本音を言われることがないのはそれだけ軽んじられてる証拠です

本来的にスパルタ王や兵士や国のいずれかに真に敬意をもっていたらどんな役回りでもよろこんでこなしたはずなのに、自分の要求を受け入れなかったスパルタ王に怨みを抱いて敵方のペルシャ王の手下になってしまう300の奇形児の人は「スパルタ軍兵士となって戦場で活躍する自分」という妄想を実現したいだけだったんでしょうな。「補給や死体の片付けなんて地味な裏方やってられっか。俺だってカッコいい血に飢えた戦士になるもんね!」「そうだ我が子よ!おまえは天才だ!奇形なんか関係ない!その突きは千人殺せるぞ!」みたいなカンジで、親御さんはおそらくこの奇形児の人に現実的な厳しさに極力直面させないよう、意志をすべて尊重しながらひたすら褒め殺す形で愛情という名の甘やかし教育をしてきたのだろうなーとちょっと思いました。それってスパルタというかレオニダスの精神とは真逆のもので、奇形児さん談からして親御さんは元スパルタ兵士の方だそうですが奇形児さんを育むと決めた時点でスパルタの精神もすべてなくしてしまったんですね…。褒めそやし甘やかしで現実からかけ離れた戦士コスプレ妄想を焚き付けるんじゃなく、スパルタの魂とか敬意について仕込んでおいてたら王から何を命じられても誇りをもってこなす気高い人になったろうに。そもそもその出自や存在がスパルタの精神から外れているんだから戦士に加わるよう教え込むほうが間違ってるような。

ところで今日のサンジャポこの人のことを天才とかいって取り上げて克つ「最高に泣ける歌」みたいに紹介してたんですが、肝心の歌が便所の神様の歌とちがってビタ1文こころに響かなかった。メロディが同じ調子、歌がヘタクソ、致命的なのは歌詞がつまらない。出来事を羅列するだけで他人のこころを動かせると思ったら大間違いだよ。自分の体験した元ネタをどういうふうに表現すれば万人の心を動かすか、が歌や物語にたずさわる人の仕事のしどころであって、自分がどれだけ不遇かとか不幸自慢なんて誰でもできるしやりだしたらきりがねえ。プロの意識のないお子様が「あたしこんな目にあったんだよ!ヒドイでしょ!カワイソーでしょ!涙ながしてお金ください!泣けこのヤロー!」て悲惨な境遇で客寄せして通行人にすがりついてるかんじ。境遇売り以外であの子がどこまでできるかみものですね。サンジャポもあの子のライブみにいってる連中も「ひどい境遇」ていう題目に対して自主的に批評封じしちゃって甘っちょろい共感的なコメントをごにょごにょつぶやいてるだけで気色悪いったらなかった。「こんなひどいコトされたのー!だからこの歌すごいでしょ!」て叫んでまわってる子に心の中ではうわヒッドイ歌…とか思いながら「わあーすごいうただねーかわいそうだねー泣いたー」みたいに口先でお世辞棒読してるカンジっつーの。あゆみちゃんさ、あんたバカにされてんだよ。甘やかされてる子は周囲が嘘ばっか並べてる時点でバカにされてる=人として尊重されてないって気づこうね。有名人の親の名前を大々的に威光にしながら芸能界デビューしていつのまにか消えてく子も。

「悲惨な境遇だから」「難病だから」みたいにお涙頂戴ネタを掲げて作品としての批評をさせづらくする手法って、子供を守ると称してなんの罪もない創作物を弾圧する連中のやりかたそのものですねー。実際には子供を守ることとは関係がない規制(むしろ読み手や将来の描き手である子供の権利を剥奪するもの)なのに、この規制に反対する連中は子供に害をなす連中です!みたいに敵×味方・善×悪の図式をつくりだして何も知らない市民にイメージ植え付けるやりかたっつーの。自国文化潰してまでしてカネがほしいかね。キリスト教の7つの罪の全部の要素をちょっとずつ踏襲してるよな。ぜんぶの罪の人はどのへんの地獄へいくんだろう。