雨乞いもできんのか、日本人は!

『ぼくはいつも残り物で残り物のことをするのが好き。みんながいらないと思って捨ててもおもしろいものになる可能性があるんだ。まあリサイクル品だね。残り物にはユーモアがたくさんある。エスター・ウィリアムスの昔の映画を見てると100人がブランコから一斉にジャンプするんだけど、こういうことをするためのオーディションはどんなだったんだろうかとか、何度撮ってもどうしても飛び下りれないでガタガタ震えてブランコに残っている1人のことを想像してしまう。そういう子はたぶんクビになって外されただろうし、そこはカットされ編集室の床に落ちているだろうけど、こういう部分がちゃんとしたところよりずっと面白いんだよ。ジャンプできなかった彼女は残り物のスターだ。』(醜の歴史p.388 アンディ・ウォーホル「残り物の美学」)

日本で認められないでいた人がイタリアで認められてやっと絵本作家になれてる件はつまりポンニの絵本出版社が才能見いだす能力もなくデフレ的にフトコロも寂しく絶好調たちがれ八兵衛中ってことですか。質の水準を辛抱強く落とさずに保ってきた国はそれがのちに財産になるってよくわかってるよな。ポンニでカラッポ宣伝映画つくってるアホの脳みそにもねじこんでやりたいよ。

クレージー黄金作戦(水曜。神保町シアター)→Emerging Artist Support Program 2009 展覧会企画公募(木曜。TWS hongo)とみまして、TWSのは例によって1階から3階までの各階で異なったアーチストさんの展示のうち、11人グループのオル太さんのつくった1階の展示ブツがちょっとおもしろかった。つうか今回の展示ブツ中ではオル太さんのがいちばん徹底してたっていう。11人がよってたかって部屋のなかに大部分の日本人が目を背けたいと感じるような「日本」の田舎のあるある風景をてきとう(←ココ重要)に再現してあるものなんですけど、会期中は毎日毎日オル太さんメンバーがひとりずつ来場して、展示品をすこしずつ新たにつくり加えていってるそうです。たとえば朽ちた広告板の貼られたボロい掘建て小屋とか、雑草の生える中で打ち捨てられたような祠じみたなかに得体のしれないものが祀ってあるのか単なる虫除けなのかわからんモノがあったり、乗り捨てられた軽トラックの壊れっぷりとか、なにしろ深田舎の道ばたでみられるような、確実にだれかの手が加わっているであろうにも関わらずゴミだか呪いだかわからないふうの造形の物体の魂をよくよく理解している人たちがふざけ半分で再現してるっつーか。しかしどの造形をみてもまちがいなく「日本」そのものなんですよね。日本以外ではありえないっつうか。なんかふしぎなんですけどどれも日本で他の国ではありえないんですよ。でもこの「日本」はおそらく一般的な人からすると目を背けたいと感じるほうの「日本」であって、多くの日本人はオル太さん作品を単なるゴミとかガラクタとかにしか思わないだろうと思う。おいらがオル太さん作品をみに入った際に先客で白人のギャルふたりがキャイキャイ騒ぎながらその日の当番だったとおぼしきオル太さんメンバーから話をきいてましたけど、むしろ外人さんのほうがオル太さんのつくる「日本」に敏感に反応すると思うよ。あまりに卑近すぎるモノってその国の人間にはおもしろいかどうか、特有かどうかがわからないんですよね。すべての日本人が毎日「見ている」にも関わらず、実は「見ていない」モノのいいかげんなたたずまいを再現するふうな作風はちょっとおもしろい。あとナマの生物がいるあたりもちょっとポイント高いと思った。オル太さんメンバーのヒトが白人ギャルにコレナニ?って聞かれてドジョウの説明ができてなかった。ドジョウって外国にいたっけ?
えーとあと3階の展示がお肉屋さんから感じる秘密主義風というか微妙ないかがわしさを小学生の図工レベルの技術で超てきとうに再現したふうなモノでしたが、ブキミさよりバカバカしさをウリにしてるとはいえもうちょっと観客の生理的感覚に訴えかけるふうなリアル造形でもよかったのではーと思いました。肉がゼリー状の物体でできててだれもいないのにビクビク動いてる、とかさ。スパイっていうスリリングさで売るわりに作品から醸し出される閉店セール後の廃屋化した家屋的なうらさびしさがちょっと拍子抜けする。作品の方向が定まらないんでこっちの抱く感想も放逸になってしまう。
2階の人のはおいらの嫌いな模様かさねただけ系の作品でなにがいいたいのかさっぱりわからず。オナニーしたいんだったら家でやってろ。なんで閉じこもってる中のモノをみせつけてくるのか。客に語りかける気のないモノを展示しても意味なくね。超絶の技術ってんでもないし。鑑賞者をたのしませる気があるとは思えないよ。あとわざとかどうかしらないけど作品説明の紙が鉛筆手書きしたコピーって。PCくらいあんだろよ。時間貸しのとこだってあんのに。

クレージー黄金作戦はM成さんがおもしろいよーて言ってたのでいってみた。なんか植木等が代々続く寺の住職なんですが、バクチ運が強いらしくて集めてまわった寄付金を全額競輪に突っ込んだりする人で、ある日ひと山あてて寺に帰って来ると檀家さんらしき人々が植木等に託したカネをとりもどすべく集まってプンスカしてるというのに、ねーもんはねーよーとかふんぞりかえってメシかっこんでるのをみかねた会社社長が、ワシが借金全額立替えとくからウチの会社で働くんじゃ!とかむりやり社員にするものの、仕事中パチンコ屋にしけこんだりしながらそれらしく過ごしてたある日、パチンコ屋で会った外人さんに赤い丸いブツを渡されてはてな?と思ったらラスベガスのカジノのチップだということがわかり、あのテこのテでロス出張候補の人間とすりかわってまんまとアメリカ行となるわけです。そのアメリカ行の便には衛生省(糞尿くみとり船なんて昔あったんですかね)の議員と医者の谷啓も乗り合わせてくる展開でまあこのふたりもいろいろ事情を抱えてるわけですが、各々カネが入り用なことをいいことに、しょっぱなからベガスで儲けることしか頭にない植木等にうまくいいくるめられてベガス行を強行させられる。なんか忘れたんですけど3人共金がなくなっちゃって、ベガス行のバスが途中までしか乗れないからってベガスまでの道のり中にある広大な砂漠を3人して悪態つきながらフラフラになりつつ進むシーンがあってちょっとバディムービーっぽくてよかった。ベガスにたどりついたあとはガッポリ儲けるのとスッカラカンのくりかえしで、カラッけつになると谷啓を利用して自称金持ちのパツキンねーちゃんと偽装結婚さそうとしたり、日本でひき逃げされた外人さんから死に際に託された財宝のありかまでいったりといろいろあります。ぜんたい植木等のズルい小悪党っぷりがなんか宮崎駿のルパンっぽいキャラでよかったです。谷啓の純情な青年医師キャラもかわいらしくてよかったし。ルパンぽいといえば植木等につきまとうウンノツキコさんもどことなく峰不二子的なちゃっかりした小悪魔キャラ(オチが特に)でかわいいかったです。あそうそう、あと昔ながらの典型的ガハハオヤジな議員の風体がまんますぎてかえっておもしろかった。あそこまで真っ正面からギトギトの政治家やられるとかえって清々しく時代の落とし子として鑑賞できます。なんか御しやすそうですね。昭和まっさかりのオヤジたちって。 カネの使い方がおんなと酒と買収しかない時代だったんだなーとしみじみしました。ギャグ映画なのに議員の出自であるせんべい屋の女将の有様とかがなにげにリアルだった。1ドル360円の時代の日本てもう過去のものなんだな。なんか最近のことにも思える。なぜか。