存在するものの姿をあるがままに見ることができないひとたちへ

みたことのないものとは、おぞましいものだ。姿形が正視できないほどおぞましいからこそ隅に追いやられ、大多数の目には触れにくくなる。そうして隠されたものには同時に手垢にまみれることのない真新しさが備わることになる。ときが経てばそれまでとは全く異なった視点によって陽のもとに引き出されるようになるかもしれない。「ひとつの見方しかないもの」などこの世には存在しない。どんなたぐいのものにも、別の視点によって見出される可能性を秘めている。 だからこそ、隅に追いやられるようなモノはそっとしておくべきなのだ。みたことのないものに耐えられないような人の稚拙な意見を元に「おぞましいと感じるもの」を禁じる法律なんか作ったら、無菌状態にさらされた社会や国そのものがどんどん脆弱になっていってしまう。
いま問題にされている「子供が性的な対象として描かれている漫画」についても、そういう性癖の人が生きていく上で必要な嗜好品であって、なくさなければいけない理由などない。それを権力者が禁じるということはすなわちその性癖をもって生まれた人間は生きていることが許されないも同然だ。少数とはいえ変わった性癖をもっているくらいで生命や嗜好をおびやかされるいわれはない。そんな当たり前のことが、信じられないことに世界中で日本とロシアくらいでしか許容されていない。性犯罪の抑制すらできていない国々が、なんの効果もない創作物の規制にしがみついている。線で描いた絵をなくしさえすれば問題は解決するのだといわんばかりに思考停止したまま役に立たないヒステリーにすがっている。かれらには永遠に「みたことのないもの」はみつからないだろう。「みたことのないもの」は実はすぐそばにたくさんあるのに、まっすぐ見ようとすらせず、片っ端から消し去っているのだからみつかるわけがない。異質な他者を認める豊かな日本でつくられたものによって多大な影響や恩恵を受けたことのある欧米のひとは「みたことのないもの」が消し去られるのをただ黙ってみているだけなのだろう。声をあげれば犯罪者になりかねない社会状態では、さんざん受けた恩義などなかったふりしながら皆して卑怯者に成り下がっていたほうが安心だし利口だからな。合理主義は玉なしの標榜だよね。大衆に知られていない性癖、新たな欲望を焚き付ける「みたことのないもの」を駆逐しては「みたことのないもの」をつくりたい!とか大嘘ばかりタレてる去勢野郎ども。
そもそも「子供が性的な対象として描かれている漫画」やそうとうに凄惨な描写のある一部の作品はいまある規制じゅうぶん対応できてるのであって、これ以上の規制などまったく必要がない。オレがおぞましいと思ったもんは全部弾圧だとばかりに権力者の意志ひとつで評価が決められていくなんて異常すぎてヘドがでる。未知のものを一切許容できなくなった頑迷な社会には破滅しか残されていない。脱皮できずに死んでいく虫のように。それに加えて現実をまるでみていない規制したがり連中たったいま日本では世界で類にみないほどレイプが蔓延してるとか男の性欲は漫画のせいなどと根拠のまるでない妄信を論理としてふりかざしているにも関わらず、規制成立に関してなぜか自信満々なようすでブキミこのうえない。
当の子供の立場からしても日本では公の情報から身を守ったり真偽を見抜いたりする教育がまったくなされていない上、中高生が童貞や処女を捨てたら犯罪にする法案をつくるべきだと声高に叫んでは子供に悪影響及ぼすようなヒドイ性教育を改善しようとすらせず、口先では「子供を守る」と叫んでいるくせに、実際には子供の意志をないがしろにして金儲けしてるのは規制したがり連中だったりして子供自身の意志や権利をこれだけ公然と踏みつけにしている国というのもちょっと珍しいと思う。一般市民の間で性癖に対する差別思想が無意識レベルで根づいてしまっているのもこういう本質から目をそむける体制の産物なんじゃないのかなと思います。

仮に規制が成立させられてしまったら、未来永劫語り継いでいくことはもちろんですけど、選挙の際に「自民党公明党(+石原慎太郎の関わる団体)以外の政党にとにかく票をいれる」をみんなして着実に実行することです。いまの都知事の人はカルトの数だのみでいけると思って弾圧的な規制やらかそうとしてるみたいですけど、市民にとって大切な創作物の存在自体を否定する輩はただじゃ済まさない、ということを身をもって知ってもらうしかない。こういうもので甘やかしたりすればまた同じような輩がでてきてしまうし。