人がそんなもん受け入れるわけないじゃん。いまポンニで子供の虐待が増えてるのは自分だけ大事な女が多いから(←下のほう参照)って論理もあまり取りざたされないですが、意図的に目を背けてるのかマジに気づかないだけなのかいったいどっちなんだ。子育てで虐待をしてしまいがちな人に多いという「悩みを打ち明けられる相手が身近にいない」(「完璧」な子育てのできない自分を欠陥者と思われたくない=失敗とそれによって落伍者レッテルを貼られる恐怖感)件も、もとはといえば相手方や自分の親との同居を気苦労イヤさに避けたことが起因してて、いま歪みの出ているすべてに於いて「自分が苦労するのがヤ」みたいな忍耐を避ける心根が原因してるような気もする。自分だけが大事=自分以外の存在に対する寛容さがないことによって説明のできないような恐怖に駆られたり(with清潔信仰)上から目線の他者制御を欲するんだろうし。どっちにしろ精神疾患の症状くさい。中高年の人もあのころはよかった…みたいにありもしない時代を懐かしんでるわりに弾圧やコントロールといった寛容とは真逆の他者否定ばっかし繰り広げてるありさまだし。ニュースだの論争番組でダベってるエラソーな連中はマジに問題解決する気があんのか。
とりあえず子供をふやすてっとりばやい方法としては東独の行っていた明るい性教育をポンニで実践するしかないと思う。