芸術家が札束を前にしてモノを言えなくなるのは死に等しいと思う

キツイ諷刺画をかかれて逆上して言論弾圧する権力者とまるで同じ恫喝じみたコメントをさもまっとうな批判かのように書くところとか、村上擁護にまわる人は「村上批判=オタク=嫉妬してる」で片付けたいだけの単細胞むじあなが寄り集まってるのかなーとちょっと思います。社会的強者を笑うことを禁じる「芸術愛好家」の考える「反骨」は「校則を守れ」というのと同じで反骨でもなんでもないのに、その判別すらつかないんですな。「社会的強者は偉いから尊敬すべきだ」という大前提を否定したら崩れさる程度の価値観しかないからねえ。カネだしてくる層への諷刺ができない件について村上擁護の人はさっぱり答えてくれないんですが、まあ村上当人が答えられずに逃げちゃうんだから信者が答えられなくてあたりまえだわな。でもさー「うまく儲けてる奴をけなすな」って要するに夫が「養ってやってるんだから文句いうな」て妻に暴力をふるう言説と極端な話同じですよね。ものすごく昔ながらの上から目線の物言いだな。黙って賞賛しろってまるで北朝鮮やカルトのものいいだねえ。
あと村上擁護してるtyokorataっつー人がケンカをしてまでも友人と議論をするものではないとか言って村上議論を放り投げて村上と同じく逃げ出しましたが、「ケンカをしてまでも友人と議論をするものではない」ってつまりtyokorataっつー人が友達認定するのは「コイツなら反論しないからラクでいいや」とか思える人だけってこと?そのほうがよっぽど人をバカにしてると思うけどな。議論に参加させないってなんか侮辱だよね。なんなのそのやさしさとはき違えた軟弱さを「思いやり」かのようにお互い暗黙に了解しあうみたいな。「正論を言い合わない関係=友達」が美徳とされるって権力者にとってこんな都合のいい奴隷思想もねえわ。つーかさ、精神的に痛い目にあわないのが「友達」や「家族」って違うと思うよ。おいらは家でも会社でもずけずけ言いあうのがふつうだからなんか麻痺してんのやもしらんけど。つっこんだことが言えないと深いところまで話し合えないじゃん。最近の子供が魚をみたことなくて切り身が海で泳いでると思ってるらしいけど、それは臓腑をみせないからだろ?臓腑をみることはつらいしキモいけど、そこから目を背けてたら物の形が認識できなくなっちまうんだよ。お互いの臓腑(=マジの心根)もみずになにがわかりあってるの?臓腑がこわくて相手の形すらまともに認識してないだけじゃんか。それが健全な関係だとは思えない。