最近(翼のあるほうの)天使映画みてないなー

メタルヘッド(17日。えぬ)→マイティソー(渋谷東急)→イグジッドスルーザギフトショップ(シネマライズ)→ムカデ人間(シネクイント)→スーパー8(18日。日劇)→BIUTIFUL(しね)→デビル(日劇)とみまして、メタルヘッドは現代に降臨したキリスト様の話。自分や家族の心と体を守ることに対する覚悟がないくせに「幸福」ばかり求めては得られないと嘆いてる自堕落なヒトに活を入れにきたっぽい。主人公はかーちゃん亡くした少年(TJ)とそのとーちゃん(失意で失業中)で、TJは死んだかーちゃんの思い出が染み込んだ車を手放したくないのにとーちゃんが強引に売っぱらってしまったこととか、ことあるごとにいじめっこに痛めつけられたり辱められることにむしゃくしゃして建築中の家屋にむけて岩投げつけて窓ガラスを景気よく壊してみたら、中から半裸の男が飛び出てきて引きずりまわされる。そんときはポリがきて半裸の男は汚い車で逃げてったんですけど、半裸男は車乗ったままウロウロしてたらしくて、TJの家をみつけてしまってなんか住みついてしまう。TJはもちろん住まわせないようにしたかったんですけど、半裸男から枝きり鋏みたいので鼻挟まれて「仲のいいダチのようにふるまわなかったら殺す」て脅されていいなりになってしまう。TJも子供とはいえマジにイヤだったら半裸男を追い払う方法なんていくらもあると思うんですけど、たった1回脅されただけでなにもできなくなってしまうんですね。これさ、入りこんできたのがキリスト様だったからいいものの、マジに変質者だったら家族全員皆殺しにされて家燃やされても文句いえないよ。チビッコであろうとなんだろうとそれは関係ない。特定の状況下で自分がすべきことをわかっていないというのはつまり覚悟が備わっていないということ。それはいじめっ子に対しても同じで、本気で戦う気があるなら方法はいくらもあるはずなのに一方的にやられてばかりいて、それはなぜかというと自分が傷つくのが怖いからなんだろうな。それは同時に自分のほんとうの気持ちから目を逸らし続けることでもあって、傷つくことを怖れるあまりに自分で自分の心をないがしろにしている。そんなだと他者を守るにしても「抱えてる気持ちをないがしろにする」手段しかなくなってしまう。逆らわずに痛めつけられてればそのうち済むから、とか、会わないように避けたり逃げたりしろというふうに。TJの家に押しかけてきたキリスト様はその日暮らしを長年してきたせいか、行動に躊躇がない。TJがいじめられてるとみるやいじめっ子の車にラクガキしたり、それでもまだいじめれば車にガソリンぶっかけて火つけたりする。びびったTJがキリスト様にくってかかる。傷つくことを怖れるあまりに「自分の身はどうなってもいいから友達の尊厳を守る」てことがわからなくなっているTJ。ある日思い立って諦めきれない車の件でいじめっ子の家に押し込んで、キリスト様のやりかたをまねていじめっ子を脅してみるんですけど、その脅しが嘘なのが一瞬でわかってしまって軽々と反撃されてしまう。キリスト様が相手を脅すときって「こいつは鼻のひとつやふたつ程度いつでも切り落とすやつだ」という異様な迫力があるんですけど、TJの脅しにはその気迫がまったくない。「自分を捨ててでも何かをやる」という覚悟をぜんぜんもってない程度の形だけの脅しなのが伝わってしまうからなんでしょうね。捨てられないもんをいっぱい抱えてたら手が塞がっちゃっててケンカなんてできないし。キリスト様は全部捨ててる人の「どんなことでもやりかねない」感を全身にまとってるので脅しもたった1回きりですむ。メタルヘッドのキリスト様もエクソシストで憑いてる悪魔も「覚悟」をためしにきてる点では同じに思える。メタルヘッドのキリスト様は迷える子羊を導くのに対して、エクソシストの悪魔は偉ぶってる人をぐらつかせにかかるもんだから方向性はちがうけど。キリスト様は何事にも覚悟をもってのぞむので、暴力的な行いだけでなく、たいせつなヒトを見送る際もすべきことをきちんと心得てしっかりやる。キリスト様は自分や他人の気持ちをあいまいなままでスルーするのに我慢がならないみたいで、近しいヒトが死んだってのに形式的なもんでさっさと済まそうとする葬儀で暴れたりしたうえ、自分なりに納得いくようにキチッとけじめをつけます。ぜんたい覚悟がなければたいせつなものを尊ぶことができない、というおはなしで、利益がどうこうじゃなく「気持ちに向き合う」ことは何を差し置いてもとにかくやることが大事、つー結末です。キリスト様はいろんな方面で覚悟があるのでなんかTJが片思いしてる女の子(ナタポ)といきなりヤッたりしちゃうんですけどトラボルタの天使映画(わりとよいロードムービーだった)もそうでしたが、アメリカ映画で現代社会に降臨した神や天使を描いてる場合、なぜか性にものすごく寛容でみんないっぱいエッチしたほうがいいよ!みたいなかんじなんですよね。アメリカらへんの巷のキリスト教信仰て性に厳しいですけど、あの映画中の性に奔放な天使や神ってのはいったいなんなんでしょうね。尚、パンフではメタルヘッドの監督がいかにメタリカ好きかとゆうお話を伊藤政則さんが熱く書いてらしてます。

『(中略)女優さんの顔が僕のオシリにくっついているというのは、変な感覚だった。
 オシリの型を取られて、みんなにお別れをし、僕は自分のホテルの部屋に戻った。まだ、僕は映画での自分のキャラクターの役作りの作業をしなければいけなかったのだ。さてどうしようかと考えるも、何も浮かんでこない。すこし休憩しようと思い、ベッドの上でネットサーフィンをしていると、ユーチューブで「亀田史郎VSやくみつる」という動画を偶然見つけた。それは亀田興毅ファン・ランダエタと闘ったWBA世界ライトフライ級王座決定戦の直後に、亀田兄弟のお父さんと漫画家のやくみつるさんがテレビのワイドショーで口論を繰り広げたやつだ。やくさんに睨みをきかす亀田父のエネルギッシュな関西弁の喋り方が強烈で、それを見た瞬間に僕はコレだ!とひらめいた。』(ムカデ人間パンフの北村昭博さん文より抜粋)

ムカデ人間パンフ執筆陣は「空気に触れさえしなければうんこはおいしい」とかここぞとばかりに力説してんじゃねーよ。車のタイヤがパンク(あれって博士のしかけた罠かなんか?)して助けを求めてきたねーちゃん2人とどっかでつかまえられてきた日本人ヤクザ男性が、狂った博士によって口と肛門を縫いあわされて四つん這いのまま1列でしか動けなくなる話。日本人ヤクザ男性は列のいちばん前で関西弁で終始スゴんでるんですけど、うんこでるときにァ…アッ…でる…スマン……てブリブリして肛門に口を縫い付けられてるアメリカンガールの口中に直脱糞します。泣きながらうんこをのむしかないアメリカンガール。ふつうあんなんなったら吐瀉物で窒息するよね。でもアメリカンガールはメンタル強いみたいでベソかきながらうんこ直吸いする。つなげられた3人はどうかして脱出しようとすんですけど、ヒザは曲げた形のままになるような手術(どっかを切断したらしい)を施されているうえ口と肛門が縫合されてるので思うようにいかない。おまけに列のいちばんうしろのアメリカンガールが体の弱い子だったらしくて、縫い目が腐ってしまって死にかかっている。口と肛門の縫い付けかたなんですけど、口部分だけじゃなくて顔面の頬骨のあたりまで斜めにガバっと切開して、尻肉の部分に広範囲にガッチリ縫い付けてあんですね。接合手術直前に狂った博士がつかまえた3人にむかってホワイトボードに図を描きながら説明すんですけど、説明っぷりはごくまじめなんですけど内容がトチ狂ってるもんで3人はワアワアギャアギャア狂ったように叫びます。アメリカンガールからこの変態!てぶつけられても「そうさ私は変態だ!ハッハッハー!」て広義としての意味合いすら通じないありさま。この狂った博士はシャム双生児の切り離し手術で世界的に名を成してる名医らしいんですが、切り離してばっかいたら狂ってしまったとでもゆうのか。こんどはつなげたくてしかたなくなってしまったもよう。部屋のあちこちにシャム双生児がらみの写真やらアートやら飾ってあります。つなげたい欲求の最初の犠牲になったのが犬たちで、やっぱり3匹の口と肛門をつなげたらしいんですけど死んでしまった。こんどは人間で、というわけです。うまいことつながった3人をみてはしゃぐ博士。庭に出してコッチこい!コッチこい!とペット扱い。逆らうと鞭でベチベチ叩いたりします。狂った博士はつながった人間に愛着もってるわりに「どのポジションがいちばんツライか」もよくよくわかってて、最後まで抗った人をそのポジションに据えたりする。結末はまあ考えうる最悪のアレなんですが、あんなんだったらもうむりやり動いて肛門ちぎってしまったほうがよかったんではないかね。アメリカンのねーちゃんふたりもタイヤがパンクして往生してたときにきたセクハラオヤジをてきとうにヤッて骨抜きにして車でも奪ったほうがよっぽどよかったねえ。あのオヤジはねーちゃんたちに向けてレロレロレロ〜みたいに痴漢的行為かましてたけど、ふたりがかりでヤってしまえば案外すぐにヘロヘロになったと思うよ。

バンクシー映画の詳細については書き尽くされてますので置いとくとして、古着屋さんのつくった詰め合わせうんこ映像みせられて「ざ、斬新だね……」てうつむきながらつぶやくバンクシーを想像するだに萌える。バンクシーさんわりといいひとだな。あと深夜に街角でラクガキしてた人がポリに追われて猛ダッシュで逃げるシーンがすごくよかった。ああいうとこばっかりいっぱいみたい。古着屋さんは尊敬するアーチストのお墨付き得たことに調子づいて美術活動しはじめるけど、ゲンダイビジツてアイデアが売りだから既存の美術家のやった手法をなぞってる時点で二次創作でしかないんよね。そんな同人誌的なもんでも宣伝にカネつっこめばヒマなヒトが殺到してきて涙ながしてよろこんでくれるとゆう現実がおさまっています。古着屋さんの尊敬するゲージツ家のヒトたちは新しいものの見方を鑑賞者に提示してるけど、古着屋さんだけに既存のもんを売りつけるしかできねーとゆう。

マイティソーは異世界からきた存在が地球で体験する異文化体験描写が圧倒的にたりなさすぎる。洋服の着かたなり住まいなり食べ物なり、いちいちおっかなビックリするのがたのしみなのに。土人さんに梅干食わして悲鳴あげんのみたいだろ。そうゆうのがぜんぜんねー!!なにしてんだせっかくの異文化ネタで!!!はじめて地上に降りた天使がフライドポテト気に入っちゃってフライドポテトしか食べなくなっちゃった的な極端さがないと。あと幼少期から培われた頑なな心が1日2日程度で解きほぐされると思ったら大間違いです(経験者談)。やりかたしだいで濃厚になったであろうネタを記憶に残らないようなクズにしたてあげた。弟さんも育ててもらった恩を全部忘れてたちまち悪者になっちゃうってのがなあ。いろいろご都合スジで超やっすい。

デビルは高層ビルのエレベーターに閉じ込められたメンツが全員うしろめたい経歴で、エレベーター内の電気が消えるたんびにひとりずつ死んでいって…みたいなサスペンスホラー映画(か?)。モニターみてるメキシコ人警備員は解決策さっさと言えよって思った。最後の最後になってようやくつぶやく始末。エレベーター内のヒトが死んでいくにも理由があって、悪魔が悪いやつの魂ほしさに刈り取ろうとしてのことなんですけど、超常現象的存在(悪魔)が裁きを下せてしまうってことはつまり人間の努力がなんにもならないことになるような…。物語の原型的なもんをつくろうとしてんのはわかるけど、基底思想が絶対善と絶対悪に基づいてるんで世界観がやたらちっさい気がすんだよな。その判断基準だと判別不能な事例がいっぱいでちゃうんじゃ。そもそも自業自得て「やったことがかえってくる」ってだけで善悪とはあんま関係なくないか?

スーパー8はつかまった宇宙人が帰る(丸タンクのてっぺんを土台に宇宙船つくるところはきれいだった)話ですけど、主役キャラの子供たちがなんかどの子も聞きわけのいい良い子ばかりでなあ。脚本をとどこおりなく進めることを優先しすぎて子供たちの個性なくしちゃったみたいなかんじ。まあいちいち濃厚なキャラだと先進まないですからねえ。子供たちのキャラを二の次にしたもんだから子供映画としての面白さがスッカスカ。スタンドバイミーとリトルランボーズを100万回みたらどうか。

ビューティフルは死者の魂がみえるバルデムが癌で余命二ヶ月になって、貧しいなかで移民の違法労働の世話したり、ちいさい子供ふたりの世話ができそうな人を探したりするものの、改善しようと手がけたことがぜんぶ悪い方向になってしまって死ぬ話。ひたすら暗い。スピリチュアルで荒稼ぎしとけばせめて子供はまっとうに暮らせたかもしれないのに。仕事とか生活に対してストイックでこだわりがありすぎたのが原因なのかな。