題になってる歌すらあんまし関係ないっつー



アメイジンググレイス(20日。テアトルシネマ)→神々と男たち(シネスイッチ)→月の輝く夜に(21日。ギロッポンヒルズ)→冷たい熱帯魚(テアトル新宿)とみまして、アメイジンググレイスは黒人奴隷の貿易廃止に尽力した実在の政治家の話ですけど、この政治家の願いが達成されるまでの(おもに議場での)仕事模様を駆け足で撮るだけの構成なんで、娯楽要素が薄すぎて教科書の説明読ませられてる気分になる。奥さんになる女性とも「恋に落ちる」なり「結婚に踏みきる」なりの転換点がぜんぜん映されないんで2人が恋人として付き合いはじめたのかどうか、いつ結婚を決意したのかもいまいちわからんし。身近にいて常に励ましたり話しあったりしてるってのはわかるけど、友達から恋人になる瞬間てあるじゃん。そういう男女のアヤでいちばん大事なきっかけ描写を時間ないのかなんかでさっぱり映さないから、主人公にとって恋愛や結婚は仕事にくらべたらどうでもいい軽いことなのかなと思えてしまうよ。演出上で奴隷貿易廃止に尽力したことに重きを置いたのはわかるんですけど、その仕事場面以外の要素をテキトーに片付けすぎてて薄っぺらくみえちゃってんだよね。主人公が奴隷貿易廃止に固執する理由も「(持病の痛みを和らげる為に服用してた)アヘンの影響でたびたび苦しむ奴隷の幻影をみるから」みたいな描写で済ませちゃってていまいちみてるこっちに伝わってこないんだよねえ。そんだったら多少手間かかっても死にかけた黒人奴隷を満載してるどでかい奴隷船(バーホーベン監督ならぜったいそこ撮っただろうなー糞とゲロと血にまみれた船の中で鎖でつながれた幾百人もの奴隷たちが苦悶する画ヅラ)を再現して撮ったほうが作品的にも観客の心わしづかむためにもよかったんじゃ?それ撮ったら確実にドラマチックになる、て場面をゴッソリ切り落としてあるもんだからつまんないことこのうえないよ。この映画ってなんか東京都が推奨してるって冒頭のテロップで出るんですけど、こんな無味乾燥のもん人に勧めてくる奴とか不信感しか抱かなくなるよ。こんな映画を「最上」とか定める連中にエロ漫画がいかに優れてるかなんてぶつけたところで馬の耳に念仏だわね。たいした感性をお持ちだこと。パンフの最後でホメちぎってる26人もな。政治家がやったことは立派だけど、作品がいいかどうかとは別だろ。まあさんざんカキましたけどさ、遠い国から勝手に市民拉致って奴隷で使うなんていう酷い決め事ですら既得権益にかじりつきたい奴らが長ーいこと変えさせないよう死守してきたありさまなんで、たとえ誰もが思ってることでもウィルバーフォースのように色んな手段でもって人生かけてあたるヒトがいないかぎりはいつまでたってもなにひとつかわらないと思う。このテの歴史上の出来事として記憶されるレベルの犯罪的法律がずっとのさばってるってのは大抵はデカい旨味が絡んでて、それをいつまでも吸っていたい輩が鉄壁のガードを築いてんのな。奴隷貿易原発もだれかの犠牲なくしては成り立たない「儲け」手法だよね。この映画は東京都推奨作品だそうだけど、その長は原発推進だそうで、役どころとしては奴隷貿易の旨味を手放したくないがゆえにウィルバーフォースに敵対する既得権益死守連中のひとりとゆうことですな。
アメイジンググレイスでは信念を貫くために海千山千の連中と真っ正面から戦おうとする政治家を描いていたけど、リアル政治ではそれは利口なやりかたじゃないんでしょうね。ということで上記にこれの画像をのせてみましたけど、テツぼんはたまたま有力政治家の息子として生を受けた男が根っからの鉄道マニアで、ほんとは趣味のほうに人生を費やしたいんだけど家柄の縛りもあってしかたなく所属政党(道路方面)の上から命じられる仕事をこなしてく話なんですけど、基本的に人柄がいい上、権力にもカネにも興味がなくてただひとつ「鉄道を守る」というゆるぎない信条で動くヒトなので、そこらの政治家が誘惑されがちなネタにもなにひとつまどわされることがない。ここで人柄がよすぎるとウィルバーフォースみたいにただ正義観念を燃やして反対する側に敵意もっちゃうだけになってしまいがちだと思うんですが、テツぼんは私腹を肥やそうとする政治家や名誉に目のない権力者をも決して卑下したり目の敵にしたりはせず、ただそういう存在なのだ、と了解した上ですんなり動いてくれそうな提案をする。彼らだけでなくて、政治の思惑の矛先になった鉄道やその地域に住むヒトたちにも同じように提案したりする。で、関わった全員にとっていいものにしようとする。元々権力欲がない=地位を失うことへの恐怖がないので気難しい先輩議員にもよかれとおもった提案をどんどんぶつけるし、コトがよりスムーズに進むとみればたとえ自分の提案だろうと手柄は上司にぜんぶやる。結果的に自分のすきな鉄道関係が良くなればそれがなによりの報酬なのでテツぼんは大満足、手柄を得られた議員は大満足、鉄道関係が改善された地元民も大満足。政治家の鑑ってテツぼんのことなんだろな。電車のことしかできないけど。まーでもどの分野も満足にこなせない人よかたったひとつの分野をうまくまわしていけるヒトのがたよりになることはたしか。権力に近しいヒトはテツぼんをよむと自分が何に囚われて動けないのかわかるんじゃないでしょうか。こんなの理想論だろって思うだろうけど「市民にとっての良い理想」ならいくらもみておくが吉かと。
神々と男たちはアルジェリアの山奥でイスラム教徒とも仲良くしてるカソリックの修道士たちがテロリストに誘拐・惨殺された実際の事件の映画化だそうで、クリスマスらへんにひとり(ふたり?)をのこして拉致られてくまでの修道士の清貧生活や村人との交流のようすを追うたいへん地味な画ヅラの作品。なんかアルジェリア自体が内戦中で、修道士さんたちは自治体や軍隊からもさんざん「危ないから国外脱出しろ」て言われてたんですけど、ずっと暮らしてるし危なくなったからって逃げちゃうのはなんかちがうから、てことで危ないの承知で怯えながらも暮らし続けて、その果ての拉致だったらしい。逃げないってのは立派にも思えるんですけど命を脅かすもんが来ることがわかっていながらなんの自衛手段もとらないってのもどうかと思うけどな…。万人を受け入れるってそうゆうことなのかな?殺しはできないから物騒な事はムリでも罠はるとか追っ払うとか最低限なんかできそうな気はするけどなあ。すんなり死を受け入れちゃうと修道士さんたちをたよりにしてる村民はどうすんのってことになるし。国外脱出して落ち着いてからもどってくるほうがよかったんじゃないのかなあ。自分たちのこだわりを優先したせいで政治的な道具にされるし村民たちに悲しみを味わわせちゃってるじゃん。道徳を重んじるヒトって潔癖さを優先するあまりに極端なことしでかしがちなんだよね。たとえばお金をやたらに忌み嫌うあまりに隠遁して乞食のような暮らししてみたりさ。マザーテレサはカネになんのこだわりもないからモノやカネはさっさとこまってるヒトの救済に使ったらしいよ。ひとつの観点しかないとモノを良い方向に変えてくことすらできなくなるよね。「最善」のためにこだわり(=自分)を捨てるってのはわりと難しいのやも。
月の輝く夜にはニコラスケイジ×シェールの中年ラブコメですけど、リンチは確実にコレみてワイルドアットハート撮ったろ!と思わずにいれないケイジの濃ゆい情熱愛っぷりがみれてよかった。シェールと口ゲンカしながら唐突にがっぷり接吻!!みたいな勢いでイク感覚が特によかったです。ケイジって若いころはわりとピチピチしていい男ふうのアレだったんですね。信じられん。シェールさんは以前の恋愛関係がトラウマになってて2度と失敗したくないがゆえに「堅実」一辺倒の頑なな結婚観しか持たなくなってて、もう結婚秒読みという中でケイジに出会ってデートするうちに心の底に押し込めていた「愛情」がどんどんあふれでてしまい…みたいなスジです。ケイジがシェールの母ちゃんにオートミール勧められて口では「大好物です」とか言ったくせにひとくち食ったらすっげーマズそうにして以降食いたくなさそうにこねくってて面白かった。
冷たい熱帯魚はでんでんさんが愛犬家殺人事件の主犯格の男を再現しすぎてるだけに脇を固める女優陣の浮きっぷりが惜しかった。でんでんさんが超絶リアルなのに周囲にあんな巨乳美人ばっかいるのが現実離れしすぎてなんか。どうせなら徹頭徹尾事実に沿ってしまってほしかった。最後もなんかとってつけたようでなあ。意味なんかなくていいんじゃねーの。