モネの奥さんが死ぬ直前の三角もつれ感はつらいっすね

コブラヴェルデ 緑の蛇(19日。イメージフォーラム)→My Son, My Son, What Have Ye Done→アリスクリードの失踪(ヒューマントラストシネマ渋谷)→パン・ホーチョン、お前は誰だ!?(シアターN)で最初の2本はヘルツォークという監督さん作品ですが、全作みたわけじゃないけどこの監督さんは「途方もないちから」に絡めとられて屈する者の姿を一貫して描いてるふうに思う。いちばん最初にみたこのヒトの作品がアマゾンのジャングルの奥地にオペラハウスを建てると言い張って大量に雇った(…のか?)現地の土人たち(独自の風習で動くのでいちいち言動が意味不明でブキミなとこがすごくイイ)を指揮して巨大な船ごと山越えしようとする映画なんですけど、ネタバレでいうと結局その野望は果たせなくて、ぜんぜん叶わないんだけど、それでもこの男は矜持を捨てたりしない。そのデタラメに巨大なフトコロ具合に涙腺が決壊しました。柔道龍虎房に次ぐ号泣映画だった。この映画に限っては「屈してもなくならないモノ」について描いててすんごいスキなんですけど、コブラヴェルデについては歴史上に刻まれる巨大なちからに絡めとられたまま何も得られずにゴミのように朽ちゆく男のありさまを描いていて物悲しかった。この作品も大量の現地土人に苦役を課することが軸になってるんだな。スジとしては一匹狼の裸足の盗賊(クラウス・キンスキー)が偶然農園経営者に見初められて労働者の監督をまかされるんですけど、そこにいたおんなたちを片っ端から孕ませる等の天然悪党っぷりが災いして奴隷用黒人調達係として僻地勤務に向かわされるとゆう話。ジャングル船越え映画にしろコブラヴェルデにしろ、最初は野望をたぎらせた1人の白人がひしめきあう土人たちに暴力的な苦役を課して支配してるんですけど、その野望達成が見込み薄だとわかってくるや、うちひしがれはじめた1人の白人を多数の土人たちがじっと見つめてるふうな光景に変わってくる。しかも土人たちはどんなに痛めつけられても元来持っている風習や性質をすこしも捨てておらず、スキあらば踊り出したりお祈りをはじめたりする。さも最初から支配などされていなかったのだとでも言うかのように。巨大な利益をつかめるとばかりに勤しんでいた奴隷貿易が頓挫したとわかると、キンスキーは一刻も早くこの過剰に異質な土地から脱出しようと浜辺の船をだそうとしてひっぱるけれど、重たげな船はピクリとも動かない。ついさっきまで数百人の土人たちを意のままに操ってなんでもこなしてきた男が、いまや船一艘すらままならず、砂浜でひとりもがきつづける。そのようすをみて足萎えの土人がひとり、両腕を足代わりにして近づいてくるものの、もがく白人を手伝うことも阻止することもせず、近くまで来てただみつめる。「なにもないこと」に苦しみむせび泣く白い男を。なにもないことに耐えられないでいる白い男。人の心―それを手にしなければなにも手にしていない状態も同然なのに、それを手に入れようとはせず、カラッポなモノだけを血眼で追い続け、カラッポなことがわかると1歩も動けなくなってしまう。
My Son, My Son, What Have Ye Done は実生活での抑圧(支配的母親と長年同居)がキツすぎて独自判定の「救われるルール」に則ってるうちになにが現実か判別がつきづらくなって母親を殺害してしまったヒトの実話がもとになったらしい作品。ちいさい子がよくやってるけど「10秒以内にコレやったら呪われない」みたいな特に根拠のない迷信じみた決め事でチマチマ安心感を得てるうちに、それをやらないといられなくなって「独自ルール」に関してのひとりごとをブツブツつぶやき続けるふうになったようなかんじの男性が主人公…なのかな。つねに安心感を得たいヒトにとってそれを脅かす恐れのあるネタ―たとえば世界崩壊的な陰謀論なんかは気にせずにいれなくて、アレをこうしないとみんな死んじゃうんだッー!みたいに意味不明の論理を叫びつつ暴れ出す光景をつぶさに追ったような流れの作品。そんなふうになった原因はハッキリとはわからないんですけど、結婚秒読みの彼女から過干渉の母親とは離れて住むことを切望されてて、でも男性としては愛する母親を無碍にするわけにもいかなくて、ふたりの女性への愛情と意に反する行いを同時進行しなくてはならないことの板挟みでゆっくりと精神の均衡を崩していってしまったのかな…?的な描写はある。彼女が「もっとお義母さんから離れたとこに住みましょうよ!」て男性に詰め寄ると「じゃあそこの家買おうよ。だめならそっちの家」とかふつうにヒトが住んでる中の家をてきとうに指してまわるようなことをしはじめるし。彼女さんや実母さんにとってはささいなことも、男性にとっては血を吐くほどの究極選択だったのかもしれない。それを強い続けてしまったせいか、日常で見聞きした「いま直面している問題への優れた解決方法」ぽく思えることを片っ端から実行しはじめてしまうとゆう。この男性の言動もだんだんいかれてくからおかしいんですけど、男性の実母のふるまいもちょっとシュルレアリスム入っています。特に男性が彼女さんといっしょに実母さんから夕食をごちそうされてる際のシーン。顔色を伺ってるわりにマズいゼリーを強引に押し付けたりして挙動がそこかしこ怪しい。表情の替え方が突発的だし理由がわからなくてこわい。
ドリームホームの監督さん作品特集上映は短編がいろいろ詰まった編でした。性や死について掘り下げてむきだしにするスタイルなので信頼できる。ねじれたりこじれたりするドラマちっくのもとが詰まってますからね。セックスにお互い満足できない心理学教授とその妻の快楽ポイントのすれちがいが重なった挙げ句だめ押しでアラレちゃんの歌が出てきちゃう話とか、結婚までは処女保持原則な彼女とどうにかセックスしたい彼氏が、苦肉の策として編み出した「祝日しゃぶらせ」がなんとなく惰性でダラダラ続きはじめて…て話。どっちの話にしろ男側の快楽点がセックスの中心であるかのように描かれてるのがなんかな。おんなを気持ちよくさそうとはしないよねパンさんて。特に後者はおんな側が「性交に対する忌避感情」を強く持ってる=嫌悪感が強いってことだろうから、性交を受け入れさしたいのならばまずその嫌悪感を薄めてあげる=性交に対する好意的感情をふやしてく=おんなに快楽を与える、つーのがスジなんじゃねーかと思いますが、話の方向性からか「身持ちのカタい女子が祝日の開放感でついしゃぶっちゃう」のつるべ落としが展開されてゆく。ちんこしゃぶらされるだけだと貞操観念のつよい女子ほどセックスに対する嫌悪感が強くなる気がすんですけど。おんなにとってのおもしろさがなにもねーじゃんよ。よくゆるしてるよあの女子。まあ監督さんのファンタジーだからアレですけどさ。ふつうは祝日のゆるみだけであんな都合良くなんねーよ?そうやって艶笑譚にはファンタジーをふんだんにもりこむ反面、女子間の嫉妬心情をリアルに描写できる男ってのはいったいどうなってるんだ。つきまとってくるウザい女友達を見下して片手間で接してたものの、実は自分はその女友達よりも下手こいてることにずいぶんたってから気がついてしまうおかっぱのなんたらて作品がけっこうよかった。安っぽい邪心は天然幸運持ちにはかなわないという。呪いが時間のムダってのはそこらへんが関係してんだろうな。
アリスクリードは題名どうりの結末なところがいさぎよくてよかったです。 ビッチは女とは限らない真実。