「おとぎ話は、ときに残酷」じゃなくいつでもふつうに残酷です

ハロルドとモード 少年は虹を渡る(5日。真文芸坐)→バーク&ヘア(7日。アップリンク)→流砂(シネマベーラ)→残酷メルヘン 親指トムの冒険(ヒューマントラストシネマ渋谷)とみまして、ちょっと童話の映像化に関してなんですけど、ペローもグリムも原作の童話はあくまで字ヅラでの表現が簡素ってだけで、やってる内容自体は残酷がふつうなんですよ。おとなむけの残酷映画にするんだったら、たとえば口減らしに子供を捨てなきゃならないレベルの貧乏や飢餓描写をウェイバックの地獄道程の際のレベルで描いたり、もっとリアルにするんだったら栄養失調でお腹だけ膨れて手足が枯れ枝のようになった子供に肉迫したふうな演出をする、それだけでもう十分に「おとなむけの残酷」たりえるんですよ。ところが親指トムの主人公格の子供らときたら手をのばせばケータリングのうまいメシがいくらもあるみたいな満ち足りたツラで「ひもじいよう」とかいうのでリアリティがどこにもないんですよね。あのー、野菜ひときれしか入ってない白湯で長年過ごしてる子供とかふつうに発育不全に陥ってると思うんですよ。病気もかかりやすいだろうし、骨は弱くて歯も汚れて、いつも腹いっぱいたべることばかり夢みて骨に皮が張り付いてる的な体つきで目だけはギラギラ光ってるみたいになってると思うんだが。親指トムの子供たちはなぜか全員肌がふっくらツルツルピカピカで痩せこけてすらいない(そこらへんは特殊メイクでいくらもできるんでしょうに…)ていうね。それと男のガキがあんな揃ってるというのに狩りにもいかせず素手で地面掘らせるだけ(あのさあ…。そんなことを毎日子供に長時間やらせてたら爪なんかなくなって手先が真っ黒なままだと思うよ。そもそも周囲に木があるんだからその為の道具くらい作るでしょうに…)って何なの?仮にああいうふうな生活を毎日してたら体中真っ黒に汚れてるはずだけど、服も汚れてねえわ顔もピカピカにきれいなんだよねえ。そもそも畑もない状態の地面をてきとうに掘り散らかしてて突然あんな見事に育ったさつまいもが出て来るわけねえだろ(飢えつづけて過ごしてきてるなら何がどこに生えてるかくらい調べ尽くしてるだろ)。その上なぜかデカいレトリバーとか飼ってるけど、あの犬(すごく元気そう)に何食わせてるの?まさか野菜じゃねえだろ?この監督って城で生まれて以来どこにも行ったことのないお姫様とかなんですかね。あのー…。なんつーかさ…。童話の映像化は兎に角おもしろけりゃいいんですよ。ナイトミュージアム的なドタバタコメディみたいなバカなのもいいし、青くなるほどリアルなスラッシャーものでもジャンルはなんでもいいの。なんのジャンルになってもいいけど、童話がベースだからって理由で安易なつくりで済ましたらいけないよ。なんかさ…リアリティにしてもパロにしてもどっちもまともに描けてない三流監督に限ってなぜか映画ファンのお情けにすがる同人誌的な演出を付け足すんだよ。それする時点で原作の童話を見下してるのが透けてみえるから原作好きからすると腹が立つんですよね。原作の面白さがわからないのなら原作をそのまんま忠実に淡々と映像化するだけでいいものを、この私が映画ファンの目をひっぱってきてやるよ的な安いミーハー心で軽薄な解釈を付け足すのが我慢ならないんですよね。飢餓ひとつ満足に描けないくせしてなんなの?数百年残ってきてる原作を見下したその態度。原作がつまらないのではなくて、原作の快楽ポイントがわからないあなたがつまらないんですよ。子供むけ原作のでスジと無関係な映画ファンに媚びてる的なコスプレシーンを足したのはくまのがっこう監督したバカでしたけど、今回の親指トムの監督はなんかエンディング音楽がチェンバロだったりしてナルシスティックでオサレかぶれな映像を目指してるふうでしたね。飢餓もろくに描けない奴がチェンバロで美麗映像とか400年早いですよクソバカ。あと、人食い鬼の腹からでてきた兄弟が鹿つかまえて持ち帰ろうとしたら突然主人公が「お前らにそんな権利なんかない!」とか叫んで兄弟の手から鹿を奪って逃したりしてましたけど、じゃあ兄弟は動物を食わずに飢え死にするべきだとでもいうのだろうか。主人公、設定上では飢えてるはずなのにしょっぱなから動物の肉をたべることになぜか躊躇してるんですよね。あのさー…「生き物を食べることを軽蔑する」ていう視点自体が飽食生活をしている人間のモノなんですよ。死と隣り合わせに生を渇望している者にはそんな余裕はねえよ。満足に食えたためしのない子供が動物なんかみたらもう四つ足の焼肉にしかみえないと思うがなぁ。ペット感覚なんて知らないはずなのにウサギみたら撫で始めるとか…(笑)親指トムの展開からしてつまり動物の肉を食わずに飢え死にするのが善であるっていうのが栄養失調の子供らへの監督からのメッセージなんだろうか。なにしろ作品中に頻出する生と死への貧相な見識には心底辟易した。この監督は菜食主義者とかなのかね?とりあえず飢餓をリアルに撮ってる映画を最低でも100本以上みてから出直したほうがこの先監督として生きるうえで恥をさらさずに済むと思うよ。童話自体はごく単純な構成だけど、自分がどう歪んでるのか自覚できない以上は原作どうりまっとうに撮ることすらできないだろうね。偏った道徳観しか持ってない人には童話をまともに語ることができないんだねえ。子供のもんだからってバカにしてつくってることに自分で気づけないの?子供の受難をリアルに描かない時点であんたは子供のリアリティから目を逸らしてるんだよ?なにが残酷メルへンだふざけんじゃねえよ。ペローとグリムにあやまれ。なんでこうまで怒るかって、その「子供のものだから(適当でいいだろう)」ていう特定のジャンルを見下した態度で片手間につくられたもんをみてその見識が童話好きじゃない向きにまた伝播してくのがいやなんですよ。ながく読み継がれてる童話とか絵本てのはたいていが生理感覚にものすっごい忠実で、たとえば食うに困ってるならとつぜんありえないほど御馳走がでてきたり(お菓子の家みたいにビジュアルも味覚も同時に満たすものが好ましい)、貧乏で嫁さんいない男に突然すげえ美人な姫様と踊るチャンスができたり、もうとにかく「欠乏→満足」の落差ファンタジーのくりかえしなんだよ。すごい単純なの。その「ない(渇望)」ときと「得た(充足)」ときの感覚が伝わるよう、逐一リアルに描けばそれでいいんですよ。それこそが童話の醍醐味なの。それをないがしろにして映画ファンへのやっすい媚びとか入れられると作り手を挽肉にしてブタに食わせたくなるのね。今回の親指トムならその名のとうり、兄弟中でいちばんちっこくてバカにされてるけど、実はとっても賢くて…的なとこをメリハリつけて描かなきゃならんのに、あの兄弟は全員同じ年に生まれたのかってくらい年齢差が見受けられない見た目してて、それじゃ親指トムとの落差が感じづらいでしょうが。「兄弟=賢い・トム=バカ」の図式が逆転するカタルシスが発生しなくなっちゃう。それとねえ、人食い鬼は凶悪なツラがまえしててガタイがでかくなきゃだめよ。なんだよあのちいさいおっさんは。人食い鬼の娘たちも最低限歯は全部尖ってるくらい禍々しさのあるビジュアルしてないと。あの娘たちに至近距離でニオイかがれまくったらふつうの男子は全員勃ってると思うよ。勃つどころかしぼむくらい怖い要素をどっかにもってないと、人食いにみえないじゃんよ。強大で凶悪なモノをちっさいトムが出し抜くのが面白いのであって、全員がおなじくらいの大きさでどうやって爽快感感じろってのよ。それとトムと兄弟は人食いに見つかりそうって時に棒立ちで突っ立ってんじゃないよ。生命の危機だって時にのんきにセリフ待ちかお前ら。「ひもじい→ごちそうだ!→人食いこえぇ!!くわれるー!!→魔法カッケー!→あーよかったー→いただきまーす」のどれひとつとっても満足に描かれてないってゆうね…。生理感覚の充足描写がまったくできてないのに加えて、魔法というファンタジーのワクワク感もないがしろなのでもうぜんぶだめだ。ガッカリ要素ばかりで固められたうんこをみて心底うんざり。マリナドバーンの親指トムは優れた要素がちりばめられた原作のなにもかもを無駄にした反面教師としては最適のうんこです。
ハロルドとモードは気持ちを押し殺し続けて生きる少年ハロルドと、破天荒な生き様をする芸術家肌のおばあさんモードとの心の交流を描いた話。ハロルド少年の母親は「自分の子の才能が優れている」=「自分の趣味に合うこと」なのだと思いこんでいて、自分の趣味嗜好にそぐわないことを息子であるハロルドがしでかすと頭ごなしに否定するんですね。たとえばハロルドは霊柩車が好きなのに、ハロルドに断りもなくある日突然霊柩車を廃車にして勝手にスポーツカー押し付けた挙げ句「かっこよくしておいてあげたからねー♪」みたいにさもいいことしてやったふうに言うの。こんなこと他人にやったら普通に半殺しにされる事例だと思うけど、ハロルドの母親はなぜか子供は自分の言うなりになってあたりまえだ、言うなりにならないのは頭がおかしいせいなのだ、と思いこんでいる。そうしてハロルドは寄宿学校から抜け出して母親のもとに身を寄せたときからずうっと母親によって気持ちや嗜好を踏みにじられ続けて、以来母親の前で派手な自殺ゴッコをするようになっている。この自殺ゴッコがどれも凝っててリアルなんですけど、母親のほうはもう慣れちゃってハロルドがいくら迫真の演技で自殺しても見向きもしなくなってきている。このあてつけ自殺ゴッコについては単純に母親を自分のほうに振りむかせたいという気持ちと、あと「愛されたい相手から気持ちを踏みにじられ続けて心が死にそうだ」ということを表してるんだろうけど、あのハロルドの死に絡んだ言動は幼少期から長いこと「愛されたい存在」によって気持ちや心を無視され続けて育った子供が、思春期頃になって「心はどこにあるのか」という膨れあがった鬱屈が命じるままに動物を切り刻んで解体するサイコパスの前段階(これでも触れられてましたね)にちょっとにてるなーと思った。ハロルドの母親は自分の子は自分と同じ思考や趣味のものなのだとでも思っているんだろうか。でもハロルドは母親の趣味とはまったくちがうのだということを無言で主張しつづけるので、もてあました母親は目障りなハロルドをどうにか自分の家から追い出すために結婚さして片付けようとか思いついて、見合い相手の女子を連れて来るんですけど、その女子がどれも母親と似たり寄ったりのてめえの話しかしねえアホばっかりで、ハロルドはうんざりしてスプラッタ自殺シーンをなにげなく見せつけて女子をビビらせて追い返すんですね。そんなある日、しらねー人の葬儀に悲しんでるふうの顔しながらなんとなく加わってたら、たまに葬儀でみかけるおばあさんが近づいてきた挙げ句にハロルドの霊柩車乗りつけてきたんで、まあなんとなくハロルドも乗っておばあさんちまでいってみると屋内にいろんなゲージツ品だのなんだのあるかんじで自由でおもしろいのでなんとなく友達になってく。このおばあさんがモードさんというんですけど、若かりし頃には自由に関する活動とかしてたらしくて、みかけた車はなにげなくかっぱらうし、ポリに職務質問されてもなにげなくかわしてトンズラこくし、たのしいことはとにかくやる、ヤなことは徹底してやらない、そうゆう信念のもと軽やかに生きていて、ハロルドはどんどん感化されると共にモードさんに惚れていく。当然ハロルドの母親はまあ怒るんですけど、ハロルドはぜんぜんきかずにモードさんと生きてゆく決意をするのだが…みたいな話。モードさんはハロルドからプロポーズされたあとに服毒自殺するんですけど、若すぎるハロルドを本気にさせてしまったっていう後ろめたさもすこしはあってのことなんだろうが、でも理由の大部分は活動家だった時分に愛した相手の手前ハロルドとの結婚はできないってアレなんだろうね。でもなあ。マジにゲージツ家だとゆうのならモードさんにはぜひハロルドとのその後の人生を軽やかに歩んでほしかったですね。たとえハロルドが若い娘に目移りしたとしても、そのハロルドとの経験をも自由生活の範疇として認めるということのほうが非常にカッコイイすから。自殺したくだりみて、ああ…モードさんはわりとふつうのおんななんだな…と思ってちょっとガッカリしたよ。なみだの操的だった。わからなくはないが。
流砂は自動車整備工の主人公が美人女給とのデートのために会社のレジから20ドルかっぱらって使い込んだら、いつもは木曜に集金にくる会計士(だっけ)がなぜかすごく早くきてしまって速攻レジにもどしとかないとー!!とばかりに急遽ローン組んで買った100ドルの高級時計を質屋で換金してどうにか30ドル工面してレジにもどして会社では事なきを得るんですけど、直後にローン組んで時計買ったとこ経由でポリが主人公に100ドル徴収通達にきたもんで、いったいどうしたらッ?!みたいに苦悩してたら美人女給が入れ知恵してきて、昔の勤め先(あのゲーム機が当時は最先端だったんだね)に盗みにはいらされたり、それがもとでゆすられて今度は職場の高級車を要求されたりついには追いはぎしたりと20ドルが元でどんどん悪い方向へいってしまうとゆうお話。なんつーか諸悪の根源ともいえる美人女給がハンパに悪党なわりになにげなく能天気で、クライマックス手前でせっかく手にした大金をこの女がハンパに使い込んで脱力します。そんでまあノワール映画の慣例というか善人美女がでてきて主人公は最後に助かるというかなんというか。こんなふうに都合よく救われる結末でいいのか?いいのか。時間の都合か。
バーク&ヘアは300年くらい前のイギリスで医学教授が死体をイイ値段で買い取ることを知った万年貧乏の2人組が、カネほしさに殺しにまで手を染めて死体調達ビジネスしてた実話をもとにした映画。最後にその殺しの罪で縛り首になったヘアの骸骨標本の実物がでてきてなんかわらっちった。あれはエジンバラ医大かなんかにあるんすかね。ちょっとみたい。この映画のオチがマジ大好き。美談にしろ黒い話にしろ、本来的にそれひとつきりじゃないんですよね。その周囲がそれからどうなったかがいちばん大事なんであって。なんつーか医学の発達とか文明隆盛とかはそうとういかがわしい連中が関わってつくりあげてるもんなんだなーというのがひしひしと感じられる佳作だった。なんかが隆盛するというのはつまりそれだけ旨い汁を吸える余白がどれだけあるかってことでもあって、イコール「儲け」でウハウハする輩が必須なんすよ。大根役者の女に純愛捧げたヘア君だけがバカみちゃって、他のメンツ―相棒の夫婦はグレードの高い葬儀館(笑)興してちゃっかり王室御用達になっちゃってたり、バークとヘアがうまくやってるのに目をつけてみかじめ要求してきたヤクザの親分なんて生命保険の会社はじめてうまく儲けてたみたいだし、諸悪の根源である死体買い取ってた医学教授なんてアメリカに逃げのびた挙げ句見世物小屋で荒稼ぎしちゃって、ふつうに悪党ばっかし(笑)しかし当時の写真機すごいねえ。なんだか巨大な台に据えたでっかいガラス板を数かぞえつつ入れたり出したりして。兵器のような大仰さ。あの写真ほしいなあ。とっとけばいいのに。