慣れた価値観を捨てないかぎり「みたことのないもの」は手に入らない

制服姿の女子高生の方でたまにみかけるんですけど、あるがままの体つきで堂々としているさまがすごく好きだ。彼女としては世の中で見聞きした誰かや何かをお手本にしているのかもしれないけれど、すくなくともテレビでみたあの人みたいに細い足にしようとか「モデルみたいに」「タレントみたいに」とかの環境に隷属しすがりつくための強迫観念によって本来もっていた個性が駆逐されてしまったところから派生している価値観とは無縁の、あたしはこのからだでいい、これがあたし自身、という既存の価値観とは距離を置いた強さがにじみ出ているしっかり肉のついた体つき。 単に年齢的な純真さから派生したものであって、もしかしたら彼女はこれからそういう価値観に染められてしまうかもしれないけれど、どれだけ年をとってもだれもが自分に対してああいう自信をもったまま毅然と生きてゆけ、他者に対しても自分に対するのと同じように尊重していける状態になればいいのになと思う。

昨日はグリーンゾーン(新ピカ)→冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(武蔵野館)→9(新ピカ)とみまして、グリーンゾーンは戦争の原因になった「大量破壊兵器」をイラク戦争がはじまって数週間ほどずっと探しまわってた米軍兵士のマットデイモンが、あまりの大量破壊兵器のみつからなさと情報の間違いっぷりに上官に意見したところ一蹴され、さすがにおかしいと思ってたところへ同意見のCIAの人とか、イラク市民のヒトからのタレコミとかが重なって大量破壊兵器がいっこうにみつからない理由に肉迫してゆくスジ。なんで大量破壊兵器がみつからないのかというとフセインがとっくのむかしに全部廃棄したからで、でも「イラクという敵に攻め込む」というわかりやすい勧善懲悪物語があるとブッシュの米国民からの支持がものすごく高まるので、アメリカ制圧後のイラクのリーダーになる権利と交換条件で「大量破壊兵器を隠し持っている悪いイラクをやっつける善のアメリカ」という大々的な嘘の筋立てを世界中に喧伝して戦争はじめることをフセインに容認させた裏取引が行われていた、というのが真相なんだとか。なんかもう…メンツや自分の権力欲だけ満たすのが目的のブッシュの能無しっぷりが、優秀であるはずの官僚たちに隅々まで行き渡ってしまって、真実から目を背けさせることばかりに邁進する悪の手先と化してる感がよく描けていました。指導者がバカだとそのバカがどんどん広まって国が滅んでくさまがありありと。ブッシュの政策にはすごいところもあったなんてこういう映画みるかぎりではまったく思えない。相当数の人命が関わってるのにメンツにこだわるとか他人の国をなんだと思ってんだ。イラクはてめえのオナニー道具じゃねえぞ。 しかもイラクだけじゃなく米国民もバカにしたんだよ。単純なウソでだませる烏合の衆として見下してたんだよ。他者を敬うもクソもあったもんじゃない。自分以外は全部都合のいい道具にしか思ってないよブッシュは。グリーンゾーンにもどしますが、戦争後のイラクの指導者として、現地駐在が長いCIAの人はフセインを追い出したあとに残ったイラク軍に政権を渡せばイラクは落ち着くと再三主張してたんですけど、ブッシュ側からしてみれば「悪者として叩き潰した相手に権力を与えるなんてカッコ悪いことできるか」みたいにイラクの将来よりも自分たちのメンツや表面的な正義の味方ストーリーにみせかけることにばかりこだわっていて、結局イラクの人からしたらどこの馬の骨だかわからないおっさんを「これからこの人がイラクのリーダーです」とかブッシュ直属の人が連れて来るんですけど、いろんな部族があるイラクがポッと出の馬の骨に治められるはずもなくどんどん混乱が増してって今に続く内戦状態に陥ってしまうわけです。結局イラク戦争勃発の原因とされたでっちあげ情報喧伝を黙認したフセインは交換条件を守ってもらえることもなく、悪人として断罪されることになってゆくという。300で意のままにならないスパルタ王をペルシャ王が懐柔しようとして、最初に甘い言葉で権力の座をちらつかせたあと、それでも従わないとなると今度は暴力的な脅しをする手のひら返し的な交渉をしてきますが、なにか交渉ごとで「おまえに最高の権力を与えてやる」的なことを持ちかけてくるやつは信じちゃいけないはガチですな。権力を与えてやる=「俺以下の地位をくれてやる」ってことで、どんな命令にも従わなきゃならない=死ねといわれれば死ななきゃならないってことですので。「オレのものはオレのもの、おまえのものはオレのものでおk?」て対等ですらない条件であって本来的に交渉にならないたぐいの不公平すぎるものです。しかしブッシュは人気取りのために他国をさんざん蹂躙するようなひどいマネしといてよく殺されずに済んでるなあ。テロのひとは本書いたり諷刺漫画つくった無害な人に殺害予告だす(←こういうのイラクという国にとってはマイナスだよ)よかああいう真のクソをどうかすべきなんじゃねーの。まあ殺しちまったら謝罪もさせられんからジャーナリスト的な人が今のイラクをどう思ってんですかッ?!みたいなインタビューしにいったりとかさ。しかし混乱してる中の国に儲けや権力目当ての利用目的で群がる輩の多さときたらたいへんなもんなんだろうな。心身共に傷ついてる人のとこへやってくる保険屋や拝み屋と同レベルの最悪のハイエナ連中だ。ラストでフセイン側近に死をもたらす人じゃないけど、イラク市民のひと的には権力者がコソコソ密談した挙句国に混乱をもちこまれる事態にそうとう嫌気がさしてるんだなあとしみじみしました。あと、いきなり民主化してもだいじょうぶな国とそうでない国がある、ということは最近になって知られてきたことなんですかね。ふつうに考えて市民間に教育が行き届いていないところで民主主義どうこうとかいっても意味ない気がしますけど。

トーさん映画は娘の家族を皆殺しにされた父さんが、泊まったホテルで見かけた殺し屋に娘殺しの犯人を探し出して復讐することを依頼するというスジ。この父さんは兵士だったころに受けた弾丸が原因で記憶を失ってゆく症状もちで、復讐の内容や依頼した殺し屋の顔を忘れないよう、たびたび写真にとっては名前を書いて持ち歩いている。復讐の依頼を受けた3人はこの父さんの素性をしるにつれどんどん親身になってゆく。やがて実行犯と依頼者をつきとめてゆくと同時に父さんの記憶もどんどんおぼつかなくなって…みたいな展開です。とりあえずスジがどうこうよりトーさん映画におなじみのシーンが楽しめるひとにはもう隅々までたのしいですよ。とりあえずいちばん臓物的にすきなのが父さんが殺し屋3人を娘一家が惨殺された現場である家へ連れて行って、そこで殺し屋3人が銃撃痕から犯人を推測しているところ、その間に父さんが娘の買い置きで料理をつくって3人の殺し屋にふるまいながら、銃を組み立てる素早さを競うところとか、父さんと殺し屋それぞれに同じ熱い血と深い情が流れていることが確認されるシーンが泣いてしまった。あんなあったかいシーンない。それに3人の殺し屋御用達とおぼしきガラクタ商ライクな武器屋でためし撃ちされる自転車の不自然すぎるコミカルさとか、あとは実行犯3人にそれぞれあたたかい家族がいるところ。主人公側も、敵対する側も、等しく同じ者―殺しを生業にする以上は自分が殺したように殺されてしかたないという覚悟がしっかりできている、心身共にプロである者ーのブレのない振る舞いから醸される散り際のさわやかさ。この物語中でぶざまな者といえば、だれとも対峙することもなく、安全な高みからコトを済まして卑怯にニヤつく組織のボス、サイモンヤム(よいヘンタイっぷりでしたね)ひとりだ。かれにとって自分以外は「同じ」人間ではなく使い捨ての道具であって、そのように考えるかれの体には冷えた血が流れている。復讐を誓った父さんの殺意は、結果的に熱い血の1滴たりとも流れていない者に向けられる。そして、重荷でしかなかったはずの記憶障害は、父さんにとってのこれ以上ない報酬となるのだった。たとえ記憶を失っても、熱い血さえあれば必ずそこへたどりつける。そういう映画です。

9か。あの人形たちの生活風景をだらだらとみていたいくらい道具立ては飛び抜けてとってもいい。でも「悪」側が恐ろしいけだものの姿をしていて、「善」側が人型でかわいらしい、というのはどうなのかな…。人形動かし映像の人が影響を受けた人としてシュヴァンクマイエルクエイ兄弟がよく引き合いにだされるけど、かれらはすべてどこかしらおぞましさをもった者たちのいとなみを描いていて、間違ってもきれいな見た目を「善」とか汚れた見た目を「悪」とかしないよ。アリスもだったけど、ティムバートンが関わってる最近のモノはどうも「きれいが善」な構図がでてきてハナにつくね。せっかく造形はふたつとないものなのに、設定が手垢にまみれた大量生産のアレで残念。「味方と敵」構図は未知の人外世界を描くには安っぽすぎる気がする。質量が釣り合わない。

「たくさん売る」と「みたことのないもの」は磁石の反発する組み合わせだな。