太陽が真実であるように

『There Will Be Blood とタイトルが出た時少し安心した。Blood、まさに見たいものがタイトルに組み込まれているではないか!このタイトルを<殺る!>と超訳して勝手に悦に入ったが、作品は想像を超えた設定と展開であった。Bloodは大地の血=石油をも意味していたからだ。』

気狂いピエロ(1日。しね)→余命反展(3日。三鷹)→デイブレイカー(シネマロサ)とみまして、上記『』内はこれのp.29から抜粋したモノ。デイブレイカーみてるときにあまりに血が重要アイテムとして出てくるもんでこのくだりがよぎってしかたなかった。デイブレイカーは吸血鬼が人類にとってかわって大手を振って暮らす日常があたりまえになってしまった世界の話ですが、世界のルールを塗り替える、という点で「ガンカタのないリベリオンin吸血鬼版」といった風情の野心作ですよ。デイブレイカーの世界ではだれもかれもが吸血鬼なもんで食事は当然血液なんですけど、吸いすぎたあまりに血液供給元である人間が激減してきてるもんでのこりすくない人類を血液しぼりとり機に農場の植物よろしくガッチリ組み込んで、人類は生まれてから老いてしぬまでを吸血鬼たちを生かすための単なる血液提供マシーンとして使い捨てられている。吸血鬼たちが生きるために不可欠なのでみんな何も思わないんですけど、ただひとりイーサンホークだけがこの残酷極まりない社会構造や常識に辟易して、生きるために必要な血液を摂取することすらためらいはじめている。イーサンホークは政府直属かなんかの人工血液開発中の研究者なんですけど、人間を血の塊としかみなさない冷血な体制や、自分の体質にすら嫌悪感を抱いて人間狩り担当の弟と諍いが耐えない不毛な日々を送っている。吸血鬼たちはあまりに人間の血を摂取しなさすぎたり、もしくは同族の血を摂取してしまうと理性のない怪物と化してしまう(そうなると公権力によって処刑されてしまう)のでデッドオアブラッドな社会ルールが暗黙の了解となってる。吸血鬼たちは弱点が紫外線なので陽のでてる日中に出歩くには完全防光の車が必須で、そこらへんはイーサンホークが生き残りの人間たちに協力するようになる展開後のチェイスとかでスリリングなことになるんですが、日光や樫の木が弱点という道具立て以外では十字架やニンニク系統のはまったく出てこなかったな。あのへんまで出すとなんか複雑になっちゃうからかな。その後のスジとしては弱点でしかないと思っていたモノが実は生まれ変わるために使えるということがわかって、全吸血鬼が人間になる方法をどうにか伝えようとするイーサンホークたちと、人工血液での儲けを独占したいイーサンホークの上司側がえげつない戦いをくりひろげるわけです。吸血鬼の世界でなくとも「誰かが誰かを食い物にして生き続ける」という点は現実の世界で食生活にしろ金儲けの隠喩的なモノにしろいくらもあるわけで、その諷刺としてみるとちょっとえげつないかんじでもあります。人間を捕食される側に置いてはじめて普段あたりまえにやってることのヒドさや危機感が味わえるつーか。まあ石油が枯れたところで人類は血液なくなって怪物化してく吸血鬼みたいにはならないとは思いますけどさ。なにしろ人類を捕食される側に置いたときに、どんな輩を捕食する側にするかで道具立てがアレコレ替えられもしますし。アレか、地球上のシステムに耐えられないキャラクタというのはままキリスト教的な神様のつくった世界にはそぐわない悪、ということになるのかな。それが元からあった神のシステムによって生まれ変わってゆく(リベリオンでも太陽が転換点だった)、というあたりとかは十字架ださずとも自然が影響を及ぼすかどうかが間接的に神に愛されてるかどうかって意味になっちゃってるのかしら。大地の血を啜る輩とはつまり誰か、みたいな。つーかデイブレイカーはそもそも吸血鬼用に血液農場やるんだったら人間よりもブタとかウシとかのが効率よさげな気もしますけどねえ。それだと画ヅラ的につまんないしな。あとイーサンホークは理不尽な世界でひとり青くなってる、みたいな役柄が最近多いすね。
きちがいピエロは夫人に連れられてみたフレンチゲージツ映画で。あちこちフラフラして爆死してた。なんかフラフラしながらむつかしいゲージツ用語さしはさんだりしてさっぱりわかりませんよ!て帰途夫人にぶつけたらあれはそうとう悪い女に惑わされる男の犯罪映画よ!もうぜんぜんだめね!てプンスカ説明されてそっかーて合点がいった。夫人すげえな。ゲージツ映画ってコレが頂点でもう下るいっぽうじゃね。一般的に思い浮かべる「犯罪映画」のテンプレをぜんぶ意図的に外してフワフワふらふらしたつくりでけむにまいた挙げ句「女に翻弄されっぱなしの男」という犯罪映画の定石中の定石オチに収束さしてるという。おとなはむつかしいよ。うなだれた。