実際には害にしかなってないのによかれと思って道徳ふりかざすんだからなあ

昨日の町山さん番組女性が性的絶頂を得られると謳った薬をさしたる効果もないのに業界ぐるみで売りつけようとしている件の映像中で「絶頂感を得られないのは病気」と決めつけて被験者女性に危険度の高いらしい絶頂入手手術を施してましたが、おいらも毎日毎日日記書いてたときに興が乗るとちょっと恍惚とすることがごくまれにありましたけど(キャー)、それは文章を書くついでに得られるオマケ程度のモノで、目的はあくまで「思うとおりの文を書く」であって「付随してくる恍惚」のほうじゃない。ナニがいいたいかとゆうと、本来的なメインディッシュである「過程」をすっとばしてデザート的な「結果」だけを得たいとするのはコカインや覚醒剤に手をだすヒトとなんら変わらないんじゃね?セックスでの絶頂にしても、相手に協力してもらったうえで自分の体のことを知ってもらわんと快楽ポイントなんざ到達できるわけがなくて、それをお互いに知り合う過程ぜんぶをセックスと呼んでたいせつにすべきモノなのでは。文字どおり頂まで登らなきゃならんのだし。そもそもあの映像中にでてきたおばちゃんたちはオナニーでイッたことがあるのだろうか。オナニーでイけてれば相手にそのポイントを伝えるだけでよさげに思うけど。つーか女のからだのイクところは各人によってまったくちがうのに、さも挿入するだけでイッちゃうみたいな安易な描写をした男が抜くためのメディアが多すぎることも原因のひとつにも思える。まあエロモノはだすためのもんだからファンタジーでなければ機能しなくなっちゃうけどさ。男の女体に対する幻想をなんとかしてほしいことはたしか。少なくとも膣挿入が大事な女とそうでない女がいるんだよ。自覚してないヒトも含めると膨大にいると思う。もともと見つける自体が労力のいる難しいことなのに、直視すらまともにしないからよけいこじれちゃうのな。セックスする相手にそういう意思疎通ができてるかどうかってのも対等な関係を築くにかなり重要な点だと思うし。流されちゃってどうでもよくなって相手から虐げられてるヒトって多いんじゃないかね
もどしますが、番組中の町山さん説明によるとヴィクトリア時代のキビシー道徳観のなごりで自分の性器すらよくわからない女性がいまだにいるというお話でしたのでちょっと調べたらかたっくるしい価値観にがんじがらめで基本的に女は男を癒してくれる家庭の天使でいなけりゃならないうえ道徳を重んじるあまりに妊娠すら恥だったとか、女としてまっとうに扱われるには安賃金の重労働に従事せねばならなかったとか、そんな抑圧三昧な生活で肉すらろくに食べられなかったとかもうこれはヒステリーならないほうがおかしいだろ。虐待すらまっとうに認めてなかったちょっとした傷でもすぐ切断してた時代だから仕方なかったのやもしらんけどひどいはひどい。ヴィクトリア時代のレディたるものは、性行為が嫌いでなければならなかった件からして、母性本能を行動原理にしなきゃならんのにヒトとしての性的本能は拒絶しなきゃならんてふつうに頭おかしくなるでしょうね。本来的に合致してこそ両方が機能するのに切り離して両方だめにしてる。そんで精神だけじゃなく肉体上でもありのままの自分自身であることを許されない状態の女性がストレスたまってキー!!てなるわけですが、そこを各家庭で旦那が癒してあげればいいものを、妊娠につながらない快楽は悪だーとかいってしらんぷりして、いよいよ手がつけられなくなった女性が医者にとびついてクリトリス触ってもらってイッてストレス解消してたそうです。そんでそのテのクリトリス女性患者がどんどんうなぎのぼりになって、いいかげんクリトリスを微細にいじくる手が疲れた医者がバイブレーターを開発して、あっコレ肩あてたら気持ちよくね?てなってマッサージ器具がうまれたそうです。性器を直視しない風潮のせいでいまだにオナニーグッツが電化製品の先駆けという偉大な事実すらまともに広まってないうえ日本政府が振動オナ器具を医療道具とか考えてたりと、ものごとを見つめずにいると悪い弊害しか発生しないとゆう好例ですな。張形は西洋にも昔からあったのに、いまさらクリトリス快楽が悪もクソもねー気がしますけど。
つーわけで性関連を否定する輩は弊害そのものです。


ところでゴッホが生きてた時代についったあったら自殺せずに済んだかもなあ。