「子供の買ったかわいい表紙の本がエロだった」って20年前から同じ文句なのな

『いまだに教団に居続ける、あるいは脱会しても信仰を続けたがる人を追求していくと、彼らは必ず最後にこう言います。
「だって、そうしないとなぜ生きているのかわからないんだもの」
 そう言われると私も何を言っていいのかわからなくなり、それ以上追求できませんでした。でも、最近ふと思うことがあります。生きる意味がわからないからといって他人をおとしめて、それを救うふりをして優越感に浸っていいのだろうかと。他人の心を支配することでしか存在意義を見出せない彼らは他人を傷つけたり、惑わしたりしないでは生きることができないのかもしれません。
 もしかしたら彼らは救済活動をしていると思い込むことで思考を、良心までをも停止させているのではないか、と感じることもあります。』

上記『』内はこれのp.51-52からの抜粋です。あれーこんなところにエロや凄惨を理由に漫画やゲームを弾圧する人たちのことがわかりやすく書いてあるー!と思ってのせました。これのp.308に『かわいい女の子の絵の表紙を見て子供に買ってあげたら、ポルノだった。けしからんという内容の投書が載っている。中身も確かめずにA5判の高い本を子供に買うというのは嘘っぽく、タメにするための投書だった可能性もある』ていう1990年あたりからはじまった特定団体からのエロ漫画弾圧運動の流れが書いてあるんですが、でもエロものが増えてきたあたりから性犯罪は目減りしてるっぽいんですけど、そうするとエロ創作物の弾圧ってお門違いの役立たず運動なんじゃないんですかね。「有害」とかいうのも完全にいいがかりじゃね。社会的になんの役にも立たず、自国文化はおろか新しい才能を持った人間を否定し潰すような悪しき思想運動への追従は即刻やめるべきです。権力者ならなおさら。このような他者否定のヒステリーに駆られた団体が政治家のもとへ陳情に押し寄せると、その政治家は早いとこ追い払いたい(&票がとれる)一心で連中が納得のいくようなお墨付きを与えてしまうのではないかと思う。イノセやイシハラ、もしくは自民公明党といった漫画弾圧に加担している連中はハラの中ではその弾圧がまちがってるとわかってはいるのかもしれないけど、いろいろな理由でいまさら取り消せないんでしょうね。町のガキんちょどもから「王様すっぱだかだ!」て笑われてるのに、裸じゃない!裸じゃない!って「頭のいい人にだけみえる服」をもってくる詐欺師にすがりついてマッパの自分から目をそらしつづけてる哀れなクルクルパーっつーか。 結果的に日本でしか公でつくることのできない貴重な自国文化の弾圧に加担するような事態に陥ってしまうと。そもそも「字で表現するのは良くて絵で表現するのは犯罪者」って絵で表現する才能をもって生まれた人に対する差別だと思うんですが。この世のすべて、どんな場面、どんな性癖も、だれもが描け、読めるのが真の文明国だと思う。あの性癖は許されてこの性癖は重罪人?そんなおかしな「正義」があるか。
社会的になんの利益ももたらさない思想団体のいいなりになって、文化の多様なありさまを蝕まれるようなことがあってはならないと思う。これが数十年前から続いている上、 権力者までまんまと洗脳されてしまっている(タマヒメさん経由)というのは恐ろしいことです。青少年育成条例という名治安維持法って実は言い得て妙かもよ。とりあえず「児童」に該当する年齢のヒトたちが子供から漫画よむ権利を取り上げることをメシのタネにしてる団体の件について政治のえらいひとに直接質問しにいったりすればいいと思う。あと一部の漫画家から漫画を描く権利を取り上げて路頭に迷わすような法律についてもしっかり聞くんだよ。まーキリスト教系の人がガキをタネにするのはいまに始まったことでもないからわからなくはないですけどひどいはひどい。

ところで下記『』内は2010年4月28日の朝日新聞D-1〜4面に載ってたブツですが、親が子供への命令でしかない行いを愛情とはきちがえてしまいがちな件とか、頭ごなしに漫画やゲームを弾圧する連中の精神状態を彷佛とさせることが書かれていましたのでのせておきます。岸見さんの主張としては「上から目線じゃなく子供もひとりの人間として尊重することが大切」って意味だとは思いますが、最近トレンドの化物親は「上下をつけちゃいけない」の部分だけを超曲解して「徒競走で順位をつけない」的な極端なバカやりだすから手がつけられんくなるんだろなあ。同じように「親はガキのやることに介入すんな」てあたりでもガキを小部屋に閉じ込めだしそうですが、前にテレビでやってましたけどなんか偏差値高い学校受かる子は自分の部屋にこもらずに、居間で家族としゃべりながらいっしょに勉強もしてる、みたいな環境でしたけどね。あと畑村さんの成功話より失敗するまでの物語のがウケる件は、映画でも主人公がドツボ的な展開になったほうが断然みごたえがあることとなんか通じるモノがあるのかなーとのせました。映画とかで成功にあたるハッピーエンド的なモノみせられると「そんなんウソだろ」ってさめちゃうんですよね。ココロに突き刺さる度からしたらヒドイ有様のがぜんぜんものすごい。

『一般に、子育てでは「褒めて育てること」がいちばんだとする声が多いのですが、アドラー心理学では褒めることを認めません。
 たとえば、子どもが家事を手伝ってくれたとき「偉いわね」と褒める母親がいます。しかし、自分の夫が家事を手伝ってくれたとき、同じように褒めるでしょうか?おそらく「ありがとう」と感謝の言葉を述べるはずです。
 褒めるという行為は「能力のある人が、能力のない人に下す評価」であって、親は子どもを自分より低く見ているから褒めるのです。しかし、本当は大人も子どもも対等な存在であり、上下ではなく「横の関係」を築くべきだ、とするのがアドラー心理学の考えです。もちろん、子どもは身体的にも大人と違い、経験も十分ではなく、知識の量にも差があるでしょう。大人と子どもが「同じ」だとは言いません。「同じではないけれど対等」なのです。
 先の「ありがとう」のように、対等な立場から声をかけると、子どもは自分が世の中に貢献できていることを実感します。自分にはそれだけの能力があると感じ、課題に立ち向かう勇気を持つようになるのです。
 また、アドラー心理学では「それは誰の課題なのか」ということを重視します。ここは親として非常に難しい話だと思いますが、受験にせよ勉強にせよ、本来それは子どもの課題です。子どもが自力で取り組んで、自分で解決しないといけない課題であって、親は介入してはいけませんし、そもそも介入できないのです。
(中略)
 教育熱心な親たちは決まって「お前のためを思って言っているんだ」と言います。しかし、本当に子どもを尊敬し、本人のことを思っていたら介入などできないはずです。子どもの課題に土足で介入していく親は、明らかに自分の目的を満たすために動いています。子どもたちはそれを見抜いているから反発するのです。
 ですから、まずは「それは誰の課題なのか」をはっきりさせ、子どもの課題については「こうしなさい」と指示しないで、「あなたはどうしたいと思っているの?」と本人の考えをたずねてほしいのです。
 また、親は自分の頭の中で「理想の子ども像」をつくり、そこから引き算するように我が子を評価しがちです。たとえば、テストで60点をとってきたら悪い点だと思う。これは100点を基準にしているからそう感じるわけです。ここで強く叱ってしまうと、子どもは勇気をくじかれ、課題から逃げ出すようになります。でも、0点を基準に考えるなら、60点も立派な点数ですよね?子どもを引き算で評価することなく、ゼロを基準にスタートする意識を持ちましょう。そうすれば、日々の小さな行いや「ただそこにいる」ということに感謝でき、自然と勇気づけの言葉も出てくるはずです。』(岸見一郎さん文より抜粋)

『もう30年以上前になりますが、東大で教壇に立った当初、私はどんな指導方法をとれば学生の興味を惹き、学生の想像力を引き出せるのか悩んでいました。そして、なんとなくエンジニア時代に大事故の寸前までいった失敗談を語っていたところ、学生の態度が一変していることに気づきました。普段は退屈そうにしている学生が、目をキラキラ輝かせ、身を乗り出して聞いているのです。なぜか?彼らは大人の語る「うまくいくための能書き」には飽き飽きしていて、むしろ「失敗するまでの道筋」を知りたがっていたのです。
 学生は「自分もいつか失敗するに違いない」と恐れています。でも、失敗がどんな形でやってくるのかわからないし、誰も教えてくれない。大人たちは成功体験は語るけど、自らの失敗は語ろうとしません。
 本来、失敗経験を通じて新たな道を模索した先に「創造」があるのに、日本の家庭や教育現場には失敗そのものを否定する、悪しき正解主義がはびこっている。
(中略)
 子どもの失敗に対して、親ができることはあまり多くありません。
 失敗に打ちひしがれた子どもたちは、半分うつの状態にあります。生きるエネルギーがギリギリまで消耗している状態です。そこに励ましの言葉をかけても、余計にエネルギーを消耗させるだけでしょう。親にできることは、とにかく休ませること。子どもを信じて遠くから見守ること。おいしいご飯を食べさせて、物理的にエネルギーを回復させること。それだけだと思います。
 人間が本当に孤立したとき、家族は、ものすごくありがたい存在です。気の利いた言葉ではなく、そこにいるだけで十分なのです。』(畑村洋太郎さん文より抜粋)

『どんなに実力があっても それを認める環境がなければ才能の開花はない
 どんなに姿かたちを変えようとも
 人間の根底にあるものは変えられない
 「神の前に人間は平等である」…
 理屈だけが宙をさまよっている
 これだけ世界が発展しても人間はちっとも進歩しちゃいない…』(まんがで読破 精神分析入門 夢判断のp.20より抜粋)