天声人語の人はテレビ抱えて揺られてたらしい

『女の子が一瞬にして炎と化し、魔女の「やあれ、あかるいことあかるいこと!」の独白で終わるのはあんまりだと感じられる。もう少しなんとかならないものかと思ってしまう。
 しかしながら、昔話ではなく現実の事件を考えてみよう。ふとした好奇心から見知らぬ男性の誘いにのった女性が、殺害され、死体となって棄てられることは現実に生じているのである。このとき、もう少し何とかならなかっただろうかと人びとが嘆いてみても、結果はもとに返らない。
 このような話があまりにも稀であるとか、それは悪人である男のせいであると思う人は、人間に対する自然の力を思ってみるとよい。自然の力はときに人間のつくったものを一挙に破壊する。営々としてつくりあげた農作物も一夜で壊滅することがある。嵐は善人も悪人も区別しない。それは誰に対しても平等に吹く。自然は善意でも悪意でもなく、ともかく作用し、それは、そのとおりであって文句のつけようがない。英語で言えば、just so! なのである。
 まさに、そのとおりであって、いかんともしがたいこと、それは昔話のなかに動かしがたい事実としてそのまま描かれている。』 (昔話の深層p.56-57より抜粋)

takezoxアンチクライスト』→街育ちのおれの定義では「自然」は木や森や動物だけじゃなくて、「自分の力ではどうにもならないもの」を指すと思う。たとえば大宮にはヤクザがいたり競輪の客がいたりして怖かった。それは海が荒れてるとかと同じだボケ、という理屈でジブリ的自然礼賛思想を斬ってきた青春。』 (ツイッターより)

『揺れが収まった後、港内の海面がばしゃばしゃと音を立てるように隆起し、海水が丘側に流れ込んできた。駐車していたトラックや乗用車が住宅地へ流れ込む。魚市場近くの食堂には当時、2人の客がいた。経営する照沼三枝子さん(61)は「港の波がわさわさしたと思うと、店の前に押し寄せてきた」。』(2011年3月13日の朝日新聞18面より抜粋)

『1960年に多数の死者を出したチリ地震津波を経験しており、事あるごとに「地震の時、津波から逃れるには最初が大切」「断水した時のために、風呂にはいつもお湯を張っておきなさい」と孫らに言い聞かせていた。男性は「地震が起きてすぐに家を飛び出し、杖をつきながら上へ上へと歩いたお陰で助かったのでしょう」と話した。』(2011年3月13日の朝日新聞19面より抜粋)

『見てはならぬ真実を見たと知ったとき、一刻も早く逃げるのが最良の方策である。浅はかな人間の知恵で何とかしようとしたり、ものおしみをしてはいけない。持ちものを全部棄てても逃げだすこと、これは昔話によくある呪的逃走のテーマにつながってゆく。』(昔話の深層p.61-62より抜粋)

『町を歩くと、ヘドロが地面に5センチほどたまっていた。道路には、魚市場から流れてきたのか、サメやマグロの巨大な切り身が落ちている。道路にたまった泥水のなかでは、魚が泳いでいた。』(2011年3月13日の朝日新聞19面より抜粋)

『あちこちに、がれきの山が積み上がる。茶わん、鍋、テーブル、缶ジュース。子供の学習机やカバン、テストの答案―。一瞬にして日常生活が失われた現実に、言葉を失う。』(2011年3月13日の朝日新聞19面より抜粋)

『県道と国道45号が交わる周辺の山々は火の手が上がっていた。近くの大槌北小学校には、校舎の1階部分に土砂が流れ込んでいた。他にみた壊滅状態の街では、流された屋根など家々の痕跡が見られたが、ここでは跡形すらない。人口約1万5千人の町の市街地に残る建造物はほとんどがコンクリートづくりの建物で、それも次々傾き、「ゴーン」「ゴーン」と音を立てながら無人の街で倒壊していった。(中略)町の医療の中心だった県立大槌病院も窓ガラスが割れ、荒れていた。しかし、脳梗塞の母親を預けた人の話では、たった一人の医師が懐中電灯を使い、3階で患者を診ているという。町の中心部を流れる大槌川にかかる橋のたもとには、長さ15メートルほどの漁船が船腹を見せて横たわっていた。』(2011年3月13日の朝日新聞19面より抜粋)

siyui『これがあなたの人生です』 「……どう見ても玉ねぎじゃないですか、これは」 『皮一枚が歳一歳です』 「剥いても剥いても中身が出てこないんですけど」 『そういうものです』 「しかも、涙が止まりません」 『そういうものです』』(ツイッターより)

通路の両側にある棚の高い位置から、商品がぼろぼろと飛び出ては通路に向けて落ちていく。まるで誰かがたたき落としてるみたいだった。それがすべての棚で同時に起きた。でていけば商品の直撃をくうから呆然とみているほかなかった。揺れがおさまったあとはすべての通路が商品で埋めつくされて、足の踏み場もなかった。なにこの罰ゲーム。どこから手をつけたらいいのかわからなかった。帰宅してテレビをつけると東北の港町が藻屑と化していた。家がなくなって、なんだかわからんゴミが散乱してる。どこから手をつけたらいいんだろう…。大震災と呼ばれる災害を経験して骨身にしみて思ったのはそれだった。売り物にならなくなった商品もたくさんあったし、急な出来事を経験したショックもあるけれど、片付けに伴う肉体的な疲労感が凄まじかった。地震直後に震度5強だと聞いたけど、ぜったいちがうと思った。小学生のころに学校の保健室にいた際に遭遇したのが震度5だったけど、棚から物が落ちたりはしなかった。今回のは確実に震度6はあったと思ってる。社長夫妻にきいても今回みたいに商品が落ちるほどの地震は経験したことがないと言っていた。あしもとは時計まわりを逆行するような揺れだった気がする。大きく円を描くように揺さぶられたかんじのゆれかた。シリアスマンのラストでどういうわけか突然巨大竜巻がくるんですけど、意味がわからないけどくるものがきてそれがなんかひどい、というあたりの感覚がすごくよく描かれてたと思った。地震経験したあとだとそれがひしひしとみにしみる。これが自分の暮らしてる土台の姿なのであって、生きてる以上は付き合ってくほかないし、揺さぶられて散らばったら片付けるしかないんだと思った。それでしぶしぶ片付けた。ものすごく疲れた。まだ疲れがのこっていてとれない。こんどは自分の部屋を片付けないと。まだ本腰いれる気がおきなくて放置してるけど。

登るのが困難な山を「魔の山」とか、嵐や地震といった自然現象を「災厄」とかいうけれど、それは人間が生きる上で困難をもたらす=生活上の効率を脅かされることから勝手にそういうふうに表現してるだけであって、人間以外からしたら「魔」でも「厄」でもなんでもないし、動物によっては恵みであるかもしらんのだよな。単なる自然現象を悪魔かのように表現したり思ったりしてると、その現象の本質から目を逸らしてしまいがちなようにも思う。もともと善悪とは関係のない自然現象を、人間感情に照らし合わせた狭隘な物差しでふたつに振り分けてしまったりするとパニックやヒステリーにつながりやすくなっちゃうというか。まずその現象の本質をよく知ってさえいれば手を打つことはできる。テレビ雑誌やなんかで手放しに自然礼賛してるふうな標題(最近はエコでくるんである)をみかけるけど、それって自然現象を悪魔よばわりするのと変わらないんだよなあ。自然現象は素晴らしいし酷いもんですよ。ひとつの側面だけの見方は自然と付き合う上で何の役にも立たないし、それどころか害にすらなってしまう気がする。それは自然現象だけでなく人間にもいえると思う。上記抜粋したtakezoxさん談じゃないけど、人間が自然の一部だと認めるのならば、自然現象のような荒ぶる面を備えていてあたりまえってことになるよね。その荒ぶる面が出てしまった事件をみて悪魔だなんだといちいちヒステリックに騒いでたら手を打つことから遠ざかってしまうように思うよ。人間や自然のもつ「現象」のうちの生活上を害さない見目よい部分だけしか人々に見せない、というのは人々から考えるちからを奪っているも同然に思う。
 
以下地震関連の雑感。
 
津波といえばアニメや映画なんかで壁みたいなのが覆いかぶさる的な描写されるけど、実際のはぜんぜんちがう。薄くて平らな水が直線的にスーッて地面を這いよってくる。それもすごいスピードで。300人がいきなり遺体になったところでは地震から1時間してそれがきたらしいから、地震きたら全速力で高台にいかないとしぬんだね。青森あたりの漁師さんは地震直後に船で沖までいって難を逃れたとか。津波きたら陸地に船が取り残されちゃうからな。

・【急募】免震でいて津波を受け流す住宅。あと原発に匹敵する安全エネルギー源

・企業はテレCM辞退しすぎ。ここでイカスの流したら独断場なのに。イメージ悪いか。かといって道徳の授業ライクなACのCMばかりタレ流されるのもなんかな。

・11日から連日地震関連の記事が大書きされた新聞がくるけど、実家では台所の前の床に毎日敷いてるので、台所の床が大津波だったり大爆発中だったりとディザスター映画なかんじです。被害総額しりたくないね。

デマは多くは恐怖で出ちゃうんだろな。信頼できそうなやつはついったで星マークつけていくつかためてる。

ひどいことが起きたときの物語の効用の件については以下ドゾ。

_k18 心が傷ついた子供への対応 http://bit.ly/dN7td1 赤ちゃん返り(夜尿や甘え)、過度の反抗など見られますが一時的なものです。また「地震ごっこ」「火事ごっこ」の一見不謹慎な遊びは、心を癒すための本能的な活動です。叱りつけず優しく感情を受け止めてあげてください。』(ツイッターより)

『子供がショック受けた件の「ごっこ遊び」をすることで混乱する心に折り合いをつけるってので、ジョンレノンの息子が父ちゃん殺されたばかりの時に銃撃つマネして「殺すぞ!」みたいなごっこ遊びしてたってのをなんかでみたな。』(ツイッターより)