そこにあるのに気づかないモノの件 1

   

上記画像はこれこれのモノ。両作共ドラゴンボール等の一時代を築いた少年(おもにジャンプ)漫画が見ないフリしたりゴッソリ切り捨てた部分を意図的に扱ってる点で共通していて、特に狂四郎2030を読んでると「殺し合い」における一番重要な部分を重戦闘してるはずのドラゴンボールではサッパリ描かれていないことがすごくよくわかる。ドラゴンボールの重戦闘は読んでるときにはわかりにくいんですけど、リアルではなくてファンタジーが9割占めてる描写なんすよね。鳥山明は「らしく見せる」描写の天才(感覚だよりで描く天然系作風)なんで、リアリティをだすための知識なんかなにもいらない。こういっちゃなんですけどまやかしでできてるとゆうか、一見重たい描写でも実はものすごく口当たりのいいスイーツなので世界中で売れまくって数千億稼ぐことができたんだと思う。それに対して、戦いにおける「リアル」や愛や弱さについての真実をこれでもかと盛り込みまくった徳弘正也の漫画はドラゴンボールのように爆発的に売れたりしない。なぜか?真実は厳しくてドギツイので、ふつうの人は眼前につきつけられるとたじろいでしまうからです。エグいもんをいきなり目の当たりにしたらビックリして手に取るのを躊躇してしまいがちなのはしかたのないことなんですけど、本来的にはそこらへんのキツさをも克服していて克つ楽しめるのがイイ大人ってもんなんですよねー。チビッコがそうゆうもんにビックリするならまだしも、いいトシこいて真実に耐えられないってのは成熟してるとはいいがたいんよねえ。いまだにベストセラーになるもんて「キツい真実」よりも「心地よいファンタジー」部分の割合がすんごい多くて、それってベストセラーと呼ばれるもんをつくりだす「大衆」という存在が創作物を麻薬がわりにしか思ってない証拠なんすよねー。ジムトンプスンが傑作を書き上げたときも「これでオレもベストセラー作家入りだー!!」とか確信したらしいんですけど、その作品が一応出版社から出されたはいいもののキワモノ扱いなうえ特に文筆業界でも取りざたされることもなく鳴かず飛ばずで貧乏なままだったらしいんですが、それは当時としてはグロテスクすぎる真実を突きつけてしまったことが原因なんだよね。特にあの体裁がすべてな時代のアメリカではトンプスンのえぐりっぷりを突きつけられたら、大衆的には目を逸らして沈黙するか抹殺するかしか対処のしようがなかったんじゃねーかと思うし。真実にどれだけ耐えられるかで大衆の精神耐性や成熟度がなんとなくわかるかんじっすね。追記(7/15)。精神成熟度といえば久保保久徳弘正也は作品中でえげつない性をネタにしながら同時に「とりもどすことのできない喪失」を必ず差し挟む容赦のなさを貫いてて、笑いの隣に死がある落差感も手伝ってド下劣なのにすごく劇的でもあるんですよね。それに対して鳥山明ドラゴンボールの前にやってたギャグ漫画(アラレちゃん)のときから性に関するネタはごく軽く(結婚したのにセックスのセの字も知らない夫婦に子供ができ、その後もずっと夫が妻のパンチラをみようと奮闘し続けてる)しか扱わず、克つドラゴンボールでは絶対喪失を描こうとはしなかった。シリアス話なのに主要キャラが死んだらすぐ生き返らせちゃって。えげつないまでに性と暴力を掘り下げて読者の心を揺さぶろうとする作家の持つ厳しさが鳥山明にはまったくなかったのかもしれない。みょうな幼さがあるんですよね。鳥山明の作風って。子供のみる漫画で性をどう扱ったらいいのかわからなかったのか出したくなかったのか。性に関する稚拙な嘘設定とかギャグ漫画家としてはあるまじき欠落があんだよなー。うんこネタはあふれんばかりだったのに。千兵衛さんはエロ本が大好きでいっつもみてるのに、子供の作り方をしらないとかいうんだよね。赤塚さんをはじめとして優れたギャグ漫画家からしたらえげつない性はかっこうのネタだろうに。もしかしたら永遠に成熟できない漫画家なのかもしらん。その幼児的ファンタジー具合が国民的作家たるゆえんなのでしょう。なんせネオテニーなお国柄です。たしかディズニーランドが大好きなんですよね鳥山さんて。テーマパークはだれも見とがめないしな。大衆にとって都合の悪いもんや「みたくないモノ」は鳥山作品にはいっさい描かれてないってことなんだろうね。
徳弘作品の件にもどしますけど、狂四郎2030は血沸き肉踊るアクションと愛憎交錯サスペンスのあいまに「権力に抗する」という点における過去の哲学者たちの思想をかなり引き合いにだしてくるあたりもすごい勉強になる。近未来が舞台の人類コントロールの話なんでそれまでの人類史を振り返るのが自然だし。世界の危機のときにはいろんな国の頭のいいヒトたちがそうゆうやりとりをしてるだろうに、ドラゴンボールみたいな「少年アクション漫画」ではそうゆうマンドクサいことは全部切り捨ててあんだよね。まあ戦いで勝ち得るカタルシスだけがお題だからしかたないんだろうけどさ。徳弘さん作品でも読まないかぎりはそのテのアクション漫画がリアリティからどんなに離れてるか自覚することすらできないんよ。戦いのリアリティもすごいけど、愛に関しても同じくらいリアル。男がいつもちんこいじりしてるあたりをはじめとして、女性が性暴力にさらされても苦しみながら乗り越えてゆくシーンをかなり描いてるあたり。都合のいいファンタジーが徹底してなくされてるので、おんなを喰いものにする男の卑劣さと、女自身の快楽への欲求、どちらにも屈せずにひとりの男への想いを貫くこと、女性の性に関することをもあますことなく描いてるから、そうゆうキャラの言う「愛」は絵空事ではない重みとして心に訴えてくる。つーわけで狂四郎2030はおとなのための正統派娯楽漫画として文句のつけようがない傑作。徳弘さんほど読者の心を動かすことに誠実な作家はいない。いま描いてる中の新作狂四郎2030に連なる熱い話なので必見。徳弘さんはキャラを危機的状況にぶっこむのがうまい。愛や悪とひとくちに言ってもいろんな場合があるということを真摯に掘り下げる作家はどのヒトもおとなの鑑賞にたえうる作品をつくっていますよ。

アザゼルさんは時事ネタ多用の諷刺ギャグ作風でどう考えてもおかしいもんをぶちまけずにいられないあたりグランヴィルの系譜ってことになるのかな。口にするのが憚られるような忌避ネタ(スカトロ性癖やセクハラ言動)もちっこいケダモノキャラが大喜びでやってるともはやなんの脅威もなくなってしまいますな。