古き良き価値観には「自分がいやなことを他人にしない」てのもあるよねー

・「原発撤廃したいから今後は自販機とかの電力くうもんは見直しましょう」ていうならまだわかるんですけど原発推進前提で自販機とパチ屋だけを悪者扱いするってのが意味がわかんね。自分の原発推進思想を押し進めるための隠れ蓑にしてるとしか思えないんですけど。それ聞いた慎太郎信者がまた「そーだ自販機なくせなくせ!慎太郎閣下バンザーイ!」て大喜びするんだよなあ。あんたらいつのまにか原発推進に肩入れしてることになってるかもよ(そもそもこの支持層なのやも)。慎太郎世代って自分が日頃から目障りだと思ってるもんを叩くとなると即思考放棄するよね。そこらへんの能天気思想を中韓を毛嫌いしてるインターネッツ右翼(つーの?)の方々がなんか受け継いでるんだよな。なにかを差別することを「愛国」とか呼んでるあたりなんてまんま旧陸軍の生き残りみたいだよ。訪日していた外国人の方がいっせいに母国へ帰ってしまって商売上の打撃受けてるところがわりとあるみたいですけど、その件についてはネッツ右翼の方はどう思ってるんだろう。それでよしということであればつまり彼らは「外国人が日本にいるよりも日本の経済や国力が衰退・縮小したほうがいい」て考えてるということだよな。潔癖性患者の政治思想って清貧なんだね。へんないいがかりつけられるのにはしっかり間違いを指摘して突っぱねなきゃならんけど、そういう国のヒトたちからも恩恵受けてるのも事実なんだよな(ただ外国人労働者については稼いだお金を母国に流されてしまうからあまり日本のためにはならない気がする…かといって日本の若者たちはつらい仕事とか嫌がってしねーし引きこもっちゃってるしなー。底辺からてっぺんまですべて自国民が請け負う形が国にとっても市民にとっても理想的なんだろうけど)。自販機是非の件にもどしますけど、日本の自販機って外国のヒト的には「日本の魅力」のひとつなんですよね。日本にいる日本人にはわかりにくいだろうけど、部外者からするとあれも立派な観光対象なんすよ(自販機ネタついでに芋系だの珍味系だのこっそり登場してるのでのせておきます)。それと石原が会見で「パチンコや自販機を放置しとくと経済を衰退させる」みたいなこと言ってたけどパチ屋さんにしろ自販機にしろ商売のタネ奪うほうが経済衰退の原因になるんでは…?企業や個人の売上へらす決め事って税金もへることになるんで、結果的にお上の首しめることにつながる気もするし。とりあえずこのテのことは企業や市民努力にゆだねて権力は勧告止まりで様子見しとけばよくね。なんでもかんでも一網打尽に規制して済まそうとすんなよ息苦しい。あと原発つくんなら都庁内か石原家併設にしとけ。群発地震発生時期な上たった1カ所の後始末もろくにできないでいるってのになにが原発推進だよ。ぜんたい電力控えさす標的がパチ屋と自販機だけってのがなんかおかしいんだよな(参照)。だれもが目につくもんだけテキトーに悪者扱いして、マジに電力くってるとこを意図的にスルーしてないか?原発と経済といえばとくダネ!で限定電力でくらす家庭内実験やってたけど、エアコンとドライヤーてけっこう消費電力デカいのね。電子レンジとか電子ケトルも同時使いするとブレーカーおちるけど。便利な生活ってのはつまり「○○なしではいられない=○○がなくなるとなにもできない」ことなのね…。電気つかってないヒトには関係ないかっつーとそうでもなくて、企業の工場とかも一網打尽になるから食料製造・流通や雇用のもとが断たれちゃって、結局地域や国全体がゆらぐことになっちゃうんだよな。とくダネ!といえば20日ので福島原発勤めの親をもつ子たちに「原発はいるかいらないか」て質問ぶつけたら全員が必要だって答えてた(そりゃそーだろ)けど、1施設がいかれただけで国が傾きかねないようなもんを食い扶持にさせてしまったんだよな…と思ってやりきれなかった。いままで従事してたヒトたちには今後胸はって遂行していけるような仕事をあげろよな>政府。原発じゃなく。
あと数日前の朝日新聞素粒子ってコーナーで「暗い街のが愛おしい」みたいなこと書いてたけど、電灯のないところほど犯罪も多いよね。江戸そだちなので暗い街が愛おしいとはビタ1文思えません。暗闇を照らす数は多いほうがみんなが暮らせてるんだなって思って愛おしい。素粒子の人は山の中にでも住んでればいいのにねえ。前についったでも書いたけど、個人的には1戸1太陽発電設置して国民全員が自分の電力は自分でまかなえるようになればいちばんいい。電力会社を国鉄化させてまで原発にしがみつかす体制やめれ。「津波を防ぐためにより巨大な防波堤をつくればいい」てのも北風と太陽の北風手法だからいつまでたってもらちがあかないと思うよ。力をまともに受けるばっかりじゃなく、受け流す発想つーかさ。空手じゃなく柔術的な方向の。それとちょっとついったのリンクをなくしてしまったんですけど、「原発なくせ」て責めてばかりいると非常時対策にすら手をつけなくなってしまう傾向にあるようなので、原発なくせはわかりますがそれとは別個に危機対応はしっかりしてもらうような批判のしかたをわきまえとかないとならんもよう。相手を悪者扱いするばかりでは解決するもんもしづらくなってしまうという。

・被災地の高台に有名建築家が同潤会アパートちっくなかっこいい集合住宅をつくったりしたら観光名所的な客寄せにならないかね。もしくはエクストリームなイベントの開催場所とか津波研究施設とかつくっちゃったり。災い転じて福と成せればいちばんだよね。

星野さんが被災者の方たちにむけて「頑張れとか言いたくない」て言ったすぐあとに「頑張るんだよ!頑張るんだよ!」とか連発してましたけど、なんか…ポンニ人て励ます言葉&応援してる気持ちを表すに「がんばれ」しか考えつかないでいる現状をズルズル続けてる気が前々からしてる。ポンニ人的には「がんばれ」は「あなたのことを想ってるよ」的な意味合いであるが暗黙の了解的にやりとりされてるものですけど、ここ最近は時と場合によっては命令風に暑苦しく聞こえるって意見がハバきかせてますな。語源みると「競い合う」場面につかう表現から流用されてきたっぽいすね。そもそも傷ついたヒトを思いやるたぐいの言葉自体が現時点で日本にはあまり存在してない気もするし、つうか相手を心配してるかどうかとか、応援してるかどうかとかは本当なら行動であらわすものであって言葉で投げかける必要はあまりないような気がしなくもない。傷ついてる中のヒトへの励ましは鞭打つことになりかねないし。体育会系の競技だの催しもんのときは気兼ねなくガンガレーてわいわいするが吉ですけど、津波に家族も家ももってかれたばかりのヒトに同じ言葉を適用するのはいくらなんでも無神経すぎるよな。欧米では「あなたに神のご加護(もしくは祝福)がありますように」て異形の者からの幸運が授けられるよう願う形の表現しますけど、ポンニだとどうゆう言葉がふさわしいんでしょうね。このテの表現があまり考えられてこなかったってのはつまり市民の多くがつらい立場の方の気持ちに即して考える機会をあまりもたなかったってことなのかな。がんばれが押し付けがましいって言われだしたのもたしか精神病患者の方の症状を悪化させかねないってあたりからだったし。ポンニ人て外人さんとかからは穏やかだとか優しいとかいわれるけど、体育会系の表現で済ましちゃってたあたりからしてもポンニ社会ってなにげなく無神経なとこがあるよな。なにしろ冒頭の星野さんじゃないけど、心のなかで応援してるって気持ちをあらわすにふさわしい言葉を多くのヒトが思いつかないでいるんだと思う。どうしたら元気になってくれるのか。言葉よかまず安心して暮らせるようになるまでの根強い支援しかないよな。言葉での励ましは相手を思ってよりも自分がいい人だと思われたい欲求がないまぜになってる場合もけっこうあるし。だまって支えます。