一時の感情で地球上のシステムを破壊しようとさすことは悪とは言わないんですか?

『異文化交流とは本来苦痛がともなうはずだ。鳥肌がたつようなおぞましい食い物を食べ、セックスに対するモラルの違いを見せつけられ、どう考えてもそれは早々に止めるべきだとヒステリックに忠告したくなるような因習がある。「彼らとはわかりあえない。もう無理」と絶望したくなるような文化の絶対的な違いが人間同士ですらあって、21世紀にもなって揉めまくっているというのに、本当に障壁となるような文化の違いは最後まで登場することはない。ハリウッドが飼ってる安全印の異人であって、どんな臭いがするかとか(風呂は入るんだろうか)、虫は食べたりするのかとか、狩るのは地上の四足獣だけでなくて西洋人が愛してやまないクジラやイルカ型のかわいい獣も容赦なくぶっ殺して食べてるとか、そうした事実をまずまるごと知ってはじめて交流というものが成立する。

「すばらしく高貴で徳の高いカッコいい人たちだ」と他民族をむやみに褒め称える手法は、今にはじまったことではないが、それは「あいつらは臭くてバカで野蛮なモンキー」というレイシズムの単純な裏返しでしかなく、内に潜む差別意識を一時的にちらすだけの劇薬でしかない。異文化交流の大切さというのは「高貴で徳は高いけど、裏では理解しがたい変態セックスをする」とか「かわいらしい猫やイルカに石を百個投げつけて殺す虐殺祭りをよくやるけど、基本的には礼儀正しくて知的」という自分たちとはどうしようもなくちがうモラルを提示され、善悪の判別がつかないグレーな世界に踏みこむということなのだが。そういうのをまじめに取り上げていたら大記録ヒット映画にはならないだろうし、そんな重さは3Dアトラクション的な楽しみを削ぐことにもなるだろう。そもそも単純な善悪二元論を売りにしてきたキャメロン監督にそれを期待してもしょうがない。

一見すると異人種との交流を描いたリベラルな作品のように見えるけれど、物語の仕組み自体はなにかとつらいものがあった。あの安全で優等生でご清潔な異星人の姿を見るたびに、逆に他民族に対する畏れのなさや理解の浅さが浮かび上がってくるような。あの青い部族の人たちが清潔で優等生でなかったなら、あの主人公は彼らを助けただろうか。「一夫多妻制で、女を外出させるときは必ず布で顔や身体を隠させる」とか「イルカに似たかわいい動物も容赦なく狩り殺す」とか「教会に駆け込みたくなるようなロリコンマンガを描いてた」なんて文化があったら、案外あいつは粛々とスパイ活動を続け、軍の犬であり続けたかもしれない。しかし実際にはあんな優等生な異人がこの世にはどこにもいないから問題なのであって、とくにアメリカ人は「お前らのモラルや間違った因習には我慢ならない」と四六時中吠えまくっている。』

上記『』内は深町さんのアバター日記より抜粋したブツ。増えすぎて悩みのタネになってるドーブツをおいしくいただく人を非難する声が寄せられたそうですが、なにかというとドーブツをかわいそうがる風潮ってポンニではいつごろからはびこりはじめたのかね。大昔はこんな当たり前すぎることに文句つける人とかいなかったのでは。まあ犬をヒトより上としたまぬけな人はいましたけど。「人間の都合で動物たべるなんて身勝手な!」て野生のドーブツだって身勝手にいろいろ食い散らかして生きていますし、勝手にその地域にもちこんで増やしたのが悪い!てのもてめえそこの地域に住んで事情しってんのかよとしか。どうも「動物駆除」にイチャモンつける人の意見はどれも一時の感情から派生した幼稚なヒステリーでしかないもようですが、実際には「動物や自然をかわいそうがる自分」が大事なだけで、現地までいって環境改善に尽力とかは決してしないっぽいんだよな。そもそもヒステリーぶちまけるのは達者ないっぽうでドーブツをオモチャ扱いして当然みたいな考えのガキが続出してるようすっぽいですけど。こういう場合はどうしたらいいんですか?って善人ぶる目的でヒステリー言いふらすババアに聞いてみたいものです。ポワーンとした目の中学生をカワイソーがって大量にブランド子犬を買い与えるのかなやっぱ。

子供への虐待がふえたり結婚する人が激減してるのは子供への不信・異質な存在への否定(おとなが子供に対して不信感もって接してたら、ふつうは子供からも信用されなくなるんじゃないかと思いますけど。つーか持ち物とか部屋とか探るような奴のことをどうやって信じろと)と「個人の幸福を追求しすぎてる」のにくわえて「苦労を受けとめる覚悟」を避けるがゆえにでは、みたいなことを先日カキましたが、子供を守る立場の人が子供を信じられなくなってしまうのって、手のかかる乳幼児の時期にいつも世話してないと!的な必死さのタガが外れた暴走状態なのかなーとも思う。親の庇護観念がいきすぎて子供の独立心や個性の尊重を阻んでるというか。周囲のいうことに従ってさえいればホメられるんだ、とばかりに他者の言いなりになりっぱなしの(「良い子」として通ってる)子供は「自分の欲求」とか自発的な意志を自覚しないままの操り人形になってしまって、つねに自分以外のだれかからの評価がないと不安で生きていられなくなってしまうおとなになってしまうことが多いそうですが、漫画が!ぜんぶ漫画のせいだ!みたいな意見に同調する人がけっこうでるあたりからしてポンニの親御さんは子供を自立さすことと庇護すべき部分との兼ね合いや案配がへたくそな人が多いのかなあとちょっと思ってしまう。育てたことないからしらないけど。親御さんの「子供が自分の期待から外れるのが許せない」みたいな気持ちは子供の成長を阻むことで虐待だって母子手帳的なものにちゃんと書いてあんのかな。ガキに国ぐるみで栄養偏った粗末なモノしか与えない昨今だけになにげに不安。貧相な給食だの小児科枯れ地獄だのの風景みるたびに子供たちをちからいっぱい邪険に扱ってるふうにしか思えないんですが。子供まもるためにエロ漫画なくせってどう考えても現実のガキどもにゃさっぱり関係ねえこったろ。みてくれだけ取り繕って本質改善しねークソども。こんなやつらに権力者が踊らされてるとこをみるだに本よまないアホなババアとまったく同レベルなんだなとつくづく思う。子供ふやさなきゃ、ってときに「エロ漫画が!」ってなんの効果もないことに血道あげるヴァーカ。
気に食わない相手を敵扱いして正義ヅラしたいだけってわからなくはないですけど相手を消したところで問題が解決するわけじゃないのにね。

ゲンダイ(笑)の常套手段みたいな「異質な相手を頭ごなしに否定して正義ぶる」風潮はそろそろ改善すべきですな。いまのポンニってけっこう差別が蔓延してるふうに思う。不景気だとどこもこういうふうになるもんなのか。