組織に忠実な殺し屋て要するに社畜ですな。

キラーインサイドミー(20日ヒューマントラストシネマ渋谷)→メカニック(21日。バルト9)→アザーガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!(ヒューマントラストシネマ渋谷)→殺られる→イースターラビットのキャンディ工場(23日。日劇)→赤い珊瑚礁 オープンウォーター(24日。シネパトス)→ドライブアングリー3D(日劇)とみまして、ドライブアングリーはなにこのグラインドハウス映画。しかもワタクシに向けてつくられたような悪魔系話だし。あやうくみのがすとこだったぜ。監督さんは名前からしてとうとうフレンチ人がここまでアメリカン完コピする時代にー!と思ったらウェスクレイブン仕事をずっとしてきたうえゴッドアーミー3がデビュー作などとゆうゴリゴリなヒトだった。パンフの監督さん談では「1967年あたりから70年代中期のスティーブ・マックイーンチャールズ・ブロンソンが出ていたカーアクション映画」や1970年頃の主人公が暴力的な活躍をする映画をもとにつくってるとのことなんですけど、ドライブアングリーはどう考えても80年代のチャックノリスの映画つーかタランチーノの企画したほうのグラインドハウス映画すぎます。一刻もはやく吹替えてお昼にテレ東で流したまえ。ブロンソン映画てまあ自警団モノ多いからむやみやたらとブッ殺すイメージがあんのはわかるんですけど、もっと相反するフクザツな感情を観た客に抱かすような設定になってて本来的に一筋縄ではいかないはずなんですが、ドライブアングリーは色っぺー金髪女!イカした車!爆破!暴力!みたいに溜まりきった性と暴力衝動を昇華してあげる的な画ヅラをただただ盛り込んであるよ。60〜70年ころの男臭い映画の魂を継承してるのは今やってるのだとスーパー!とアザーガイズがいちばんちかいと思う。スーパー!にあるもんがドライブアングリーやステイサムのメカニックにはさっぱりねーもん。「きもちのいい爆破・裸・暴力」の比率が多い時点で相反するフクザツなもんを抱かす気なんてどこにもねーじゃんよ。ステイサムのメカニックのパンフで青井邦夫さんがブロンソンのほうのメカニックのあらすじについて書いてるけど、主人公が神経症的な仕事をこなしつつ精神が蝕まれていってる暗殺者ってもう設定からしてバリバリに文系の琴線をかきならす悩ましい系列ですけど、ステイサムのメカニックてただ暗殺者仕事を淡々とこなし続けるだけの体育会系なんだもん。お客を悩ませようなんてビタ一文してないし、ステイサムも殺しについてなやむ様子とかまったくない。ただただ殺す。ステイサムのメカニックパンフの監督さん談で「彼(主人公)はおそらく元軍人で、この職業について25年ほど経っているだろう」て部分があんですけど、これは監督さん(経歴作が爆破アクション映画ばかり)なりにリアルな「暗殺者」像を具現化したモノなのだなーとは思う。しかしだね。「殺し」だと気づかれないのが最上の仕事だっつってるわりに黒装束で真っ昼間に高層ビルの外壁にぶら下がったりしたらいけないと思う。街中でひと悶着してんのにろくにツラも隠さないし。あきらかにどっかの監視カメラに映りすぎてるだろってとこいっぱいありすぎる(特にバスんなかであんなんしたらとっくに指名手配かかってるだろ)。まあ筋肉バカアクション職人監督さんにはこれが「暗殺者のリアル」の限界なんだろな。あとステイサムのメカニックって、恩人の息子を自分の後釜に据えようとするくだりがてきとうすぎて説得力がまったくねーのよ。特に兵役とかの下地があるわけでもない金持ち息子を精神的にも肉体的にもハードな暗殺仕事に加担さすってプロとしてはちょっと自殺行為に等しいくらい危ないじゃん。プロ殺し屋としてあんなに注意深く生きてる男がハンパなチンピラを育てようと決意するに至る描写がなにもない。 たとえばステイサムの暗殺者としての腕がニブり始めたとか肉体的欠落を抱えはじめたとかの「後継者がいなければならない」理由をなんらか描いたら観客の移入度もグッとあがってちょっとはよい映画になったろうに。つーわけでリメイクのメカニックはステイサムの「俺様に逆らうと殺す」映画です。感情的アヤとかなんもねー。ドライブアングリーにもどしますが(純粋にたのしみたい向きは以下直視してはいけません)、ニコラスケイジは娘の赤ん坊をとりもどそうとしてて、娘の赤ん坊つーのがカルト団体の教祖に生贄として殺されそうなんですが、なんで娘の赤ん坊がそんな連中の手にあるかとゆうと生前のケイジがけっこうなワルだったこともあって娘さんがやさぐれてカルト教団に入信しちゃったんですけど、だんだん教祖がただのバカだとわかって教団から抜けようとしたら逆に殺されちまって赤ん坊だけが取り残されちゃったとゆうアレで、ケイジはその教団のメンツから狙われるのと同時に地獄へと連れ戻すべく地上に降臨した死神からも追われていて、その死神が現代の風潮にあわせて黒スーツのいでたちでイカッス。ケイジも死神も不死者なんで回復までわりと時間がかかるものの撃たれても死んだりしません。ケイジが教団を追う途上でウエイトレスの金髪チャンネーを拾ったり(ダイナーでのウエイトレス仲間と店主のオヤジとの絡みからDV夫との殴り合いまでのシーンがたまらなくグラインドハウスすぎる。あのシーンだけくりかえしみたい)、イカス車爆走シーンだの口径のデカい銃をやたらにブッ放すシーンだのおっぱいだのてんこもりだよ!ムダに裸!ムダに名車!ムダに暴力!ケイジと連れ立ってくマブい金髪チャンネーは映画中で「ダテにテキサス女やってないよ!」みたいにいうんですけど、このアンバーハードさんはリアルにテキサスっ娘なのな。キレーだし暴力はまっすぐふるうしすごくかっこいいぜ。ハードさんみるだけでもおトク。元カレとまぐわってた女をベッドから引きずり下ろして殴るときも平手じゃなくグーでガツガツやってましたしね。この映画のキャラだいたいすきですけど、テキサスっ娘のハードさんのつぎに死神役のフィクトナーさんがよいですねー。このテって地上に降臨した悪魔映画でわりとあるんですけど、みょうに冷静で人間をまったく怖がらないってゆうね。けっこうな事故してもスーツには汚れひとつなく無傷で涼しい顔してるっつー。コインを投げるとFBIの身分証に早変わりっつーキザな仕込みも憎めない。この死神役してるフィクトナーさんはリアルでは車の部品マニアだそうで、今作にはイイ車がでるのでとても楽しかったそう。車の部品にしか快楽を感じないサイコパスみたいな役どっかでやらせないか>だれか監督。なにしろロバートロドリゲス映画がツボる方はみとかないとかならず後悔する作品です。なんか…ドライブアングリーについてはワイルドスピード的な宣伝のしかたは激しく間違ってる気がする。もっとグラインドハウスってはっきりだせばいいのに。潜在客にとどかないよあんなふうじゃ。ところで主人公に襲いかかってくるカルト教団は「悪魔教」てわりに田舎のやさぐれたヒトの寄せ集めっぽいユルい雰囲気で、だれもがただヒマなので手伝ってるふうです。そもそも赤ん坊ひとりぽっち捧げたくらいで地獄を地上によべるのなら誰かがとっくにやってる気もします(それ以上に劇中でめちゃくちゃ死者でてるけどその命はビタ1文カウントされないのが悲しいね…)。信者のひとりが「教祖様は悪魔と契約したんだ!」みたいなこと言うとフィクトナー扮する死神が「えっ?そんなこと悪魔はゆってなかったけど?」とか話してたし。マジな悪魔教団て信者全員が教義を把握したうえで動くからもっと軍隊的な動きをすんじゃねーのかな。ステイサムのメカニックについてはドナルドサザーランドの散り際がいさぎよくてとてもかっこよかったですよ。

殺られるはむかしのフレンチ映画ですが、サスペンスアクション映画てもしかしてフランスが元祖なのか?て思えるほどおもしれー!今やってるこの愛のために撃てとかがなにもアメリカ映画に感化されて1日2日でできたもんじゃないんだなってことがよくよくわかる作品。白黒な時代の作品なんで悪者側の手下とかがわりと間抜けで出し抜かれちゃったり格闘でも先手とられてジタバタするようなのどかなとこもあんですけど、主人公側と悪者側のキャラが配役どうりにキチっとたってるし、でてくる女性もきれいどころ(おっぱいポロリもあるよ。なぜか乳輪でかいヒトばかりだけど)ばかりだしでちゃんと観客を満足さすポイントは踏襲してあります。スジとしては結婚まぢかの彼女が処女売買(人身売買組織だとは思うんですけど、冒頭の字幕ではあくまで「処女」売買と書かれてた)組織にさらわれそうになって革ジャンの彼氏が単身取り戻しにいくっつー話なんですけど、その組織の主要メンツが高そうなスーツ着ていかにもスカしたかっこしてて、対する主人公が革ジャンつうなにげに「金持ち(悪)VS.貧乏人(善)」的な画ヅラだったり。組織としらずスカしたなりに誘惑されたうら若きおんなたちが屋敷でのパーティでまんざらでもないかんじにされてしまってるんですけど、組織のボスらしき男の情婦(奥さん)が裏稼業に嫌気がさしていて、組織仕事の標的になった女子(主人公の彼女)をなんとか助けようとして影で奔走したりする。彼女を追って組織の殺し屋の車に隠れ乗った主人公は屋敷までたどりつくんですけど、殺し屋に勘づかれて捕まってしまう…。組織の手下たちはドタバタして笑い担当なわりに、この殺し屋とボスについてはわりと冷酷で粘着質なとこが前者との落差も手伝ってハラハラ要員だったりします。クライマックスでへたこいた殺し屋にボスがしっかり落とし前つけさすしね。あと自分たちに刃向かったおんなを裸にむいて痛めつけるようなシーンもあったりしてかなり被虐味のある画ヅラですよ。トンプスン映画関連企画として選ばれたのも納得の1本。フランスの方はサディスティックなもんがおすきな傾向なのかしらね。昨今つくられるフランスの映画でも残虐つーとアメリカなんぞメじゃないほどやりますしねー。あと映画中でかかる音楽が一貫してジャズなんですけど、ピアノの1音とかがものすごく効果的に使われててかっこいい。ジャズぜんぜんしらないけど要所要所でやたらに不安感かきたてられる使い方してる。

『フェレルたちが立ち向かうのはマフィアや麻薬王ではなくて、ウォール街の証券マン。「誘拐団とか宝石強盗団を敵にしたら、ただのパロディ映画になっちゃうよ」マッケイはインタビューでこう語っている。「今、私たちの生活を危機に陥れ、破壊したのは誰なのか?それは黒服のギャングじゃない。ホワイトカラーの、ネクタイに背広の金融業者たちだ」』(アザーガイズのパンフの町山智浩さん文より抜粋)

アザーガイズは熱血すぎる空回りっぷりが煙たがられてる単細胞バカ刑事がデスクワーク大好き事務刑事を小突き回しながらも金融詐欺の犯人を摘発しようとがんばる話。単細胞刑事のマークウォルバーグがさっさと街に繰り出して犯罪者どもをふんづかまえよーぜ!てしきりに外回りにでたがるんですけど、事務刑事ウィルフェレルはPC上での仕事にかかりきりで机の前からまったく動こうとせず、やっと外でる気になったと思ったら工事現場の足場の許可とってない件で建築主をしょっぴこうとゆうことで建築主を連行して車に詰め込んだらいきなり武装した連中に取り囲まれたうえ、車ごとアメリカの反対側に置き去りにされてしまう。署にもどればこの件からは手を引くようにと署長からクギを刺されたうえ、ウォルバーグとフェレルがそれぞれ受け持ちをバラバラにされてアレコレやってるうちにウォルバーグはこの件について忘れかけ、もういっぽう―フェレルは地道に自腹捜査するうちになぜ捜査に圧力がかかったのか理由をつかみ、悪者である金融会社社長のもとへ押し掛けるのだが…みたいな話。刑事モノでありがちな設定をこれみよがしに外すのつるべ落としなんでカタルシスなんかはさっぱり発生しないものの、ありがち設定を避けたがゆえに発生するちまちましたややこしい小ネタがなんとなく味わいぶかい気もする。マークウォルバーグは熱血すぎて私生活でも変質者(ダンサーの彼女と練習で踊ってる男に向かって「俺の彼女になにしてやがる!」みたいに殴りかかってく)的な行動をしちゃってうまくいかないし、ウィルフェレルは事務以外見向きもしない能なしデカっぽいわりに家で待ってる奥さんが超マブいおんな(エバメンデス)でそうとう激しいセックスをするらしいし、なんかこうネタひとつとっても手放しで笑えないたぐいの毒がちょっとずつ差し挟まれてて爆笑には至らない場面がすごく多い。まあでもちょっとタガの外れた部外者だからこそ悪者を見極められるってあたりはスーパー!で描かれていた「善の遂行は狂人にしかできない」件とちょっと似たかんじがしなくはないかな。ぜんたい刑事モノのそうとうなマニアの方にとってはこの作品内で意図的にハズされてることのすべてがわかっていちいち楽しめるんじゃないかと思うんですけど、刑事もんをあんま見慣れてない向きにはネタ自体がなんだかよくわからん傾向。なんかこの映画って理解すんのがむずかしいとか思ってしまった。スジと直接関係ないところをたのしめるヒトには宝箱みたいにみえるのやも。ときどき刑事仕事にはまったく役立たないほうの実力をムダに発揮したりするのがわりとオツなかんじ。そういえば金持ちのほうの部屋でチラチラ現代美術ぽい平面作品が映ってて、エンドクレジットみてたら「DAVID HOCKNEY」て出てたけどバディものなんでそうゆうことニオわせてるってアレなんすかね。いろいろカキましたけど、マークウォルバーグが眉間に深い2本のタテ皺を始終寄せてるのがなんかリキんでるんだなーと思って面白かった。

うさぎ映画はイースター島で復活祭用の菓子づくりしてる魔法うさぎ親子と奴隷のひよこたちがいて、菓子づくりはうさぎの一族が代々継ぐんですけど、その息子が継ぐのを拒否したうえ音楽やりたがってハリウッドへ脱走して仕事探し中のニート青年につきまとってどうにかしてゆく話。実写とCGがまざった映画だった。イースター島でうさぎに酷使されてるひよこはなんか永遠にひよこの姿のまま生きる物体みたいで、ひよこの長ぽいやつが凶悪なツラのおっさんで指揮権の座を虎視眈々と狙ってたりします。日本人には理由がいちいちわからんことばかりでポカーンとしてるうちにモフモフしたモノが勝ち誇って大団円になってた。

キラーインサイドミーは数回みてるもんをまたみてもなあ…とばかりにしぶしぶだったですけど、なんだか何回みても発見のある作品てのはあります。これがそうだった。詳細については年末の総評に織り交ぜますけど、ちいさいことふたつだけ。最後のビルプルマンとのドライブのシーンで背景にある木の電柱がまるで巨大な十字架群のような雰囲気なのと、あとルーが家の本棚から取り出す本の隣にこれがあって美術さんてきとうしてんなーと思った。トークショーでは中原さんが映画の劇中音楽について聞かれて「現実にはどんな場面でも音楽なんか流れてねーし!」てゆっててそりゃそうだなーと思いました。