おくあきさんの言う「お宅」におんなは含まれてないかんじがしますね

『そもそもの原因は一九六〇年代の終わりにあるとわたしは睨んでいる。高校生の政治活動がどんどん激化して、あちこちの高校で卒業式が中断されたり、バリケード封鎖がなされていった時期のことだ。当時の文部省は、未成年者による政治活動を徹底的に制限し、それに関わる生徒の処分を積極的に奨励するという通達を、全国の高校に送った。その結果、日本は中学生・高校生の政治活動が事実上禁じられた社会となった。これは人権の面からも、公共権の面からも、世界できわめて珍しい現象であるといえる。一九六〇年代の終わりに高校生として政治に関わった者の証言は真に少なく、アニメ作家の押井守を貴重な例外として、メディアやアートの領域でそれに言及する者はほとんどいない。パレスチナの子供たちの投石からインティファーダが開始され、大人たちにもう一度、イスラエルの占領軍に対峙する勇気を与えたというような事態は、現在の日本では起こるべくもないことだ。』(子供は悪いのが好きp.61-62より抜粋)

アニメは現実逃避だからなくせだのアニメは草食系男子が流行るのとおんなじアレかーだのとてきとう言ってふんぞりかえってるおじさんがいるんですけど、そもそも草食系男子とか言われてる無味無臭無気力イケメンを求めるおんながいっぱいいる(そのテのおんなは男に高収入と従順さを求めるので仮にオタクさんが婚活しても振り向いてもらえない確率がものすごい高い→アニメのなかの心根の澄んだ女子に逃避する)事実を完全スルーしてるってのもどうかと思うし、あとアニメが深夜に頻繁に放映するようになったのは、きわどい社会問題や暴力表現を盛り込んだアニメを子供が起きてる時間帯に放映するとPTAをはじめとする怪物親が局から原作者にいたるまで超非難してきて作品自体が抹殺されかねないって危険があるからしかたなく、なんでしょ(つーか参照)。ハレンチ学園とかデビルマンの頃って原作者である永井さんが「正義の(笑)母親たち」から悪の権化よばわりされてやりだまにあげられてたらしいじゃん。当の視聴者である子供たちは大喜びで釘付けだったってのにさ。おくあきまさおって人がどのアニメ作品を是としているのかしらんけど(こち亀絶賛て…派出所警官が犯罪スレスレのことばっかやる原作の毒が抜かれたアニメ版をホメる去勢万歳目線でそんなにふんぞりかえれるもんなんだ…)、そういう背景を勘案せずにああいうこと言ってるとしたらモグリもいいとこだよな。それと深夜に流れてるアニメがぜんぜんおもしろくないと書いてるけど、ついさっきギロッポンズルヒーでイリュージョニストみながら思ってたんですが、本来的にアニメーション表現というのは「現実世界に存在するすべてのモノの動きに対する自分独自の愛着やこだわりを再現する」ものなので、アニメ作家全員が真に独自性を追求しているならばたとえ日本国内だけでも今よりもっと多様な個性をもつ(ショメのような)アニメ作品がたくさん生まれてるはずなのに、特に深夜に流れてるアニメ作品やOVA作品みると、過去にだれかがやった動き表現をそのまま安易に流用してるだけ(もしくは極力動かさない)系の「どっかでみたことのある作法」があたりまえのように横行していて、その「マニア間の共通言語的なビジュアル」をみせられるとアニメや漫画とは無縁の視聴者は超えられない壁を感じてろくに正視すらしなくなっちゃうんよ。現日本でどうしてそういうマニア間がうなづきあうための作法がアニメづくりの前提かのようになっちゃってるかというと、そういうもんでしか稼げないからなんでしょ。先鋭的な独自表現アニメってできてなくはないけど、それは日本ではアートのくくりになっちゃうし、そうなると大衆相手じゃないからぜんぜん食ってけないんでしょ。上記抜粋した四方田さん文じゃないけど、政治屋カルト票ほしさに規制だなんだでアニメや漫画を潰しつづけてる警察は点数稼ぎのための都合のいい標的として業界そのものを狙い撃ちにしてるわ、クールジャパン室でアニメ推進なんてウソばっかり。現状でアニメ界にオタク向け作品が横行してるのはお上がなにもしてこずひたすら叩きつづけてきた証拠だよ。アニメの黄金期―1970年代ころからちゃんと資本投入しつづけて多様さを守っていれば、豊かで強いハリウッドのような業界をいくらも育てられたはずなのに、てめえの国の芸術の芽は叩かれ続けて奇形になった挙げ句かろうじて生きながらえてる瀕死状態になってしまったよ。
なにしろ草食系だのなんだののおとなしい人種つくりだしたのは権力者だろってことです。「アニメは子供のものである」「オタクは害悪」という意識の大人がいまだに大量にいる自体がまま政府の人間たちがアニメや漫画というジャンルを見下してきた証拠に思える。本当に国策で支援してきてたらそういう意識もってる人間がほとんどいなくなってるはずなのに。若いのを悪者にして済ました気になってんのなあ。
ちなみに宮崎駿作品がアニメ好き以外の大衆にもすんなり受け入れられてるのは、マニア間がうなづきあうための共通言語的な作法を使ってなくて、現実のあらゆるモノの動きから感じていることを作品のなかにすべて注ぎ込んでいるからだと思う。ヒトだけじゃなく、空や乗り物や、雑踏の歩み、街のたたずまい、布のゆらぎ、すべてに「自分の感じた恍惚」を盛り込む。すべての動きと形状に「自分の結論」をたくす。その恍惚をすべての画面がもってさえいればストーリーなんかシンプルなものでいい。アニメをみるよろこびがそこにはあって、それさえあれば多くは満足してしまうはずだ。