おろしたて神社ってカンジだった

ウォールストリート(14日。日劇)→リセット(15日。シアターN)→SUCK(えぬ)→版画2人展 なかむらじん 正成美雪(さっき。えすぱすミラボオ)で展はぜんぜんちがう個性のお二方の作品展で、なかむらさんは大正時代あたりのマッチ箱とかの商品パッケージに使われてたような木版画っぽい手法でひと昔前のアニメキャラとかを掛軸風な形状で刷ったりして「日本」を詰め込んでるかんじ。おいらじゃなくとも日本で生まれ育った人ならば大体似たイメージをもつと思うんですが、作品手法が使われた時期に近い年に生まれた(特に美術とかに興味のない)ヒトほど「芸術品」としての価値を見出しにくいのかもしれないなーとぼんやり思った。なぜならその手法は二束三文の日用品に使われてたもので、もともと特別に価値のある物ではなかった。前に店に並んでたなんてことないガラスのコップを買って持ち帰ったら「なにその古臭いコップ(笑」て実母が失笑したことがあって、そのコップの形は実母が若い頃によくあった形そのままのモノなんだとか。おいらは使いやすそうだなーと思って買っただけなんですけど、モノの形ひとつとっても時代が違うだけでこんなに抱くイメージが違うもんなのかと思った。「身近にあったのにいつのまにかなくなった」物は時代を切り取る的に特定の過去の面影を残しやすいけれど、発売当初から形状が変わらずに身近にあり続けているものというのは時代を現してるかどうかわかりづらいかもしれない。 その国の人間にとっては「どこにでもあるつまらないもの」にしかみえなくても、国外の者にとっての「真新しい」物としての価値を孕んでいる。手法にしろ題材にしろ「日本」で生み出されたモノだけを使うことで他国の者にはできない唯一無二の表現となる。「これが芸術です」て出された便器や缶詰みてナンダコレ!て怒る人はきっと新しい手法やみたことのない形状こそが芸術だと思ってるんだろうけど、そうゆうあなたの身近にある燃えるゴミや不燃ゴミもちゃんと時代と国籍を表してて他国の人からしたら新しいもんなんですよ。田中三蔵さんが「社会を巻き込むことこそが現代美術の目的」と書いてるらしいけど、作品みて怒ってる人はその時点で作品を評価してるも同然です。なかむらさん作品にもどしますけど、むかし懐かしい手法で現代っぽい雰囲気の版画を描こうとなさってるもようの作品がありましたが、あのレトロ木版画調で色鮮やかにしたり重ね絵多用したりするとなんか70年代のサイケ風になりますね。どうしてもみたことあるアレがよぎってしまうな。正成さんは今回はなんか竜巻がお題らしくて淡いきれいな色調の石版や荒々しい白黒塗り風版画なんかでいろいろ描いてました。またユニクロ価格なんで3枚予約した(給料日後に取りにいきます)。竜巻お題だけに画面の天と地がぐるぐるでつながってるふうなとこはちょっとへその緒的な雰囲気もかんじた。やっぱ正成さんは淡くてカラフルなやわらかい形状の抽象作品がいちばんいいねえ。どうとでも受け取れる色や形の美しさ・面白さで鑑賞者を放置さす方向のが心に訴えてくる。この展やってるとこがなんか神楽坂なんですけど、すぐ脇に赤城さんとゆう神社があってちょこっと参拝しました(厄年表みたらおいら今年本厄の八方塞がりらしいよ!八方塞がり!!)が、なんか新ピカでガラス張りのすげえモダンなつくりの神社ですな。よこの喫茶とフォンテーヌも遅くまでやってるみたいでこんど寄ってみたい。フォンテーヌはたぶんなんてことないふつうのお惣菜パンだと思う。けれどいい。ちなみに参拝参考としてこれどうぞ。
ウォールストリートはこの世のカネは俺のものです親父(マイケルダグラス)が出所してきて懲りずに家族を踏みにじるモノですが、いろいろあってクライマックスでダグラスにガメられた金を奪い返そうとしてラブーフが「孫と会う権利」を取引ネタで出してきますけど、つーかそれまでの人生で家族友人をさんざん踏みにじって儲けてきた人にそうゆう家族ネタだしたとこで応じるわけなくね?まあオチでダグラスが取引に応じた形になるんですけどさーそんならダグラスが「家族的存在を持たずに生きることの心的痛み」を自我崩壊しかねないくらい感じるエピソードでもないと最後にその取引に応じる気持ちになる説得力がないんだよねえ。億のマネーゲーム命の男がなんで急にアットホーム方面に心境変化したのか。それがまったく描かれてないのがかえってブキミ。冒頭のム所から出て誰も迎えにこないとこがその伏線だったとしても100億代償にするに至るにしては描写が軽すぎねーか。ダグラスから金奪い返そうとしてるラブーフも投資先の研究機関盲信しすぎだし。次世代の子供たちのためになる研究で善意でやってるっつーのはわかるけど、さんざん投資してコケたらどうすんだろ。そこらへんも描いてないし、そもそもダグラス娘の口座に置いてあった100億ってもともとは(汚い手段で儲けたとはいえ)ダグラスの金なんでしょ。ラブーフがどうこうする権利がそもそもない気がしますが。投資家としての才能を生まれ持った人は他人のカネをどうむしるかに夢中になっちゃうってことなのか。ラブーフはダグラス娘とより戻すけど投資家にはもうならないってことなのかな。投資家としての才能をもった人がそう簡単に他業種に変われるもんなのかなー。ダグラスも孫には会うけど他人のカネむしる稼業はぜったいやめないだろうし。孫が大人になって仮に億もってたらやっぱむしりにくると思うよ。なにしろ「〜かもしれない」推測とか単なる噂話で数百億なくなったりもうかったりする稼業ってせわしなくていやだね。作品としてはこれのラストのほうがふさわしいんじゃね。とちょっと思いました。そういやラブーフの悪徳上司役がジョシュブローリンなのね。パンフみるまでちっとも気づかなかったよ。化けるなあ。
リセットは闇に触れると虚ろな影だけがこの世に残って実体が消え去ってしまう現象が広がって、わずかに残った人々が光るものを手に生き残りの手段を探る話。決定的な解決策がなにもないので終始ブキミな雰囲気に覆われてる。ちょっと黒沢さんの回路っぽい。1500年代に起きたロアノーク島集団失踪事件で出てきた言葉がなんか出てきますけど「CROATOAN」て「TO ROANOAC」の並べ替えで単なるご当地観光誘致ワードなんじゃねーのかね。OAが2回でてくるのが不自然なんだよね。サスペンス的なおいでませ演出つーの。今作はマシニストの監督さんがやってるらしいけど、なんか当初から方向性が一貫してんのはいいけどどんどんB級になってる気が。
SUCKはこんかんじ。デビッドボウイ好き向きやも。