創作物ぎらいの児ポ師連中に「名作」よませて創作物や才能を断罪できるほどの高度な読解能力があんのか確かめる企画やってください

キリストの名を冠した団体創作物弾圧に加担して正義ヅラしてるようですが、なんていうか神をてめえらの都合のいいようにコントロールしてる時点で最高に不謹慎ですね。マジに神を敬ってるひとはそんな失礼なことしねえだろ。神が漫画を否定・弾圧しろと言ったか?カルト政党(←「摘発数は過去最悪を記録」って「ポリが検挙対象を広げた」ってだけで事件が増えたわけじゃないですよ。念のため)が「ポルノ」のレッテル貼りしてまで目障りな漫画やゲームを消し去ろうとするのって、何もしらない市民を片っ端から「異質な存在を容認できない幼稚な考え」に染め上げて稼ぎも権力も意のままに手にできるように操りたいからなんだろ?全員が同じ考えじゃないと安心して生きられないってナチスに洗脳された人とまったく同じメンタリティですね。なにがなんでも自分らのいうとおりにコトが進まなきゃ存在意義がゆらぐような集団のいきつく先は集団自殺だぜ。公明党に踊らされて署名してるおばさんたちは子供の個性や才能の否定に加担してるんですよ。どうもネッツやらない一般の方ほど「児ポ」名のつく規制を単に生身の子を守るための決め事とか思い込んでるようですので、本来ならテレビや新聞で「創作物が弾圧されようとしているのだ」と事実を大々的に喧伝すべきなんですけど、なんか世の中で発生している問題を漫画やゲームのせいにしたい人がテレビや新聞の世界にたくさんいらっしゃるようでカルトの肩をもつ的な報道しかされないのがなんともはがゆい。そもそも実際には踏みつけにしてるうえ性教育すらろくにできてない連中がどのツラ下げて「漫画が諸悪の根源」とか言えるのかね。
 
・昨日町山さん番組で紹介されてたサーフワイズで、キャンピングカー暮らしのサーフィン大家族のお母さんがウチの家族の尻の穴は全員ピッカピカよ!とか豪語してましたが、その理由として出されてた「せまいとこに暮らすしかない=清潔にしてないとそこにいる人みんなが不快になる」はまさにポンニで公衆風呂が昔っから根付いてる理由そのものだなーとしみじみしました。つーかサーフィン大家族でヤバいことっつーたらてっきり戸塚ヨットスクール的なアレなのかと思ったら、親御さんがちょっとキビしかった程度のアレなんですな。割れたボード使わせられてた子の脇腹にある日刺さって腸がでちゃった話とかけっこう壮絶でしたけど。しかし『キャンピングカーの上階で毎日欠かさず父ちゃん母ちゃんがセックスしまくってて、俺たちは女の子との出会いもないっつーのに「セックスはイイぞー!(by父)」みたいに聞かされ続けて欲求不満すぎて地獄だったんだ…』みたいな息子さんたちの告白で「次回へつづく」って引っ張りかたはすごくよかったです。つーかさ、基本的におとなの生ファックを児童が毎日のように見聞きしてても情操にはなんの影響もないって証明されたようなもんですよね。パスコヴィッツ父さんが愛情もって厳しく育てた恩恵も手伝ってはいるんでしょうけど。中年になった元お子さんたちはしっかりしたおとなになってる様子でしたし。なにしろ親がしっかりしてさえいれば子供がなにをみようとなんの影響もないものです。ただ確実に気分はよくないとは思う>父母のまぐわり見聞き。
 
・ここ最近の鑑賞状況としては第9地区(4日。丸ピカ)→タイタンの戦い(ミラノ3)→フェーズ6(シネマスクエアとうきゅう)→ウルフマン(5日。上野東急)→アリスインワンダーランド(上野東急)→某病院(13日)→絵バカ(昨日。飯田橋ミヅマ)で、ミヅマのはちかいのでチャリでイッてみましたが、インド料理屋並びの1階がコインパーキングになってるとこの2階なんですけど、とりあえず神楽坂もちかいことですしあの周辺にご用のある際はついでに立ち寄ってみると吉な施設です。とりあえずペキンでシコシコ描いてたという、リーマンぽい人たちがオフィス機器と混じってゴミ山ライクに廃棄されてる絵が目当てだったんですが、微妙に未完成とのことでまぢかでみると仕上がりはユルかった(鉛筆下描きの上から細いサインペンぽいので主線をまばらになぞってあったり、ところどころ色を薄くぬってあったりぬってなかったり)です。あれでひとりひとりの表情も描いてたらマジビビるけど、まあそうゆう優等生的なお仕事は同年代くらいのほかの人にまかせときゃいいのか。遠目からみるきれいさと圧巻さをたんのうするが優先な作品つーことで。あの作品は人をゴミ扱いする企業に飾ってあったら光るだろうになあ。むしろ渋谷駅構内とか通勤ラッシュの激しい新宿駅とかに飾ったほうが活きるかな。渋谷駅といえばよくみずに帰ってきて実家でアッーと思ったんですが、絵バカ入り口のすぐ脇の壁に生物多様性がどうこう〜!!とか叫んで金属バットふりまわしながら生き物を撲殺しようとしてる人の絵があったような気がする。あれはびとんが豊作系列の作品ですな。ああいう一発ギャグみたいな作品ばっかし数百点ならんだ展とかおもしろそうですけどね。むしろ美術館みたいな限定空間じゃなく、やっぱり渋谷駅の岡本太郎壁画前とかにズラーッと並べて全員コレみときなさいのがいろいろひろまるか。キャッチーで一般市民むけなノリだし。キャッチーで一般市民むけなノリといえばミヅマ入るとといきなりよかまんという美大生マン出し全裸踊り映像がタレ流れてるんですが、映像中の井上さん編はひんぬー好きの殿方ならふつうにオカズになる可愛らしさです。頬をポッとほんのり染めているところとか確実です。ちょっとだけ差し挟まれるよかちんはただのよっぱらったオヤジにしかみえなかった。尚、このような公然わいせつ的なブツを作成していながらも当人はいたってふつう人間とのことで、出くわしてもあんましむちゃやらないでおくが吉っぽいよ。
黄金週間にみた映画ですが、第9地区はいろんな方の評よんでいろいろ思い直してから再見したら「宇宙戦争以来の宇宙人作品の金字塔かも…」とかよぎりだしたりしました。主人公のヴィカスさん(フレンチ人ぽい名前とか、フレンチ人ぽく発音される「エムニュ〜」のイヤミったらしさったらない)がエビ星人汁をビシャアって浴びてエビ星人になりかかって、もとにもどりたさのあまりに善良なクリストファージョンソンさんを再三裏切るシーンも「エビ星人化じゃなく仮に芋虫になっちゃうとかだったら」て考えると我が身かわいさに他者押しのけちゃう必死さもうなづけるものです。宇宙戦争は文明のずっと発達した宇宙人が来襲したことで人間が食物連鎖の頂点からたたき落とされ、弱肉強食という極限状況下で平和なときにはひた隠していた薄汚れた人間の本性がどんどんむきだしになってく作品で、ここでは「宇宙人」というキャラがその存在の前では卑小でしかなくなる人間を描くために絶対的脅威として描かれていたのに対し、第9地区では人間が異質な存在に対してさんざん繰り返してきた仕打ちを一心に浴びてしまう的な「非差別的存在」を集約した、徹底して弱者とされてしまうキャラに設定されていて、ヒフの色や文化の相違による嫌悪感と「虫や動物だからなにをしてもいいだろう」的な傲慢な心を人間に引き起こす外見をしているところ、それに付随する根拠のない偏見・迷信にともなう願望・欲求を満たしたいがためにいともたやすく犠牲にされてしまうところ、宇宙戦争では圧倒的強者の前に恥ずかしげもなく虫けらのような生き様をさらすのに対し「なにをしてもかまわないもの」を前にした人々が誰に言われたのでもないのに残虐さを自ずから披露しはじめる。出会った相手が自分とくらべて(強弱とわず)生物としての圧倒的な差があるほどに人間のけだもの性もでてきてしまいやすいという。なんつーか若いときのシュワルツェネッガーみたいな種族が、ウッディアレンみたいな種族の済む国をみつけたらどうするかっていう。もしくは500倍のシュワルツェネッガー族がウッディアレン族のすむ星にある日いきなり降り立ってきたらどうするかとか。宇宙戦争にしろ第9地区にしろ人間の薄汚れた(もしくは勇敢な)本性を描いてる、という点では同じなんですけど、発端となる宇宙人が真逆の扱いかたをされてるあたりが興味深いものです。第9地区は続編つくるとしても1作目と同程度の人間けだもの描写がなければクオリティ保てなくなるっつーか趣旨のまったくちがう作品になっちゃうでしょうな。後半の宇宙船起動後のアガるかんじとかもすごくだいじだし。
架空キャラ話でも人間が描けてなきゃリアリティなくなっちゃうといえばフェーズ6はゾンビ病蔓延後の世界でいがみあう男女のもようを追うモノですけど、正直ゾンビシーンなさすぎだし地味すぎる。ゾンビ撮る気ないなら人間間のサスペンスをもっと濃縮してよ。娯楽感が薄すぎる。ロメロがいかにバランスがいいかがよくわかりましたよ。
タイタンの戦いは思ったほどひどくはなかったですけど、CG戦闘映画の300とちがってちっともアガらないですね。サムワーシントンすきなんだけどな。アンドロメダって主人公と結ばれなくていいんだっけ?ウルフマンは噛まれたベニチオがベッドに腰掛けてるとこと、精神病院での拷問がよかったです。ああいうの執拗にみせてくれたほうがコワイが増すのに。なんか監督さんは残虐のとこで辛抱たらん気がする。客はそこがみたいんだって。ベニチオデルトロのこわい役ってすきなんだけどな。もっと震えあがらせてくれよ。アリスはなんか……血のでないバートンは市販のアメ玉なんだなーと思いました。つーかストレートなスジにしたらアリスやる意味がなくねーか。アリスの持ち味って例えば「決闘→戦闘→勝敗決まる」っていう一般の人の想定する展開がはじまった途中で突然お茶の時間がはじまってテーブルマナーにきびしくなったり、剣を交えてる最中に洪水にのまれてみんなキャーキャー水遊びしだしたり、まじめな会議の最中に個人的性癖に没頭しはじめたりみたいなナンセンスが命なんであって。「おとなになりきれない女子がふっきれて成長する物語」byアヴリルラヴィーンてなに。まさかこの後におよんで異常な姿をしたキャラさえ出せば異常な世界を描けるとでも思ってるのかバートン。シュヴァンクマイエル先生ならなんの化粧もない素のジョニーデップでアリスの異常世界を完璧に再現できるぞ。ガキむけだからってなめた作りすんのもいいかげんにしろ。ディズニーに懐柔されたのか?ちょっと見損ないそうだ。