アメリカ軍人が裸の幼女をいたぶったり虐殺してる絵とか本国じゃタブーだよね

4月の涙→パーフェクトホスト 悪夢の晩餐会(8日。両方シネパトス)→ヘンリーダーガー展(さっき。ラホーレミュージアム原宿)とみてきまして、ダーガー展は絵もさることながら展会場の最初のほうに並べて展示されてたダーガーの生涯について説明した文がすごくわかりやすくて、アレほしさに展目録かう気だったんですけどその説明はビタ1文ない(撮影はおろかコピーすら不可、手書きで写せ、て…。)うえ今展の図録自体もポストカード風(ダーガーの描き込んだ絵をまんま縮小したらなんだかわかんねえだろうよ…)の超手抜き体裁でラホーレ企画者バッカじゃねえのって思いました。せっかくの展だっつーのにケチりやがって。グランビル展図録ですら展示説明ほとんど収録されてたぞ?有料でいいから文面コピーした用紙くらい用意しろよ。サービス精神もクソもねえ守銭奴感覚むきだしなのな。肝心の展は生きるよすがとして広大な妄想世界を築き上げた男の残した空想物語とその挿絵群ですが、物語中にでてくる主人公格のキャラたちが小学校低学年くらいの幼い少女たちなんですけど、展会場の説明ではその理由らしき事実として、親と早くに死別したことが起因して「子供が苦難をのりこえる」物語(オリバーツイストやアンクルトムの小屋等)をダーガーが好んでいたことを挙げていてナルホドなーと思ったのと、ダーガーは基本的に戦争グッツから戦時歌までそらんじてたほどの強烈な軍事マニアで、特に南北戦争モノが好みだったこと、それに熱心なカトリック信者でいつか神が降臨するのだとかたく信じていたこと、その信仰に付随するかたちで天候(=神の御業)の移り変わりに執着していて特に激しい天候変化を好んだこと、そこらへんがすべて「非現実の王国で」という空想物語に詰め込まれてる。子供が苦難を乗り越える系列ならば主人公キャラはダーガーと同じ性で男の子にすべきなんじゃ?とも思うんですけど、外見の華やかな女の子への憧れを根底とした抗いがたい欲求をぶつけたのだろうし、そこまでの欲求がありながら近づくことがままならないあたりの鬱屈は絵のなかで少女たちを痛めつけることでどうにか折り合いをつけてたのかなあ、とも思う。挿絵のなかの少女たちが大人の男(南軍兵士っぽい出で立ち)に痛めつけられている中のやりくち描写にはおおまかに2種類あって、ひとつは銃剣のようなモノで刺されたり斬られたりしてる場面(その上でなにかに縛り付けられてるのも多い←キリスト磔刑図から感じた被虐の反映なのかな。少女の内臓さらしもそれの一環かしら)と、もうひとつ異常に多いのが首締め描写なんですね。たしか「首をしめて殺す」という行動は絞める相手に愛着がある場合が多い…んじゃなかったかな。可愛さあまって憎さ百倍的な心理っぽいモノが作用してるような気が。個人的な欲求や鬱屈をしらずぶつけてしまっているという可能性のほかに、か弱い子供たちがこんなヒドい目に遭っている!だから神よ降りてきて!みたいな脅し半分ですがりつきたい心根も少なからずあったのかなー。ダーガーの子供時代の激動っぷりときたらそこらのおとなでも打ちのめされてしまうレベルの展開で、あれを考えると神がどうこうっつーかもうなんか庇護者がほしくてたまらんかったんじゃないかなあとちびっと思う。神がどうっつーか親とか家族とかほしかったんじゃねーすかね…。展会場のダーガー生涯説明文で、目の手術したあとひどいことしか起きなかった、みたいなくだりのあとにたしかクリスマスへの恨み言的なことが書いてあって、あっこのヒトふつうに中二病つーか喪男さんじゃんーて親しみ深く感じましたよ。ダーガーさんて現代美術寄りでみられがちだけど「軍事ネタ+少女」ジャンルの男性漫画家の方がいちばん心証をわかってあげられるんじゃないすかね。成熟した女性がまったく描かれてないあたりのわけもそうゆうヒトたちのが実はよくわかってるのかもしれない。あと絵のうえで気になったのは常に「ある目の高さ」からの構図でしか描かれていないのと、風景(特に雲や草木)が異常によく描かれていること(物や風景はすごく巧みに描くのに人物―特に女キャラが異常にヘタクソ、というのは軍事マニア漫画家にたまにみられる)、ぜんたいが鮮やかなパステルカラーで淡い色調なこと、あと少女たちのまとうスカートや大きな花びら(あのデカい花は一見きれいなんですけど、じっとみてるとグロテスクに思えてくる。もしかして男性器の暗喩てことはないですかね)、それに異形の獣の体にまるい点々模様がやたらに描いてあって、あれはキリスト画でよく描かれるたぐいの文様なのかしら。なにしろ圧倒的な孤独があったからこそこの空想の王国がうみだされたのだなーとしみじみしました。ダーガーのなかの子供はずっと戦いつづけてたんだな。
4月の涙はですね…フィンランドの内戦(金持ち側[白衛隊]と貧乏側[赤衛隊]で殺し合って金持ち側が勝利した)下で終戦間際に捕虜にされた共産主義グループの女性と白衛隊側の男性兵士が情を交わす話なんですけど、白衛隊側が勝者が正義だといわんばかりに狼藉三昧しまくってて、敗者の赤衛隊に対して犯すわ殺すわやりたい放題なんですが、その白衛隊側のひとりの兵がそんな有様に胸を痛めて処刑で偶然生き残った女性闘士を公正に裁くべく遠く離れた判事のもとへ連れてゆく。途中で女性闘士が暴れて乗ってた舟が転覆して漂着した島の小屋でふたりきりで数日間すごすんですけど、女性闘士が色仕掛けするも兵士は応じず、じっとがまんして海をみながらオナニーして済ます…んだけどまあヤってしまう。んで判事のとこいくと兵士をやけに手厚くもてなしてくれて(女性闘士はぼろっちいあばら屋)なに不自由ない生活をしばらくおくるんですけど、この判事も心根は多くの白衛隊の男どもと同レベルにかなり差別的で公正などではぜんぜんなくて、せっかく兵士が連れてきた女性闘士の命運が怪しくなってくる。そんで兵士はとりあえず自分の所属してた軍隊にもどるんですけど、すると女性闘士の待遇が微妙によくなってきて、女性闘士も思い立って判事に色仕掛けしてみるんですけどものすごい勢いで拒否されます。この判事がなんか戦時中だというのにファッションだの装飾だのにやけにこだわっていつも身ギレイにしてて、そのうえなんか詩とか文学とかいちいち引き合いにだしたりすんですよ。そんでまた兵士が判事のもとに呼び出されたと思ったら「私のお願いを聞いてくれるか?やらないか?」とか情緒そっちのけでホモの欲望むきだしにしてきます。ホモエッチシーンは割愛されてんですけど、なんか事後に判事がたいへんやすらかな寝顔してたんで兵士はちゃんと勃っていたせたってことですね。よかったですね。つーかこの判事のホモ造形がなんか…「ホモおえぇぇ」て思ってるヘテロ男が「ホモ=美にうるさい」みたいな漠然とした付け焼き刃情報を元にてきとうに片付けた的な単純嗜好でどうかと思った。あんなお手軽な美意識はリアルホモのじゃない。リアルなホモはもっとイースタンプロミスのように快楽にきっちり淫するんですよ。あと想い人のタマとられたんならやったやつ全員皆殺しにするくらいやったら伝説のホモキャラにでもなったろうになあ。どうもしおらしくていかん。孫文の義士団じゃないけど、なんかこう心意気が駆逐されるいっぽうでなあ。監督さんがパンフの写真で不安げな顔してたんでこれ以上悪くは書きませんけど。いくつかの大国に蹂躙されたり翻弄されることが多すぎて、強者の機嫌取りながらずる賢く生き延びることが国民性のようになってしまった件とかちょっと思い出した。欧州のちいさい国はそうゆうかんじのとこけっこうありそうな。
パーフェクトホストはソウの作り手がらみだそうで、リアリティそっちのけでどんでん返しのくりかえしをみせつけてきます。客の想像の裏をかくのを目的にしてる作りって現実味度外視で姑息で大仰なテばっか繰り出すから作り手が鼻息荒げてるのが透けてみえちゃって興ざめですね。こう母親と歩いてたちっさい子が急に駆け出してって、曲がり角に身を潜めて急にワッ!!てでてきて完璧に母親を脅かしてると思い込んで悦に入ってるふうなちっさい子。スジとしては手負いの強盗が口八丁で入り込んだお宅の主人が頭おかしい人で、手負い強盗がさんざんもてあそばれるとゆうモノです。なんかさ、どんでん返しネタって「主人公キャラが出し抜かれてる」も込みでそれがより多いほうが都合がいいんでしょうけど、そうすると主人公キャラは相当にどんくさいとゆうか頭悪ければ悪いほどイイ、ということですね。はーん。いろいろカキましたけどオチまでみたらなんとなく憎めない作品かなあ、とは薄く思った。体育会系とか軍隊系でたまにあるけど、鬼畜リンチや拷問をたのしみでする人はなぜ軽々しく写真に残すんですかね。あとなんかロスコの絵がやたら映ってたけどあれ実物かね?ロスコの現物ってあんなちっさいのあったっけ?